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身体障害児の息子の介護歴15年以上。在宅×フレキシブル勤務で叶った、自律的な働き方【アドミニストレーション/蓮池春世】

フリーランス協会で働く人を紹介する「突撃!フリーランス協会の中の人」

今回は、財務、渉外、編集、イベントなど、様々なチームの裏方で細やかなフォローをしてくれている蓮池春世をご紹介します。

蓮池 春世(はすいけ はるよ)
女子美術大学卒。20数年専業主婦だったためキャリア歴は空白だらけだが、むしろ肩書も実績も持っていない「余白の多さ」が武器だと思っている。
人生で1回ずつ健常児と障害児の育児を体験しながら、地域で共存できる新しい取組みや画期的な福祉を模索中。障害児にも「生きがい」を、親にも後ろめたく思わずに「自分の人生」を持てる日が来るよう、柔軟なフリーランスの働き方からヒントを吸収しようとしている。隙を見てミニチュア作品づくりに勤しむ一面も。
https://www.instagram.com/quartetton.halfway/

その安定感と寛容さは、悟りを開いた仏の如し。並みならぬ苦労を重ねてきたであろうことを微塵も感じさせず、何事も「えぇ~私が?分からないけど、とりあえずやってみます!」と明るく笑い飛ばしながら対応してくれるスーパーポジティブさと勇往邁進のチャレンジ精神は、あっぱれの一言。

PCの閉じ方が分からなかったというエピソードが信じられないほど、今やリモートワークでどんどん守備範囲を増やし続ける蓮池に、外部ライターが突撃インタビュー!

息子の介護と在宅ワークに、全力投球な日々

──こんにちは。さっそくですが、春世さんの1日の過ごし方について教えていただけますか?まず、朝はどんなスタートを。

蓮池:基本的に朝はバタバタですよ。下の子が自分で座ったり、移動したりできない重度身体障害児なので、着替えや食事などの介助もレスリング状態。
今、高校生で60kgほどあるので、こっちも体力勝負です。毎朝、学校の送迎バスの停留所まで車椅子を押して走るのも、かなりの重労働です! バスを逃すと、学校まで車で1時間かけて送らないといけないので、すべての予定が狂ってしまう。だからバスに間に合うことが最重要なので、車椅子ダッシュの途中で自分の眉毛描いていないことに気づくことは日常茶飯事です(笑)。

──冒頭1分のトークで伝わってくるパワフルさ……! 事務局メンバーからも「春世さんはとにかくポジティブでパワフル」と小耳に挟んでおります。

蓮池:そうそう、なんだかよくそう言われるんですよね。朝、無事に子を送り出せたら、8時半〜夕方4時ごろまでは自分の時間です。その間に協会のお仕事をしたり、ご近所仲間かつ協会理事でもある綾子さんが運営するまちのコミュニティスペースのお店番をしたり、綾子さんと一緒にやっているペットのおやつ作り事業のお菓子を作ったりしています。ただ、子の通院で半日が終わる日もありますね。

どんな日中を過ごしても、毎日夕方5時にはお風呂のヘルパーさんが来るので、それまでにお風呂の準備が必要です。というわけで息子が帰宅する4時以降はまたカオスに戻ります!

──ちなみに協会では、どんなお仕事を担当されていますか?

蓮池:財務と渉外などバックオフィス業務が中心です。財務では請求書や帳簿の管理、渉外では法人会員になった方とのやりとりや、問い合わせ対応が多いですね。あとは企業の方からいただくメルマガのコンテンツの管理、掲載確認や、スナック曲がり角のロジ業務なども行っています。人生は行き当たりばったりなのに、協会ではどういうわけか、慎重で細々とした管理、確認を頑張っています

ミニチュア作品づくりが生んだご縁

──“細かい”といえば、趣味で廃材を使ったミニチュア作品づくりをされているとか。この活動はどんな経緯で始められたのですか?

