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シーソーと秤

同じような動きをするものの。

傾くことが前提、歌舞いてなんぼ、揺れに揺れてなんぼのシーソーと、

釣り合うことが前提の秤り。

シーソーって実は地面を足で蹴ってぎったんばっこんしますよね。着地も行う。
だから体重や身長に差がある大人と子どもでも遊べます。
じゃないと軽い方が怪我しますからね。
それくらい勢いはつく。
それがシーソーです。
受け身ができてこその武道っぽさも仄かにあるような気もします。
だから足で調節して遊ぶ。 
相手との間合いを楽しみ息が合うことの喜びをみる遊具。
そうするとひたすら楽しい遊びです。
あんな単調な、単純な仕組みなのに楽しいってすごいです。
ブランコとは訳が違って当人はただただその場で上下するだけという何ともシュールな遊具。

でもまあ言うてブランコも行ったりきたりって点ではシーソーとどっこいの遊具です。
しかし私たちはどちらも好み、楽しみます。

私はどっちもすきです。

そして私の中ではシーソーもブランコも2人で遊ぶ遊具のイメージなんです。
ブランコはひとりでも遊べますが、やはり隣で漕いでる友と競い合うようにして漕いだり。
互い違いになるよう調節してうまくいくと入れ違いになって何だか誇らしい。
同じ動きよりかは互い違いがおもしろい。
あなたはどうでしょうか?
同じ動き派でしょうか。
同じ動き派は複数乗りの箱型ブランコなどもおすきでしょうか。
私はあれだとテンションが下がります。
別に私がこれで遊ぶ必要がある??というような。早く帰りたいな…そんな気持ちになります。
あとはシンプルに酔う。
複数乗りといえば2人3人で漕げるタイプの自転車が近所の公園にあり、楽しんだ思い出もあります。
あれは意外と難しいです。
また、ゆるく漕いでお喋りをするなどがブランコの醍醐味。
シーソーだとお喋りはなく、ただ「あはは」と笑い合って無心に浮力やどのぐらい息が合っているかを楽しんで早めに終わる感じです。
ブランコは長めに遊べる。

そのような遊具として楽しいシーソー。

私はシーソーは心、秤りは頭、として使うことをより心掛けたいと思い始めています。

ひとりのこころで上下するのは遊びとしては不適切。何せ疲労してしまいます。
イエスとノーをぎったんばっこんはこうしてみるならほんっとに楽しくない。
ブランコでも同じです。
イエスとノーを行ったり来たりはそりゃ大変。
行ったり来たりをひとりのこころを乗せて扱うならちっとも面白みがない。

シーソーでも秤りでも私とあなたをその背に乗せて。

私とあなたをいい感じに乗せて、お互い足でふわふわっと地面を蹴って遊ぶならいいと思いませんか?
または交互になることを感じながらお喋りするブランコは楽しいと思いませんか?

そうしてそれでも揺れに揺れる日には秤りを持ってきて。
考えが釣り合うための微調整を行います。
飽くまで考えや思考だけを乗せて。
ガクン!となる遊具とは違い、調合などに秀でた精密な道具を使うなら私の暮らしはもっと楽に広くなる。
まるっきり釣り合わないものは乗せられません。
近しいものをより近く。

調整と調合の為の道具である天秤はそのように使いたい。 
裁くためでもはかるためでもなく。近づけるために。目線が等しくなるのをみるために。
その為に計らう。
そうするとよきものがうみだせる。
遊具であるシーソーやブランコはあなたと笑い合って使いたい。
そうすると楽しさと笑い声がうまれくる。

あなたは子どもの頃どの遊具がお気に入りでしたか。
よく遊んだお友達のすきな遊具を覚えていますか?
大人になっても遊ぶ遊具はありますか?

バネが下についたパンダやロバなどの跨って自力で揺らす遊具は人目につかない時間帯がお勧めです。



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