友人が死んだ。

僕の友達が死んだ。

死因は、端的に言えば自殺。一人で住んでいた家でひっそりと逝っていたらしい。

最後に会ったのは亡くなる10日くらい前、共通の友人の結婚祝いの同窓会だった。その頃居なくなった彼も婚約をしたこともあってとても盛り上がった。

その時話していたことは悩みや愚痴よりもこの先の未来に対する希望だけだった。傍から見てとても幸せそうな言葉の裏の本来の意味を汲み取れないくらいとてもキラキラしたものだけだった。

今にして思えば、というところは沢山ある。彼は孤独がとてもダメな人間だった。当時婚約者が留学していたこともあり二人で住む家で一人でやりくりしながら生きていた。婚約者と出会う前からずっと一人がだめで、常にそばにいないと妙な悩みを抱えていた。その頃は僕も学生で話が聞けたし皆で下宿している友達の家でバカやって遊べていた。

決定的に変わったのは就職後地方へ繰り出したあたりだった。現在の婚約者が地方在住ということもありそこの側へいたかったんだろうなと思っていたしそれはあながち間違いでもなかったらしい。本人は決してそんなことを言わない強情な意地っ張りだったけど。

最後のその会のあとも二次会やらやって友達の家で三人で泊まり駅で次は夏かなと言う話をしたのは僕一人だった。いつも通りの別れだったけど彼の後ろに何か黒いものが見えた気がした。でもそれは誰しもが抱える悩みや辛さで、触れなくても大丈夫だろうと一人解釈して約束だけ残した。

今にして思えば、それは一生の後悔だけれど。

遺書も何も残さず行ってしまった彼の最後に残したかった言葉は今も分からない。でも、分からなくて良かったと思ってしまう自分もいる。

残されてしまった人たちとお陰様で縁ができて色んな話をしている。最後の宿題を各々こなしているというのが正直な感想。

前に進もうとする人止まってしまう人日々の日常に飲み込まれるように対処する人。全員間違っちゃいない。とても懸命な判断を下して何とか生きている。

僕らは生きている。それでも抱えきれない苦しみを背負わざるを得ない時にどう歩めば良いのか、誰も答えなんかくれない。

今、僕は安酒を胃に垂れ流しながら何とか日常と世間を面にして接しながら生きている。一つだけ思うのは忙しくて良かったということ。社会の役割を担えていて良かったということ。こういう時の暇は大敵だ。

この罪悪感は多分一生拭えない。理解できないことは多分一生理解しなくて良いと思っている。生き続ける選択をした以上、許されるように生きる外案外選択肢なんか無い。

それでも一つだけ分かったことがある。こういう形で残された人間は皆加害者であり、最大の被害者であるということ。きっとこの答えは出ない、そしてやっぱり要らない。

でもやっぱり寂しい。クソジジイになって家族が居るかいないかは知らないけどそういう時にクソジジイじゃねえかって笑えなくなったから。

この先の彼は永遠に思い出でしか会えないということが。


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