蓮池:きっかけは息子でした。息子は1歳のとき、発熱を機に脳にウイルスが入って身体障害になり、リハビリを始めることになったのですが、リハビリ道具にあまり関心を示してくれなくて…。私は美大出身で物作りに慣れていたこともあり、子どもが好きなキャラクターを使って、リハビリ道具を自分で作ろうと思いました。

ただ子どもを連れて買い物には行けないし、15年前はネット通販で買えるものも限られていました。そこで、家にあるものや廃材を使っていろんなものを作るようになりました。その後、子どもが学校に入って数時間だけ自分の時間ができたときに、「自分が好きなものを作ろう」と作り始めたのがミニチュア作品たちです。

奥の掛け軸の字は息子さんが書いたものを合成。コラボアートにして楽しんでいる

──そういう背景があったのですね。本格的な作品の数々ですが、作品の販売などもされているんですか?

蓮池:販売は行っていないんですが、インスタで発信していて、作品のポストカードを置いてくれませんか?と飛び込み営業した経験はあります。「近所のコミュニティスペースが地元作家の作品の委託販売もしてくれるらしい」と小耳にはさんで、訪れたのですが、そのスペースのオーナーが、協会理事の綾子さんだったんですよ。今、ミニチュア作品は直接的に仕事にはしていないですが、協会の仕事のきっかけになっているという不思議なご縁があります。

──そこにつながるんですね!今、作品づくりは休眠中とのことですが、今後またやっていきたいなどはありますか?

蓮池:以前も障害児とのコラボアート作品を作っていたのですが、例えばいわゆる「紙に絵を描く」ができない子も、周りの大人が視点を変え、工夫することで、その子の特性や癖を全部アートに変えていくことができるし、そうした取り組みをする方も増えてきています。

こうしたコラボアートの取り組みはまだまだ可能性があると感じますし、私もいつかそうした作品づくりを通して、障害のある方に少しでもお仕事を生み出すようなことができればいいな、という思いはありますね。

介護と両立できる働き方があったとは!!

──現在の働き方になる以前は、どんなお仕事をされていましたか?

蓮池:とにかく私、20数年……、つまり四半世紀働いていなかったんですよ!

──その間の春世さんのストーリーを、ぜひ伺いたいです。

蓮池:美大の卒業後は画廊で3年ほど働き、結婚をして。夫の配属が札幌だったので、20代後半は札幌で第一子となる娘を育てました。当時は「ワンオペ育児」の言葉がなかったけれど、まさにその状態でしたね。知り合いのいない土地で、わからないことは、スーパーの店員さんや通りすがりの人などに話しかけて教えてもらいながら日々乗り越えていました。この経験で今の度胸が培われたのかもしれません。

東京に戻り、娘が小学3年になったらまた働こうと考えていたのですが、その前年に、息子が1歳で救急搬送されて身体障害を持つことになり、そこからは介護に付きっきりとなりました。

その後息子も大きくなり、コロナ禍直前、20数年ぶりにパートで働こうとしたんですよ。でも実際にやってみたら、子を送り出し、仕事場に行って3時間ほどでお迎えの時間が迫り、運転席で制服から私服に着替えて……と隙間時間もないような状態で。

その数か月後にコロナ禍で休校になり、自宅介護が必要なためパートは無理だと辞めてしまいました。やっぱり働けないなと諦めかけていたとき、綾子さんが「在宅だったらどう?」と声をかけてくれたんです。だからびっくりしたんですよ。こんな働き方があるのか!と。

──そうだったんですね。実際にその働き方を始めて、どう感じましたか。

蓮池:通院があっても、請求処理などは夜など自分の空いている時間でできるし、本当に自由に時間が組み立てられる。家にいるから、お風呂のヘルパーさんなどの対応もこれまで通りにできる。

これは本当にもう、他の障害のあるお子さんを育てる親御さんにも伝えたい!と思うほど、革命的な働き方だと思いました。それでいて、チームでチャットツールなどを使って仕事をしているから、一人でやっている気がしない。感動しましたね。

介護者も、“自分の人生”を持ち続けるために

──障害や介護とキャリアの観点から、春世さんの考えていることをお聞かせください。

蓮池:特別支援学校のPTAの関係で都庁の産業労働局に要望を出したりもしていたのですが、「障害のある子どもがいる親が働けない」という現実は、大きな問題としてあるんです。

