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 一人くらいは始末しておきたいな、と彼は考えた。今までの仕事をまあまあ邪魔された記憶も、その気持ちに拍車をかけた。であるから、坂田の部下の一人である彼はまず立花と笠間を探した。塚越と西倉は放置した。西倉はともかく、塚越相手にどうこうできるとは思えなかったから。
 そして今、彼は物陰から笠間の様子をうかがっている。この新人刑事もちょくちょくこちらに首を突っ込んでは文句を言ってきた。ぺーぺーの癖に生意気だ、と日頃から感じていたのだ。さて、どこを撃ってやろうか……

「笠間君! 避難完了した?」

 もうひとり、誰か。女の声という時点ですぐに分かったのだが。

「立花さん! こっちは逃げ遅れた人いません」
「もう一回確認しよう。私は上に行くから、笠間君は下をお願い」

 やはり、立花だ。ここの警察署に来てから最も邪魔だった人間だ。こちらの方が先だな、と直感的に判断。銃口の向きを変えて

「そうは行くか、このクソッタレ野郎」

 知らない声がした。とっさに振り向いた。振り向く間を与えられたのだ、ということと、ぼんやりと聞き覚えがあるこの声は、坂田から録音音声を聞かされたときのものだ、ということ。このふたつが頭によぎった瞬間には既に銃弾が二発、自分の胴体に撃ち込まれていた。
 痛みと混乱が爆発する。立っていられない。足が崩れ落ちる。しかし思わず見上げる。静かな怒りに満ちた、対象の顔。黒い服の印象がやけに目に付く。あと、黒い銃口。

 三発目。顔面から頭部へ銃弾が斜めに貫き、彼の人生が終わった。

「あと、二人!」

 呻くように網屋は小さく低い声で呟き、作ったばかりの遺体を放置して走り始めた。

 自分と坂田を除く全員が既に息絶えたと知らぬまま、最後の一人は西倉を探していた。この立体駐車場内にいる人間はどいつもこいつも自由に動き回っている。その中から対象だけを探し出し、かつこちらを狙う人物から身を潜め、目的を果たすために行動するのは骨が折れる。
 が、彼は見つけ出したのだ。対象の片方、西倉を。

 西倉は五階に戻ってきていた。車周辺を探っている。向こうは向こうでこちらを探しているのだろう、様子から伺い知れる。自分が潜んでいるこの場所から西倉を狙い撃つこともできるだろうが、それでは確実性が低い。最初からそのつもりはない。
 故に、彼は物陰から飛び出した。

「西倉ァ!」

 あえて名を呼ぶ。自分のやるべきことは分かっている。合図のつもり、でもあった。きっと近くに坂田がいてくれる、こちらの動きに気付いてくれる。そんな願い。己が役に立てるのだという欲望。
 坂田には内緒で、一つだけキャンディを口にしていた。そのおかげで滑らかに判断ができる。この、思考が淀まない感覚が好きでキャンディを常習している。これでいいのだ、間違いはないのだと確信できる。いつも迷ってばかりの自分に道を指し示してくれる。だから。だから。だから。だから。

 その様子を、坂田はきちんと物陰から見ていた。この瞬間を待っていたのだ。随分と部下達は減ってしまったが、それでも、やらないよりはずっといい。心の中で彼に感謝しながら、坂田はスライドを引いて銃弾を一発だけ取り替える。いつもそのつもりで持っている、貫通力の高い弾。
 ありがとう、お前のような部下を持って、自分は幸せ者だ。助かるよ。ありがとう。役に立ってくれた。この感謝の気持ちをきっと忘れない。
 使い慣れた銃を両手でしっかりと保持。よく狙え。一発食らわせてやるだけで十分だ。流れ出す血は元には戻らない。ぽっかり空いた傷穴から失血してゆく西倉を放置してやればいい、それだけ。

 掴み合いになる二人。投げ飛ばされそうになるのを堪える部下。すぐに態勢を変え捻じ伏せようとする西倉。部下の松下は何が何でもそれに抗う。よく分かっている、狙いやすくしようとしているのだ。

「それでいい」

 呟いた。ごく小さく。肺にたったひとつ穴を開けてやれば、それで……

 寒気のようなものが坂田を襲った。一瞬、視線が逸れる。自分を見つめているのは人の目ではなく、銃口。黒い存在。

 ごく僅かな、まばたきひとつにも満たぬ時間であった。本当に微かな存在感であった。だが、坂田はそれが分かってしまった。分かる人間であったから。先程もその視線を浴びたから。そして何より、それは己自身が行おうとしていた行動であったから。故に、意識はそちらに引っ張られた。

「坂田!」

 聞こえてきた声は、気配とは反対方向の背後からだった。大きくはない、鋭い呼び声。塚越だ。しかし坂田は掻き回される意識を振り払い、トリガーを、引いた。

 だがその手は僅かに下を向いていた。放たれた銃弾は胸郭ではなく、松下と西倉の大腿部を貫いた。
 自分の意識が逸れたのと同じように、塚越の意識も撃たれた西倉へと向かう。しかし彼も振り切った。奥歯を食い縛ったのが頬筋の強張りで分かった。

 接敵はもう成されてしまった。作戦は潰された。塚越の怒りに火を付けてしまった。ああ、面倒くさい。だが、やらねばならないのなら、やるしかないのだ。

 坂田は体ごと振り向き、塚越に銃口を向けた。塚越の銃口もまた、坂田へと向けられていた。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。