結局

アイツが残した婚約者は後を追った。出会ったのが死後で。

出会いが奇妙で何もできないと分かっていたから何も言えないけど。最早延命治療しかなかったから。

何ができたのだろうか。来月にはあいつの誕生日。また別の悲しみが遺族に降りかかる。何ができるのだろうか。

いらない綺麗事を、どう埋め合わせるべきか。まだまだ問は終わらない。


中学一年の頃の頃担任に課された課題の今後の目標という欄に「これからの目標」という欄があって、書き出した回答が「本当の意味で優しい人になりたい」と書いたことを思い出す。それを見た担任に「多分すごく難しいし良い言葉が分からない」と言われたことを思い出す。

残念なことに悲しみを受け止めた人が自分自身のそれを癒やすために都合のいい言葉を晒す現場を見ている。(それが自分で良かったけど)

案外大人になって自分の悲しみと言い訳の為に他人を遣う。

そしてそのサンドバッグには本来の意味で受け止める人間を使う。(本当に自分で良かったと思う。恐らく血縁者とか自分の知らない親しい人の自慰行為に親しい人は晒されてるだろうから。)

来月来る新たな悲しみと苦しみに、どう向き合えばいいのかまだまだ問は終わらない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?