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小樽夢日記

 羽田からの飛行機は、思ったより早く新千歳空港に着いた。雪かきされた滑走路は、黒く濡れ、所々白くささくれた薄い氷がへばりついていた。「滑りますから、足下に御注意ください」というCAの言葉に、ゆっくりと飛行機からの通路を歩いた。
 少し時間があったので、北海道の空気が吸いたくて、空港から外にでてみた。二重の自動ドアが開くと、吐く息が驚くほど白い。「煙りはき怪獣」にでも変身したようだ。人間は呼吸してるんだ、といやでも実感させられた。

 地下駅から、小樽行きの快速列車に乗った。線路の両側にはふんわりと雪がつもり、そこからまだ若い白樺の木々が、ほんの少し身をくねらせながら、空に伸びていた。白い幹はまるで雪の色に染められたようだ。そしてまわりの雪は、なんとやわらかくきめ細かなことだろう。苺の蜜をふりかけて、特大スプーンでサクサクとすくって食べたらどんなにおいしいことだろうと思った。

 小樽駅からのタクシーは、積み上げられた雪の間の狭い通路を走り出した。思わず「きのうは雪だったんですか?」と運転手に聞くと、「いやあ、たいへんでしたよ、前が見えなくてねぇ」と、きさくな返事がかえってきた。そう、地方のタクシードライバーはこれだから好きだ。地元案内の使命にもえているようにいろいろ話してくれる。
「いつも地元の人の行く寿司屋は、今日は水曜日でお休みだから、教えても
しかたないね」というところまで話が進んだところで、タクシーはめざすオルゴール堂に着いた。

 レンガ作りの建物は、フランスの街角に立つポストオフィスという印象だった。中に入ると、広いフロアにオルゴールがいっぱい!BGMも、オルゴー
ルの音がかなでる、ヴィヴァルデイの「春」だ。どんなに楽しい曲でもオルゴールになると、なぜか哀しく、はかない。パーツをくみあわせて好みのオルゴールを作る、というコーナーには、「翼を下さい」「家族になろうよ」など、いろいろな曲があったが、やっぱりオルゴールにはショパンのピアノ曲があう。古い洋館のビロードのカーテンのかかった部屋で午後のコーヒーを飲みながら、「別れの曲」を聞く。曲といっしょにバレーリーナーがちょっとぎこちなく踊りながらまわる……。そんな部屋のないわたしは、結局なにも買わずに外に出た。

 近くの運河まで歩いてみた。ここが、北海道開拓の玄関口だったのだ。大正時代に初めて蝦夷に渡った人たちの目に、新天地はどんなふうに映ったのだろうか。運河沿いの道は積み上げられた雪でうずまっていて、半分の広さになった通路をゆっくりと歩いた。対岸の倉庫の軒からは、思い思いの長さのつららがさがっている。観光客目当てに、ガラス細工のつららをはりつけたのか、と思えるほど見事なものだった。屋根に積もった雪が、とけておちそうになったまま凍り付いた時間の停止。今、この小樽を訪れている旅の時間も、このつららのように凍りつけて止めてしまえたら、と思った。

 さっきまで晴れていた空が、いつのまにか鈍色に変わり、粉雪が舞い始めた。運河のはずれに立って、もう一度ふりかえってから、駅へと歩き始めた。小樽の街はどこか横浜と似ている。レンガや石造りの洋風の建物がいくつか残されているからだろうか。そんな建物のひとつを通り過ぎようとして、「小樽文学館」の表札をみつけ、入ってみた。入場料を払い、2階に上がると、図書館に入ったときと同じ、本の匂いがした。小林多喜二、伊藤整、岡田三郎、小熊秀雄……知っている作家の作品や、自筆の原稿を見るのは、なにかうれしい。本が好き、といいながら、気に入った作家の作品しか読まないので、わたしの知らない作家も多く、名前をメモした。小樽を旅したあとで、彼等の作品を読めば、ますます感じ取れるものが多いかもしれない、と思いながら。

 外に出てみると、まだ雪は降り続き、近くの銀行の電光掲示板では
ー8゜の文字が光っていた。屋根に積もった雪が風にあおられて煙りのように舞い上がる。歩道のわきに積まれた雪に、新しい雪が降りかかり、さわってみるとフワリとここちいい。確かに寒い。けれども、気分が高揚しているせいだろうか、氷点下の寒さもそれほど気にならなかった。

 4時半、小樽駅から、札幌への電車に乗った。まだ通勤時間ではないのに、思ったより混んでいた。途中駅で乗り込んできた青年が、空いたばかりのわたしの隣の席をみつけ、声をかけてきた。
 「ここ、あいてますか?」
 「ええ、どうぞ」
 「どうも」
 笑顔がやさしかった。彼も観光客らしく、背負ったリョックを膝におろすと、ガイドブックらしい大判の雑誌を取り出した。そのとき、茶色のリボンのかけられた包みがチラリと見えた。だれかへのプレゼントだろうか?もうすぐわたしの誕生日だ。わたしにもこんな恋人がいて、誕生日のお祝にこんな包みをプレゼントしてくれたらどんなにうれしいだろう。窓を見ると、外はいつのまにか暗く、無意識に微笑んでいるわたしの顔がガラスに写った。

                おわり

もう十年以上も前ですが、真冬の小樽を旅した時の旅行記です。
北海道の冬は静岡生まれのわたしにとって、まさに本物の冬、
忘れられない夢のような日記です。

今年も皆さんや私にとって、健康で、たとえ病むことがあっても復活できる強さがあり、落ち込んでも立ち直れる勇気が湧いてくる、一年でありますように!

(ヘッダー変えました。以前のがちょっと雑然とした印象だったのでスッキリさせたくて)

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