子どもが学校へ行っている期間はまだ時間がありますが、18歳から入る施設の大半は、預り時間が10~15時になってしまいます。すると子どもの在学中は外で勤められていた親もまた仕事を辞めなければいけなくなる。パートでも、子どもが体調を崩す頻度が多すぎて、職場から理解されにくい……。つまり、働く意欲も能力もある親たちが、働くに働けない状況にあるんです。

また、そうやって自分の仕事をあきらめた介護者が直面する、別の課題もあります。本当に悲しいことですが、医療ケアの必要なお子さんを自分の寿命より先に見送ることになってしまう親も少なくないのです。

そんな時に、文字通り朝から晩まで、人によっては夜中も関係なく、介護中心だった生活がある日突然終わりを迎えた時、本当にすべてがなくなる。そうした体験談を見聞きしてきて、親にだって“自分自身の人生”がないといけないって強く思います。
だから、そういう状況にある人たちが働くこと、社会とつながることはとても大事だと考えています。

ありがたいことに、自分は在宅で、時間もフレキシブルに働けるようになって、仕事を増やすことができました。昨年、夫の扶養から外れることもできたんですよ。20年以上もブランクがあるのに、夫の扶養を外れるぐらい働ける日が来るとは思わなかったです。これは本当にすごい働き方だなと思います。

──時間や場所の自由度が高く働けることは、介護と両立したい方にとっても大きなメリットになるのだなと、改めて感じました。

蓮池:まさに今、介護離職が問題になっていますよね。コロナを機にリモートでも働けることが証明できたのだから、その道を閉ざしちゃいけない、と思います。私の場合は一度パートを試みて、時間的に「これを続けるのは無理だ」と実感したからよけいに、フリーランス協会に誘われたことがありがたかったですね。

過去より未来より、「今」と全力で向き合う

──理事の綾子さんに誘われて、事務局メンバーに加わったとのこと。それまでパソコンを扱ったこともほぼなかったそうですが、パソコン作業が中心のお仕事を始めることに迷いはなかったですか?

蓮池:なかったですね。むしろやったことないから、やってみよう!と思いました。パソコンは本当に知らなくて、当初はノートパソコンを閉じたらデータが消えると思い込み、開いたままのパソコンを抱えて近所の綾子さんのところまで走って聞きに行ったりして(笑)。そのくらい何も知りませんでした。

──それがいまやバリバリ使いこなしているとか。春世さんの「わからないけどやってみる」姿勢と、実際に習得していく勢いがすごい!と、事務局メンバーの声が届いています。

蓮池:わからないことをわからない、と言うのは恥ずかしいと思わないです。同じアドミニストレーション業務で連携することが多いバネちゃんをしょっちゅう呼び止めてるんですが、当てずっぽうで進むより、聞いたほうが早いし、正確だから。単純にやったことないことだらけだから、苦手や得意の先入観がないのもあるかもしれないですね。あと、やったことがないのに「できない」って言うのも違うかなと思っているので。

基本的に、私は計画やビジョンがなくて、いま降り掛かってきたものを受け入れて、対処していくスタイルなんです。

過去でも未来でもなく、「今」を大切にする。その思いを特に強めたのは、息子が救急搬送されたあの夜からです。その日は、熱が40度もあったのに、1歳の息子はぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいました。でも私は「今日はもう寝て、また明日やろうね」と言って、寝かせたんです。

するとその後に大発作が起きて、結果、二度と自分の足で歩けない体になってしまった。私が言った「明日」は二度と来なかったんです。「明日は確実じゃない」。そう悟りました。だからこそ、今、楽しいか。今日、笑ったか。これが何より大事だし、今、目の前のことを全力でやってみよう!という気持ちが常にあるんです。

福祉以外のプロに触れ、広がる世界

──フリーランス協会に関わるようになって、感じることはありますか?

