赤におぼれる ~エンド3:これからも~

「……何でもありません」
エイは首を横に振った。いくら朔乃さんが同類で頼りになるからと言って頼っていい問題ではない。自分でどうにかしなければならないと思ったのだ。
「私、いきますね」
「はい。気を付けて下さいね。殺人鬼はいなくても不審者はいるかもしれませんから」
両手を胸の前で握り締めてエイの身を案じてくれる朔乃さんに罪悪感を覚えつつ、エイは笑みを返した。顔がひきつっていたかもしれないが、朔乃さんは何も言わなかった。
来た道を戻っていくと朔乃さんの鼻歌が聞こえた。入ってきた時とは違う物悲しい歌だった。それを背中で聞きつつ、エイは路地から出た。
大通りに出たエイは足を止め、左右を確認した。左は家に続く道、右は遠ざかる道。二度三度と見てエイは右に足を進めた。
段々と日常から遠ざかっていく。足元から這い上がってくる不安を振り払うように足を速める。
目的地が街灯に照らされて薄らと見え始めた。もうじきたどり着く。安堵の息を吐き出すのとポケットでスマホが音をたてるのはどちらが早かったか。驚きつつスマホを取り出し、ディスプレイを見る。
心臓が大きく跳ねた。表示されていたのは下手したら家族よりも長く一緒にいたかもしれない幼なじみの名前。通話ボタンも通話終了ボタンも押せずにエイはディスプレイを凝視していた。
呼び出し音が二桁を超えた頃、着信音は止んだ。残念なような安心したような複雑な感情を抱きつつもスマホをポケットにしまおうとした瞬間、再び着信音が鳴り響いた。
恐らく出るまで何度でもかけてくるつもりだろう。しつこいが、折角だから出ておこう。一番お世話になった相手に何も言わずに旅立つのはいささか後味が悪かった。
通話ボタンを押し、耳にあてる。
『やっと出た。今何処にいるの?』
声の大きさにスマホを耳から離しかけ、どうにか戻した。久しぶりにまともにカオルの声を聞いた気がする。耳に馴染んだ声に気が抜けて、返事をするのを忘れてしまった。
『ちょっと、聞いてるの?』
「うん。懐かしいなって」
『え? どういうこと』
訳が解らないと言いたげな声色。これから言う言葉を聞いたらカオルはもっと混乱するだろうな、と頭の片隅でぼんやりと思いつつスマホを強く握りしめた。
「カオル。色々ありがとうね」
『何、急にどうしたの?』
「後、ごめんね」
まだ声が聞こえていたが通話終了ボタンを押し、ついでに電源も切ってポケットにしまった。これ以上聞いていたら決心が揺らいでしまう。さよならと心の中で呟いて頭を振った。
電話しながらも足は止まらなかったお陰で何時の間にか目的地にたどり着いていた。
遮断機のない踏切。けたたましい音をたてながら赤い光を明滅させる警報機も電車がやってこない今は沈黙を保っている。
不気味なくらい静かだった。あまりに静かで自分の乱れた呼吸の音がはっきりと聞こえた。まだ時間はありそうだが準備はしておいて損はないだろう。エイは線路に立ち入り、真ん中で足を止めた。ゆっくりと目蓋を下ろす。目蓋の裏に映し出されたのは物心ついてから今に至るまでの思い出。どの思い出の中にもカオルが隣にいて、仕方ないなと言いつつも手を引いてくれた。
エイが死んだらカオルはどんな反応をするのだろうか。泣くのか、怒るのか、呆然とするのか、それとも……。
警報音が鼓膜を震わせ、思考は中断される。遠くで電車が走りくる音が聞こえた。ライトがちらつくのを薄めで捉え、再びエイはきつく目蓋を閉じた。
目を閉じていても解るくらいにライトが明るくなり、電車が走りくる音が大きくなって、もうじき全てを終えられる。そう思っていたのに。
鉄の塊がぶつかるのと違う衝撃が体にはしった。思わず「え」と声が出て目蓋を開けた。目の前を通り過ぎていく電車と視界の端をちらつく毛先。
自分の身に何が起こったのか理解するよりも先に背中に衝撃がはしった。着地地点は固いコンクリートではなく草むらだったらしく、大した怪我はせずに済んだ。
目を白黒させていると自分を抱えていた人物が顔をあげた。
「何やってんの馬鹿」
カオルの怒鳴り声に身を強張らせる。息も絶え絶えでトレードマークの眼鏡もかけていない、泣きそうに歪んだ表情のカオルが見下ろしていた。
「ずっと様子おかしくて探しても見付からないし、電話なかなか出ないし出たかと思えば訳の解らないこと言ってるし。やっと見付けたかと思えば死のうとしてるし。何なのもう」
初めて見るカオルの取り乱しように言葉を失う。何でそんなに心配してくれるんだろう、必死になって自分を探してくれたんだろう、さっきのだって一歩間違えればカオルだって一緒に死んでいたかもしれないのに。
「馬鹿なの」
思わず本音が口からこぼれ、カオルに睨み付けられる。カオルはエイには甘いが、たまに怒ると滅茶苦茶怖い。前に怒ったのは何時だったっけ、なんてエイは現実逃避を試みた。
「馬鹿はどっちだよ」
「おっしゃる通りで」
「ひとまず話は帰ってから聞くよ」
カオルは立ち上がり、手を差し出す。起き上がり座り込んだままカオルと手を交互に見ていると、焦れたらしいカオルに手を掴まれ強制的に立ち上がらせられた。そのまま半ば引きずるようにしてカオルの部屋まで帰りつく。
道中一度もカオルを血塗れにしたいと思わなかったし、手も出さなかったのは混乱していたからだと思うことにした。

「そんなこと?」
カオルの部屋に帰りつき、びくびくしなかまら洗いざらい話しているのを黙って聞いていたカオルの第一声は想定外のものだった。
「そんなことって何さ。私は結構悩んだんだけど」
「寧ろ一番近くにいるのに今まで何事もないのが奇跡だなって思ってた」
「嘘でしょ」
あまりにもカオルが平然としているものだから、エイの方が毒気を抜かれてしまった。気が抜けて机に突っ伏すと頭に衝撃がはしる。痛いと文句を言おうと思ったが、頭に乗せられた手は優しく左右に動いていた。撫でる手の心地よさに眠気が誘われる。半分夢の世界に旅立ちかけていたエイの意識はカオルの爆弾発言で一気に現実に引き戻された。
「そうだね。もし、もうどうにもならなくなったら言ってよ。その時は一緒に死んであげるから」
耳から脳に届いて言葉の意味を認識するまでにかかった時間は数秒。勢いよく体を起こすと「危ないなぁ」なんてカオルが呑気に笑っていた。
「馬鹿なの?」
「置いていかれるよりはマシ、かな。勝手に死んだら恨むからね」
「……善処します」
「そうだね。頑張ってね」
くすくすと笑うカオルを見ながらエイはもう少し頑張って生きてみよう、そして無くした眼鏡の代わりを買ってあげようと心に誓った。

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