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たくさんなうた

金子みすゞは、大正から昭和にかけて、流れゆく日々の暮らしのなかで、ぬくもりのあるなまざしで物事を見つめ、透き通った多くの詩を残しながら、自らの意思で26歳で早世した詩人だ。

西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛を浴びたという豊かな感性は、紡がれた言葉の確かさときらめきとをもっている。「幻の童謡詩人」と言われながら、埋もれていたみすゞの詩集が世に出されたのは、三十年ほど前であったと思う。

始めは、単純な詩だな、と思って読み始めたのだが、人であり生きていくことから生じてくる理不尽な想い、もの悲しさなどを奥深く秘めながら、それでもなお、視点を変えて明るいほうへと目を向けて生きていこうとする姿が、すうっと沁み込んでわたしの心を捉えてしまった。

誰にでもわかる易しい言葉で書かれているからと言って、単に純粋で優しい詩だと言うだけの次元のものではないことに気づかされて、縺れた糸がするするとほどけていくような気がした。

大震災の際、しばらくテレビコマーシャルが流れず、金子みすゞの詩が放映されていた時期もあり、「みんなちがって、みんないい」の言葉が改めて有名になった。さりげないこの言葉を、ほっとした思いで聞いたのは、わたしだけではないだろう。日本人は、みんなと同じが好きだ。同じだと心が安らぐ。皆と違う生き方を選んだ、特に強いられたひとは、なにか脱落者のように感じ、時としてみじめになったりするからだ。

話題が少しずれるかもしれないが、若い漫才コンビが「あたりまえ体操」というネタで売れたことがあった。確か「右足前に、左足前に、歩く、当たり前当たり前あたりまえ体操」と歌いながら歩く動作をした。その当時歩けないお年寄りを何人も担当していたわたしは、それを聞くたびに腹が立った。「歩く」ことは、当たり前だろうか、と。

さて、みすゞの故郷は長門市仙崎といって、宇部市出身のわたしの親友に言わせると、のどかな山間の道を通り抜けて、紺青の日本海が開けてくる場所で、最高の日帰りドライブの距離とのことだ。「みすゞ記念館」も建てられているらしい。

山口県出身の人には、みすゞの詩の中に、山口の方言が読み取れる、という。「遊ぼう」に「あすぼう」とルビがある。詩を朗読すれば、山口弁のイントネーションなんだけどな、と自慢げに言う。一度聞いてみたいものだ。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ「私と小鳥とすずと」より

おわり

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