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安心と安全

ようやく内田氏の本を読み終わりました。
割と共感できることが多い本にも関わらず、どうして根源的な安全保障のテーマで認識が壊滅的にずれるのか?ということに疑問を持ちました。
そうするとね、おぼろげながら浮かんできたんですよ、46という数字がね。
はい、嘘です。
浮かんできたのは、題名の話ですね。
私はそれなりに危険度のある業務をしてきたので、上司等から口酸っぱく安全性について言われておりました。
確かに妥当なご指摘も多かったのですが、過剰な要求というものもあったのは事実です。
それも含めて契約企業と相談していた中で上がったのが、題名にある安心と安全の話です。
安全のための対策ならばする必要性は理解できるが、個人の安心の為の業務だと言うならやってられない、という話です。
現場担当者としては激しく同意でした。
他の記事でも書きましたが、壁にもたれかかっただけでも、壁を通り抜ける可能性だって0ではないのです。
それを考えたら、100%安全でないと安心できない!なんていうのは、杞憂であり、愚かな心配に過ぎません。
そりゃあ、60%は安全だと言われたら中々ビビりますし、80%でも躊躇するでしょう。
では、99.99%ならどうでしょうか?
それを99.999%まで上げろ!と言われたら?
一般的に、危険度が高いものを安全にするコストよりも、安全なものをもっともっと安全にするコストの方が高くつきます。
結局、完全な安全なんて存在しないのだから、どこかでリスクを取らなければいけない時は来るのです。
本当にその安全は必要ですか?と考えなければいけないタイミングを見失うと何もできなくなり、逆に何もできないリスクと戦うハメになるでしょう。
例えば、カンボジアの未処理の地雷原を歩け!と言われたら、恐る恐る歩くでしょう。
逆に、東京のど真ん中を歩け!と言われて、カンボジアの地雷原と同じだけの注意を払っている人間はアホです。
むしろ、横断歩道を渡り切れずに車に轢かれるリスクの方が大きいでしょう。
この様に、安心と安全は必ずしも一致しません。

例えば放射線を浴び続けてもピンピンしている人だって実はいるのです。
確かに、放射線は確実に遺伝子にダメージを与えるのですが、ダメージを受けた細胞が速やかに壊され、正常な細胞に置き換われば問題はないのです。
一方で、水を飲んでる時に喉に詰まって窒息する人だっています。
それらの事実を持って、放射線よりも水は危険だ!と主張するでしょうか?
これがどれだけアホな話なのかはお分かりになると思います。
確率の話を無視して、ケーススタディを見て安全性を錯誤する例がこれになります。

では、また別の例を挙げましょう。
ALPS処理水が昔問題になりましたね。
今でも騒いでいる輩はいるかもしれませんが、現在下火になっていることから考えても、重篤な危険性は無かったことの証左になるかと思います。
確かに、メルトスルーした原子炉を冷却した水は放射性元素で汚染されています。
これを汚染水と呼びます。
左翼を中心とした人間達は、この汚染水をそのまま垂れ流すかの様な印象操作を繰り返しました。
実態としては、放射線核種と呼ばれる放射性物質を物理的化学的に限界まで取り除いたのがALPS処理水なのです。
その放射線量は日常で浴びる可能性のある放射線量と大差ありません。
そう、日常でも放射線って浴びてるんですよ。
一度汚染されたんだから、処理しようが何しようが汚染水だ!とかバカなことを言う輩もいました。
だとしたら、下水を処理しても永久に汚染水だと言うことになりますよね?
そうすると、本人は喜んで汚染水を飲みながら、特定の水を汚染水呼ばわりしているということになります。
そもそも、ALPS処理水よりも、諸外国の原子力発電所が放出している通常の冷却排水の方が放射線量が多いのです。
汚染水由来だから危険なんだ!とか言うバカもいます。
そもそも、害があるのは放射線であり、そもそも有毒な元素は別ですが、そんなもん気持ちの問題だとしか言えません。
そして、ALPS処理水で除去し切れない核種としては三重水素(トリチウム)がありますが、これが発する放射線はβ線といって電子なので、それこそ水だけで防げるものです。
笑えない話として、放出のタイミングで中国が自国民にガイガーカウンターを配ったそうです日本の放出を非難させるために。
そしたら、中国国内の全然関係のない所で高レベルの放射線反応が続出したそうです。
もちろん、配られたガイガーカウンターは速やかに回収されました。
残念ながら、左翼政治家・活動家や一部マスコミによる印象操作による風評加害によって、ALPS処理水の安心感は失われました。
しかし、実際には安全性は極めて高いものだったのです。
適切に管理されているかは国際原子力機関(IAEA)が査察します。
IAEAは日本の金が入っているから忖度するんだ!とかアホなことを言っているやつもいましたが、安心して下さい、今や中国は日本よりもIAEAに金を出しています。
某クジラ協会とは違うのです。

