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中身の無さをハイテンションで誤魔化さないでくれ 『目々盛くんには敵わない 2』感想

 先日、約1年ぶりに発刊されたもりこっこ氏の『目々盛くんには敵わない』の続刊を読んだ。このマンガについては、前に1巻を褒めたことがある。しかし、今回の2巻ではその内容面でかなりがっかりしてしまったので、詳しく話していこうと思う。

1巻は良かった

 『目々盛くん』は、ある朝目覚めたら突然女の子になっていた元男子(朝おん系TSっ娘)が持ち前のハイテンションな性格で何でも乗り切っちゃうコメディマンガである。

 TSモノにおける王道の展開といえば、ある日突然性別の変わってしまった主人公の心の動揺、そして周囲との関係性の変化を描くことである。『目々盛くん』はこの王道に真っ向から対立して、「今を一番に楽しめればいいじゃん!」というTSっ娘自身の明るく前向きな精神を武器に、TSにまつわる諸問題を木っ端微塵に粉砕する痛快喜劇に仕立て上げた。「自分がどんな姿になっても、親友であることに変わりはない」という男親友との関係性に対する見事な結論。王道に対するアンチテーゼ。ここまでは良かった。

キャラクターの魅力的な新情報が皆無

 2巻における最大の問題点は、キャラクターたちやその関係性に関する情報が1巻からほぼ増えていないということだ。なんというか、原作に極めて忠実で独自解釈を排除した二次創作を読んでいるような感覚になるのである。

 この作品は、自称「ハイテンションTSコメディー」。登場人物たちの生活を描く作品であるから、ジャンル分けすれば日常系になるだろう。

 ここで、私たちは日常系というジャンルに対する認識を改めなければならない。キャラクターたちがなんてことない日常を過ごすだけなのだから、その日常に新情報は含まれないと思っていやしないか。否、なんてことない一日の中にも、登場人物の知らなかった一面や、新たな関係性が描かれるものなのだ。

 そして、日常系というジャンルは話の筋が無いからどこから読んでも大丈夫というのも、実は正確な理解ではなく、丁寧な地盤があるからこそ成せる技である。日常系を何話か飛ばしても楽しめるのは、既にキャラクターの魅力が十分に描かれているからなのだ。話の筋がないのではない。キャラクターのイメージを共有していれば、あなたが読み飛ばした分の話の筋に多少追いつけなくても十分に楽しめますよ、という意味だったのだ。

 今回の『目々盛くん』2巻は、1巻で登場した4人の中心人物たちについて、殆ど新しい情報を提出していない。目々盛くんはやたら積極的で何でも楽しんじゃう、来生はTSっ娘に翻弄される完璧な男親友、鏡子は常にマイペースでプロゲーマー、陽向は目々盛評価でなんかエロい。これらは1巻で提示された彼らの基礎的なステータスである。しかし、ここから先の情報が無い。2巻の出来事は、キャラクターに付与した記号をリサイクルしてそのまま出されただけなのだ。

 それはまるで、昨日の夕飯がミートスパゲティで、今日もまたミートスパゲティだったようなものである。続きを読みに来ているのだから、同じようなものが出てくることは知っているし期待している。しかし、私が食べたいのは全く同じミートスパゲティではなく、同じ材料にホワイトソースを加えて作ったグラタンなのだ。

 例えば、鏡子の属性。1巻にて、鏡子は格ゲーが日本トッププレイヤー級の上手さであることが示されている。日本トップクラスが仮に誇張であるにせよ、彼女について読者が知る重要な要素であるこれを利用して物語を展開させることができそうである。だが、2巻にゲームの文字はない。あるとすれば、「格ゲーが得意」を一般化した「エイムが良い」を演繹して、お祭りの屋台の射的で無双したくらいか。しかし、屋台で無双したからといって何かが起きるわけでもない。無双した後、話は型抜きに夢中になっていた陽向に移り、その後何のフォローも無いのだ。作品内において射的で無双できる腕前を持たされている意味も無ければ、実際に屋台で無双した意味すら無い。キャラに与えた属性を活かすような展開を作らず、属性を交換可能な記号として扱い、読者が知っていたことを再演する。これが、記号化した属性のリサイクルである。

 1巻の要素に何の足し算も無いリサイクルされた内容。先刻、原作の要素に極めて忠実で独自解釈の無い二次創作と評したが、かえってそれが面白く読者の求めていたものだということがあるのは事実だ。しかし、この二次創作的2巻の内容は面白くない。それはなぜか。

既存キャラを展開に活かさず、新キャラは無分別に投入

 キャラ同士の掛け合いを楽しむ二次創作を作ることと、一次創作でキャラたちの面白い掛け合いを描くこととの間には、大きな難易度の差がある。それは、魅力的で深みのあるキャラクター造形を自分で生み出し提示する必要があるかどうかだ。

 キャラ同士がなんかわちゃわちゃしてるだけなのに読んでいて楽しい二次創作というのは、読者の方に永遠にミートスパゲティをすすっていたいという需要があるからである。それは例えば、原作がシリアスパートばかりで日常シーンが僅かしか無いからとか、いかにも原作でありそうだけど描かれなかったシーンに放り込みたいとか、そういった欲望だ。こういう欲望は、「こいつらの日常をもっと見ていたい」と思わせるだけの魅力が既に描かれているから起こるものだ。

 一方で、『目々盛くん』はどうか。私は、主要人物4人ですらまだまだ描写不足であると感じる。登場人物たちに魅力的なバックボーンがあるように見えない。彼らが何者なのかが掴めない。だから、目の前で楽しそうにされてもその輪の中に入っていくことが出来ない。キャラの美味しい新情報をあとがきの登場人物紹介で出すな。なんのために200ページ弱も本編があると思ってるんだ。