蓮池:障害のある子を育てていると、福祉のなかにどっぷり浸かってしまい、どうしても視野が狭くなってしまうと感じます。だから、私は福祉に健常の人を巻き込みたいんです。

今、福祉業界以外のフィールドで仕事ができることがおもしろいし、違う視点を持てることが嬉しいです。福祉はいろいろ「してもらえて」それはとてもありがたいことなのですが、利用者は受け身になりがちです。「生きがい」という意味で、障害の方たち自身の「やってみたいこと」を拾って活かして何かを生み出すアイデアには、福祉以外の視点が必要だと感じています。

フリーランス協会にはいろいろな業界・職種のプロがいて、幅広い話が聞けるので、とても刺激になりますね。

フリーランス交流会「スナック曲がり角」で配布しているステッカーの字を担当。「私の果たし状みたいな字が事務局メンバーのランチタイムに話題になったらしく、突然依頼されました!」

互いの事情をさらけ出し、相談しあえる場を

──これから、協会を通してやってみたいことはありますか?

蓮池:個人的にPTA活動などで、行政に福祉関連の要望書を出してきましたが、古くから続いているやり方や考え方をアップデートしていく難しさを常々感じています。ですので、フリーランス協会にいる柔軟性に富んだ仲間たちが、福祉業界に一石を投じるようなことに力を貸してくれたら最高だな、とは思いますね。

また自分が住んでいる地域でも、そのロールモデルになるような取り組みをやってみたいです。福祉に限定するのではなく、いろいろな状況の人達が関わり、混ざりあえるような場を作ってみたい

フリーランスには、介護や育児、持病など、いろんな事情でこの働き方になった人も多いと思うんです。それぞれが事情をもうちょっとさらけ出しあえば、お互いに助けあえる。今までの人生でもそう実感してきたので、自分もそんな場を作っていけたら嬉しいですね。

【 私の道しるべ 】 「予期せぬ人生こそ人生」

私は計画性がなく、具体的なビジョンは1回も作ったことがありません。言ってしまえば漠然と生きている。でもだからこそ、どんなことが起きても「こんなはずじゃなかった」という言葉は出てこないんですよ。

子どもが障害を持つことになったときも、1度も泣いていなくて。「おお、やってやろうじゃないか」しか出てきませんでした。なんでだろうと自分でも思ったとき、高校時代に雑誌の記事で切り抜いていた「予期せぬ人生こそ人生」という言葉を思い出したんです。ああ、自分の中にはこの考え方があるんだなと。

思えば美大へ行ったのも、中3の受験シーズンに「食べ過ぎ」が原因で長期入院し、病室で何気なく描いて貼っていた絵が副院長(絵の造詣が深い)の目にとまったことがきっかけで、試しに美術系の高校を受験してみたからでした。それまで絵に興味がなかったのに、結果的に高校・大学と7年も美術を学ぶことになったのです。

そして美大の経験があったから、子どものリハビリ道具を自分で作れた。その流れでミニチュア作品を作ったから、綾子さんのもとにポストカードを売り込みに行けた。それがきっかけで今、フリーランス協会の事務局メンバーとして働けています。

こんなふうに、一見悪いと思うことも、実はめぐりめぐってすごくいいことにつながっていたりする。それに、絵の具だって明るい色ばかりあるより、暗い色もあったほうが、より深い絵が描けるじゃないですか。予測不能なことが起こる方が人生らしいし、大変なこともあるからこそ人生は味わい深くなる。そう感じています。

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「こうしよう、と思って生きてきたことないんですよ。人生ゲームみたいに、出た目に従うだけで。だから大概のことなら何が起きても、そうきたかって感じです」と、サラッと話す春世さん。何が起きても「今」に集中する春世さんの“強さ”を、画面越しでもひしひしと肌に感じつつ、たくさんのエピソードを伺いました。

介護や育児、持病などさまざまな事情でフリーランスを選択する方もいる、という話は、フリーランスという働き方を改めて見つめ直す機会にも。ひとりだけど、ひとりじゃない。この働き方の恩恵、もっと享受していこう!と励まされたのはきっと、私だけじゃないはずです。

ライター:渡邉雅子
PR会社勤務、フィジー留学を経て豪州ワーホリ中にライターに。帰国後ITベンチャー等々を経て、2014年に独立。2016年より福岡在住。現在は糸島界隈を拠点にフリーライターとして活動。近年は写真、ZINE制作、絵本、日本茶など新しい活動の種も少しずつ育てている。海辺とおいしい野菜が好き。
Web: https://masakowatanabe.themedia.jp/

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