また、安心安全のパラドックスと呼べる現象は他にも起きています。
例えば、フェミニストは日本人の美少女アニメ大好きチー牛オタクを犯罪者予備軍だと断定して忌み嫌います。
何故なら、彼女らの嫌悪感センサーにビンビン引っ掛かって、不快感が半端ないからです。
しかしながら、実態としては嫌悪感センサーに引っかからない爽やかイケメンやイケオジが性犯罪犯す確率の方がよっぽど高いのです。
そりゃそうですよね?
女に苦労しないから女とヤルのをなんとも思ってない人間と、童貞を拗らせて女を神格化し始めた臆病な人間と、どちらが性欲が昂ったら性犯罪に手を出す可能性が高いかは、普通のバカでも少し考えれば分かるのです。
ただ、フェミニストの嫌悪感センサーとは逆の事実を認められないのです。
フェミニストが憧れる欧米諸国は日本よりもはるかに性犯罪が多いのです。
日本よりも性犯罪が少ない国なんて、数えるほどしかありません。
暗数がー!とか言うバカがいますが、立件されてない自己申告のランキングです。(なので、犯罪でもなんでもないお気持ちを含めてもこの結果です。)
日本人はロリコン性犯罪予備軍だ!というバカもいますが、残念ながら小児性犯罪率についても日本は極めて少ないのです。
フェミニスト諸君には安心できないかもしれないですが、日本は女性にとって、少なくとも他国と比較した場合には極めて安全な国だと言わざるを得ません。
もちろん、性犯罪が発生していないとは言わないし、少なかろうが更に少なくするべき、究極的には0にするべきだ、というのはその通りでしょう。
しかしながら、他国と比較されて問題視される謂れは無いし、むしろ日本を手本にして性犯罪を減らしていこう!と言うべきなのです。

今度は逆のパターンも見ていきましょう。
それは、安心できるかもしれないが安全ではないパターンです。
その代表例は、それこそ日本の安全保障の話題になるでしょう。
平和主義を唱え続けて無防備でいれば、誰も我々には手出しをしないだろう!と思い込んでいれば、確かにその人は安心できるかもしれません。
その人からしたら、我が国が防衛力の整備を進めると不安になる(安心感が無くなる)のかもしれません。
しかし、我が国の隣には、倫理観以外は一流の侵略主義国家中国や狂犬北朝鮮をはじめとした、安全保障上の脅威に囲まれています。
無防備でいれば国際社会が戦争を許さない!とか言っていたバカがいましたが、その幻想はウクライナとガザで崩壊しました。
平和を愛する諸外国は、体を張って助けてもくれなければ、外交的に侵略国を押さえ込んでもくれませんでしたね。
だって、ほら…痛いの嫌じゃん?
まぁ、ウクライナもガザも攻めた側からしたら理由があったのだから、そいつらが悪いと言い切るなら、まだ分かります。
何故か、平和主義を名乗る人間に限って、ウクライナやガザを擁護するのですが…
そして、特に人間の盾にはならないのだけれども…
攻められる方が悪い!という理屈ならば、中国に迫害されているチベットウイグル内モンゴル人も悪いし、ミャンマーで迫害されているロヒンギャも悪いし、インドで差別されているダリットも悪いし、アメリカで差別されてた黒人も悪いし、家父長制で虐げられていた女性も悪い事にならなければおかしいのです。
そんな論理をリベラルの人間は認められるのでしょうか?
自衛のための最低限の防衛力を備える国が攻められるのは、それだけ理不尽なことなのです。
安全保障上の脅威に備えないのは、一部の人間には安心を与えるかもしれません。
しかし、実際には安全を刻々と損ねているのです。
実際問題、「我が国は攻められない!(多分!相手の善意頼みだけど!)」と「我が国は攻められない(物理)」のどちらが安全かなんて論ずるまでもないでしょう。
そりゃあ、大東亜戦争のアメリカの様に、相手を窮鼠の如く追い詰めれば、そりゃあ反撃されるかもしれませんが、今の日本人にそんなメンタリティがあるとはとても思えませんし、歴史上そんな狡猾だった時代が今まであったでしょうか?
まぁ、もしも日本が外征軍たる態勢に移行したならば、侵略の意志ありとみなしても良いかもしれません。
外征軍とは、他国で戦い、他国を占領できる組織を持った軍隊のことです。
そうならない限り、どれだけ防衛力を高めようとも、他国の脅威とはなり得ないのです。
なぜなら、侵略ができないからです、単純に。

また、内田氏が反対する、国家機密を漏洩する自由を(公務員から)奪う特定秘密保護法の制定を阻止できれば、内田氏はきっと安心できるのでしょう。
ただ、実際には我が国が侵略を受けるリスクが高くなるのであり、また同盟国たるアメリカを離反させることで抑止力も低下するのです。
これこそ、安心のために安全を犠牲にする愚行に他なりません。
国家機密を漏洩する自由を擁護して我が国が凶悪な他国に侵略されるのと、国家機密を漏洩する自由を剥奪して我が国の抑止力を維持すること、どちらが良いかなんて、通常の知能があれば自明でしょう。
綺麗事から足を洗って、現実を見つめるべきですね。

感覚で生きていると、自分の安全は安心がセンサーとなって担保できているのだと思いがちです。
確かにセンサーは本来はそのために備わっているはずです。
しかしながら、残念なことにこのセンサーは極めて誤作動が多いのです。
そして、より安全なものを危険と判断したり、逆に危険なものを安全だと判断したりする、極めてそれ頼みだと危険なセンサーなのです。
なので、安心センサーを使うのは構いませんが、併せて冷静な頭で論理的に安全性を分析することも忘れないで下さい。

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