 もし「TSモノの王道はやりません!」と宣言したのが1巻だとしたら、今回の2巻は何を描こうとしたのだろうか。王道を拒否したがゆえに、結局どこへ向かおうとしているかすら分からなくなっているのではないか。外見のハイテンションは中身の無さを誤魔化すための仮面になってはいないか。

 ハイテンションが売りなんです、というのだったらそれはそれで構わない。しかし、であれば「ハイテンションTSコメディー」のTS部分は置換可能なただの記号に成り下がるし、中身をよく知らないハイスペック人間のハイテンション生活を見たってSNSで知人の知人が投稿したキラキラフォトジェニックストーリー並みに面白くない。

 キャラクターたちが自分で動いているというよりも、ただ与えられた記号からはみ出ないように演じているように見えるという印象が抜けない。例えば、目々盛はどうしてこんなに明るい性格なのか、目々盛と来生の幼馴染関係はどのように育まれてきたのか、陽向は目々盛への恋愛感情をどう進めたいのか……。こういった要素の掘り下げを期待するのは私だけなのか。

 2巻を読んで私が最も不服だったのは、新キャラを2人も出したことである。主要人物4人に絞ってもまだいくらでも掘り下げられる要素があるにも関わらず、彼らを放ったらかしにして新キャラを登場させる意味が本当に分からなかった。……目々盛に姉なんていたっけか? 実は1巻で一瞬だけ登場していた。全く記憶になかったから読み返してしまった。まあ二、三歩譲って姉は血縁者だし出す理由もあるかもしれない。しかし、クラスメイトのお嬢様はどうやっても擁護できそうにない。主要人物4人の仲良しグループは同じ学校に通っているのだから、外部に頼らずとも学校で起こる出来事は描ける。クラスメイトは当たり障りないモブでいい。1巻によれば来生と陽向は同じ委員会だそうだが、一体どんな活動をされているんですか? 4人の描写をなおざりにしてまでスポットライトをあてて登場させる価値が感じられなかった。

 目下、私が懸念するのは、この雰囲気のまま3巻に入ってしまうかもしれない(というか多分そうなる)ということである。あとがきで「ほかにもまだまだ語りたいキャラたちが…!!」と言っているのがひたすらに不安だ。意味もなく属性を盛ったキャラクターを登場させてハイテンションな演技をさせることに終始するのであれば、敢えてマンガとして読む必要もない。見せ場を集めたイラスト集のほうが一枚一枚描き込めて良いだろう。なぜなら、『目々盛くん』2巻にはマンガという媒体でコマやセリフを尽くさねば描けないような物語がないからだ。2巻のタイトルコールのカラー絵、女の子3人が水に潜ったさまはキラキラしていて確かに綺麗だ。綺麗だけど、その綺麗さは文脈を無視したイラスト集でも描ける綺麗さだ。私は、マンガを読むときはマンガを読みたい。

 

『好きこそももの上手なれ!』に見る萌えシーンのつぎはぎ

 「イラストで良くないか」という懸念が私の頭にあるのは、実際にそういう末路をたどった作品を知っているからだ。それが、楠元とうか氏の『好きこそももの上手なれ!』である。

 『好きこそももの上手なれ!』は男の娘モノのマンガで、桃井さんごという女の子の格好をした女の子にしか見えない男が、女3人男1人の青野家に居候するという話である。この「男1人」が主要な視点人物であり、男の娘に翻弄されるポジションというわけだ。

 作者の楠元とうか氏は、Fateに登場するアストルフォという男の娘の二次創作イラスト同人誌を出版するイラストレーターとして当時知られていた。男の娘に関心のある氏が商業で男の娘マンガを出すというのでリアルタイムで買って読んで、その内容に私は心底がっかりした。このがっかり感は『目々盛くん』2巻に感じたそれの10倍はあって、1巻がいまいちで内輪で酷評していたのだが、2巻が出たというので「ちょっと悪く言い過ぎたかな」と反省して購入して読んだら1巻に輪をかけてひどく購入を後悔するレベルだった。

 1巻はまだ評価できる点があった。居候生活が始まった理由としての父親との確執、「男なのに女の格好してるんじゃない」という問題の解決のような何かがあったからだ。しかし、2巻はひとつも褒められるところがなかった。桃井さんごという男の娘のキャラクターの掘り下げや視点人物の男との関係性の描写不足にも関わらず、1巻で影の薄かった青野家の住人(こはく姉)についてページを割き、何が言いたいのかも分からないままにシリーズが終わる。建前上は完結ということになっているが、実質的には撤退の打ち切りである。

 実質的打ち切りになった理由は明らかで、男の娘の人格やその人間関係の魅力が全然描写されなかったからである。確かに桃井さんごはかわいい。このかわいさはDNAに素早く届く。しかし、桃井さんごという人間の中身が分からない。桃井さんごという人間が作品世界の中で生きているという手がかりが掴めないのだ。カラーイラストが上手いのはアストルフォの二次創作でよく知っているし、萌えるシチュエーションや映えるワンシーンの切り貼りをやるならイラスト集の方が良かった。

 

まとめ

現状の『目々盛くん』には、『好きこそももの』と似たような流れになってしまうのではないかという不安がある。徒な新キャラクターの登場、与えた属性を活かさないハイテンションという名のゴリ押しに見えるプロット……。2巻現在では、「『目々盛くん』は1巻で完結していたほうが、まとまりがあって良かったね」というのがシリーズに対しての感想になる。3巻も今回と同じ雰囲気ならば、私としては追いかけるのをやめるだろう。


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