SOS、物申し力・循環
つくづくこんな夜更けに思いますけども、ハッキリとした物言いと態度は私とあなたとあなたの大切なひとを必ず守れますよね。
必ずです、これは。
私は子供の頃から助けて欲しかった。
守られない子供でした。保護されない子供です。
だから自分で自分を助けよう、励まそう、教育しようとただそれだけでこの歳まで叩き上げて来ました。
叩き上げた自覚はあるが出来てるかどうかはわかりません。
何せぼんやりしています。
私はかろうじて生きてるだけでなんっもない人間です。
きっとあなたが腰抜かすくらい何もありません。
でもそんな自分を悪くないと思っています。
命があるし、こうして話し、何をしようか考える程度の余裕がある。
助けても背中から撃たれることも数知れず。
でもそんなの知ったこっちゃないです。
別にどの時も私がそうしたいからそうしてきた訳で、見過ごせないから進んでやったまで。
胸糞悪いのは御免です。
損得なんてくだらねえ。勝ち負けもくだらねえ。
どこそこで偉いとか知らねえよ。
ひととしてどう在りたいか、在れるか。
通用するかどうかはケースバイケース。
これに頷くあなたも多いんじゃないかと思います。
これにはかなりの確証があります。
私のようなニッチなぼんやりした偏った事ばかり言う人間の記事をここまでわざわざ読んでくださるようなあなたは首が捥げてもおかしくない。
どう在りたいかを感じて生きているひとだとお見受けしたい。
ここへ来て希望を混ぜたの?とお思いでしょうが希望は何より大切です。
光そのものですから。
歴戦に次ぐ歴戦。対大人、一対大勢、一対反社など、枚挙に暇がありません。
物騒なことは好みません。至極おとなしい性質です。
今はもうそりゃ平和にやってます。ご安心ください。
女子どもという侮蔑的な表現がありますが、昭和の時代を生き抜いた女子どもの皆さんは私と同じく、「反社や多勢に無勢が怖くて女子どもはつとまらねえんだわ」というスピリットをお持ちの方、実践してきた方も多いと存じます。
また応援支援、ご協力頂いた全ての時の全てのあなたへ向けてありがとうございます。
ここで私が何を言いたいかと言えば、ここでいう女子どもやそこへ協力、支援応援、改革を行なってきた同志以外の人への呼び掛けです。
これからする話は決して嫌な話じゃありません。
恨みつらみもない。ただ、自分を守るってどんなことか実践して欲しい。
そして自分や子ども、動物、自然、大切なひとを守る方法や手段はたくさんあるから共に学んで力を合わせて欲しいと願います。
私が助けを呼べなかったら、あなたの出来る範囲で助けて欲しいです。
よろしくお願いします。
黙ってたら助かるもんも助からないことがある。
でもそれは勇気のいることで一度二度で出来るようになりゃ見あげたもんだって事です。
大抵は出来ないまま経験を重ねる。
でもここからはそれじゃ自分を守ることも難しくなります。
誰のためでもなく、当事者として自分の為に共に真摯に自分を大切に丁寧に扱っていきませんか。
私も子どもの頃からやってますけど、これがまあむずいのなんのってね。
でも淡々と粛々と延々とやるもんです。
今出来なくても次がある。
この前まで出来ても今日は仕損じるなどand moreなんです。
共にどうすか?
自分を褒めて伸ばして励まして学んで育てて緩めて笑う。泣く、怒る、怯える、素直に。
ゆっくり、出来る時にできるだけで大丈夫。
嫌な事は嫌だと、おかしいものは是正していく。
自給自足は強いんです。
ひとからの配給を待ちませんから。
そうしていると、素敵なあなたやあなたの大切なひとから自給自足の私の下に実りや言葉や声、心、音、思いが届く。
ぐるぐると私たちは巡る。
カロリー高めのことを書きましたが、今言いたいことの全ては言えたように思います。
読んでくださったあなた、ご協力感謝します。
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