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謙遜

夫の転勤で、私たち家族はオーストラリアと米国に十年ほど生活しました。日々の暮らしの中で、私は「国民性の違い」と言うものを色々感じました。
そのひとつに「謙遜」が挙げられると思います。私たち日本人にとっては、当たり前で美徳でもある「謙遜」ですが、彼らには通用せず、時として
奇異にうつるようなのです。

オーストラリアに引っ越した当初。三歳の娘を連れて出掛けますと、もの珍しさも手伝い、彼らは申し合わせたように、娘のことを「ゴージャス」「ラブリー」「グッドガール」などと褒めちぎるのです。

「とんでもありませんわ、いたずらですし、色が黒いですし・・・」と謙遜したいのですが、如何せん、英語がしゃべれません。私はひたすら精いっぱいの「謙遜」の気持ちを込めて「ノノノー」とうつむきかげんにつぶやくのみだったのです。そんな私の「ノノノー」が大変な誤解を招くことになろうとは・・・

彼らは自分の子供や、相手、持ち物、とにかくなんでも褒められたら、
嬉しそうに「その通りよ、ありがとう」と答え、謙遜することはまず
ありません。それどころか「誰もが褒めてくれるわ」とか
「世界一素晴らしい妻だよ」などとお見事なほどの自慢ぶりなのです。

そんなわけで折角の「謙遜」だったわけなのですが、英語力の乏しさも手伝って、なんと「日本人のあの子は健康そうに見えるけれど、どこか悪いところがあるらしい」と囁かれることになってしまったのでした。国民性の違いを痛切に感じた「謙遜」でした。


謙遜をグラスに注ぎ
本音で割ったら
微妙な味
旨いか不味いか
一杯いかがですか

                 おわり


これは、年上の友人から聞いた話をもとに、彼女らしい文体にして書いてみました。

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