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ビジネスネーム・影踏み鬼【R18】

ビジネスネームは様々な観点視点からの導入が進みつつあり、これがもっと広まるといいなと思っています。
使っていてもそれこそ普通で、戸籍の名前とどちらも本人がカジュアルに選べたら道が大きく開き動いていくひとも多いと思います。
それこそ世界が急速に変わりいく要素のひとつだとと思っています。

何でそんなものが必要?信用ならない、何か後ろ暗いことでもあるんじゃないの?と思うあなたも当然いるでしょうし、大いに同意だよというあなたもいると思いますが私はビジネスネーム大賛成です。

異なる意見や世界が同時に存在する。

現状、私は本名を名乗りたくない。
知られたくない。
身を隠すようにして生きてきました。
こうやって日々しょうもない事をここで書き綴ることをしておよそ半年が経ちます。

これだけでも個人的には大躍進です。
そんな事で?と思うあなたもいる一方で私にとっては大した事でもあります。

あなたから私がどう見えているかわかりません。
またどう見るのも自由なんです。
私に対してどんな意見や感想を持つのも自由。
名探偵よろしく推理して何某かを感じるのも自由であり。

発言、行動には全て、言葉にしたなら動きをつけたならそれに応じて責任が生じます。
それは正当なものであり、それこそが自由。
そしてその醍醐味は自分に還元されるということ。

どう生きるかは私の自由だし、何を言い、何を言わず、何をし、何をしないかも私の責任。

私がここでわあわあ言うこともそうです。

日々、書くことの怖さや自分を言葉にしていくことの重みを感じる一方でそれに応じた解放感も得ています。

私にとって身を隠して生きることは自分を殺し続けること。そう感じています。
私は殺生を好まない。
なのに自分に対してこれをずっと行なっていたようなものです。
馬鹿馬鹿しい、くだらない、と思いました。
隠れなきゃいけないのは私じゃない。

ずっとそう思っていたし、知っていた。
でも途中で膝を突いてしまった。
立ち上がれなくなっていた私に掛けられた声、眼差し、心、手渡されたり風に乗って届いた便りの数々。

もっと言えば隠れなきゃならない人がいない。
そうあるはずだし、私は自分自身今そうあろうと取り組んでいます。
光が当たるのは暮らしを思い浮かべても時間帯の話や立地、もっとシンプルなことである筈です。
私のように自らかくれんぼをしない限りにおいては。

些か言葉が過ぎたようにも思いますが書いて表明することの大切さもまたこの半年で得ています。

少しずつ少しずつ、でも確かに道ができている実感。

人それぞれの背景をこの先は全体へ還元していく時勢。

道のりの厳しさや哀しさを明らかにすること、白日に晒すことなく力に変えることが可能な私とあなたであるにも関わらず。
何故、赤裸々に顔を晒し本名を晒し、そこまでしなければ人も社会も枠組みも変えられない状態なのか。 
力を合わせられないのか。
何を以って「真実と証明せよ」という世間の妄言に付き合わねばならないのか。
そんな証明要らねえだろ。
使い方間違ってんじゃねえぞ。
いつまで勇敢な人の熱意とご厚意にあずかり続けなきゃならんのか。
何でその人に追体験させ、猛攻をしなきゃならないの?
そんなこと、いつまでやるのか。
私は疑問に感じています。

だから私もこうして自分にできることを自分の責任の範囲でやり、暮らしています。
できることしか出来ません、私は。

強めの表現で失礼しましたが本音です。

得て来た景色をどうここから活かし合っていけるか。
子どもと動物が笑い合い伸び伸びとできるのも、子どもや動物の生きようとする健やかな力そのものと。
大人や社会のあたたかな温もりと眼差し、心の豊かさ、取り組みがあってこそ。
未来ある子どもと私たち大人は繋がっています。動物や植物、自然そのものとも。
そんな風にお互いが手を取り合い、肩を組めるひとや場所と出逢える季節になってきているように感じています。
憩い集い発展していく場は吹き抜けていて明るい。

毎度お馴染みですが、色んな人がいてそのひとりが私でもあり。あなたでもあり。
色んな日があります。

2024年の春風とは私にとってはそういう体感です。

あなたはどんな春の日をお過ごしでしょうか。


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