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【‎VTuber】価値観の反転と世界の見かたの話【にじさんじ/月ノ美兎】

どうも私です。今回は久しぶりに‎VTuberのお話を書こうと思います。昨年の郡道某さんの一件からちょっと‎にじさんじというより‎VTuberを追っていくということに対するモチベが上がらずにいたのでだいぶご無沙汰していました。

さて前回の郡道さんとの一件は私にたくさんの気づきを与えてくれました。郡道さん当人やANYCOLORの対応はもちろんのことですが、特段私が示唆が得たことはそれら当人らではなくそれを取り巻くファンとの温度差です。

まあそれを今回また蒸し返してもしょうがないので、ファンとの温度差について考えを深めていくうえで最近私が最近感じた事柄である今回のテーマに入っていきますね。

■ある委員長さん切り抜き動画

ところで委員長さんこと月ノ美兎さんに言及するのはどのくらいぶりだろうか、以前このNOTEで月ノさんに言及して以降は私も特段月ノさんを追うこともなく離れていたのですが、YouTubeの仕様なのかたまに‎VTuber切り抜き動画のひとつとして委員長さんの動画がおすすめに載っていることがある。

まあいつもはそういったものには気にもとめないのですが、その動画は「鈴原るるさん」の卒業について月ノさんが言及したというものだ。内容によるとそれは鈴原さんが卒業された直後の配信で委員長が話された内容のようでした。

で、その内容といえば鈴原さんの引退という話題をとっかかりにしてご自身が体験したエピソードを交えつつアンチを分類したりまたそれを解説したりと大半がそういった月ノさんの長ったらしい講釈に費やされているような内容でした。

私がここで注目したいのは月ノさんの長ったらしい体験談や講釈うんぬんではないのですよ。どうしてあえて月ノさんはご自分の体験談を話すために鈴原さんの名前を持ち出したのかとうことなのですよ。


■そこはかとないデリカシーのなさ


さてまたまた申し訳ないですが昔話をします。前も書きましたがニコ生全盛期またそれ以前の配信者たちを観測するなかで、私が配信と向き合う上でとても示唆的な考え方を与えてくれた配信者が幾人もいました。

その中のある配信者がこう言ったことがあります「死人に口なし。だから私は引退者については一切言及しない。」ここでの死人とは配信をやめた人たち。配信者としての名前を捨てて現実に帰っていった人たちのことです。

その配信者が言うには、引退者が反論も言及もできない状況で勝手に名前を出されてあれこれと言及されるのはとても嫌だろう。自分も同じようなことされたら嫌だからだと。

当時鈴原さんが引退するに際してこういった詳しい言及をされることもなかったですし、あえてそういった事情を黙して引退された鈴原さんがこのような言及を後から第三者からされることについてどう思っておられるのかなんてまさに引退された後なので知りようなないですからどうしようもないですよね。

もし月ノさんもご自身が同じような状況だった場合に同じようなことをされたらどうでしょう。自分の預かり知らぬところで第三者にあれこれ言及され勝手な憶測を呼ぶような発言をされるのは嫌ではないでしょうか。まあ自分がされて嫌なことを他人にするのはやめましょうなんて小学生レベルの道徳観を書くつもりはありませんが。

まあ月ノ美兎さんに関しては前回の郡道先生同様にこの人はこういう人でこういう配信スタイルやってきた人なのでもうしょうがないです。だから御本人の預かり知らぬ状況でこんなことをされている鈴原さんが気の毒だなと思うだけですよね。

■価値観の反転

さてこれらを踏まえて私がとても興味深く思ったのはこういった月ノさんの言及に対してほぼ全てのファンの反応が肯定的なものであったということです。月ノさんの一連の行為よりもそれをとりまくファンの反応それ自体が私にはとても興味深かったのです。

例えばくだんの切り抜き動画のコメ欄からいくらか書き込みを抜粋するとこのようなものがあったりする。

この人が月ノ美兎として立ってくれていることを心から尊敬しているし感謝している。 素敵な人たちに囲まれて、末永く幸せに、楽しく生きてほしい。


こういう面を見ると本当にこの人がにじさんじのトップで良かったと思えるし委員長と呼ばれるに相応し人だと思える るるちゃんにはマジで幸せな人生を歩んで欲しいと改めて心から思います

流石にじさんじを牽引する委員長、るるちゃんの事を一番に考えて悲しんでるそのリスナーの心も少し軽くしてくれた感謝します

果たして鈴原さんが自分の預かり知らぬところでこういう言及を勝手にされることを良しとしているのか。こういうことは御本人から直接発言されるべきことではなかろうか。といった疑問を差し挟むようなことを思ったようなファンは皆無なのです。

ここで注目したいのはむしろファンは月ノさんの行いをとても素晴らしいことだと受け取っていることなのです。ここで私は気づくのです。これは前回の郡道さんとの一件でも感じたのですが、月ノさんとそのファンだけでなく今のにじさんじを取り巻くファンの意識に共通するものなのです。

■世界の見かたの違い

私がいつしか感じはじめていたそういった‎VTuber界隈におけるものの考え方の齟齬は結局のところこういう価値観の違いなのだと思うのです。価値観と書いたように私はこれに対し善悪を断じたりそういった類のものではないのだと思います。

そう彼ら彼女らファンに悪意はないのです。自分らにとってそれが正しいことだと思っているだけです。同じ国に産まれて同じ文化圏で生きていても、たぶんその人たちが見ている世界と私が見ている世界は違って見えているのかもしれない。

例えば国によって牛や豚を食べない国だってある。そえは価値観や考え方や文化や風習が違うだけで間違ったことでないから。恐らく同じ日本人であってもそのような決定的な倫理観や価値観の違いやこの世界の認知の仕方や世界への向き合い方が違う人というのが存在しているんだなと。

例えば私はYouTuberの加藤純一を純粋な悪だと思っているけど、今のネットの大勢からしたら私の考えはかなり少数派なのだろう。むしろ今やこんな考えは絶滅危惧種かもしれない。今のネットの大勢では彼は肯定されている。だからこの倫理観の溝を埋めることは不可能だろうと思っています。

話を戻そう。つまりは郡道さんの一件や今回の月ノさんの発言などを通じて、ものの見かたや価値観や倫理観にも人によっては埋められない分断があるんだという気づきを得たのです。

そんな価値観の違いや倫理観の違いなんて遠いイスラムの国やどこか別の国の少数民族の話だろうなどと思っているかもしれないけれど、実は同じ国で同じ言葉を話して同じような生き方をして同じようなものを見聞きしてるような人たちでも、倫理観や尊厳レベルで全くの分断があるんだなと今更だけどあらためてそんな気づきをした今日このごろですよ。

そんな気づきを与えてくれた月ノさんはある意味私にとっての逆縁の菩薩なのかもしれません。

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