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揉み鞠

揉み鞠といえば昭和レトロな銭湯にある茶色いマッサージチェアを思い出します。

「揉む」という動作に今フォーカスしています。

通常の疲れや汚れを落とすには「揉み込む」というひと手間が大きく物を言う。

ぬめりを落としたり下味をつけるにも揉み込むという動作が入ります。

芯が強いというのは人間でも服でも頼り甲斐があり、パリッとしています。
とても大切なことだとも思います。
折り目正しいのも芯がしっかりしていてこそ。

しかし一方では就寝前に着るパジャマ、掃除に使う雑巾、テーブルを拭く布巾に顔や体を拭くタオルの芯が強いと。
これはまああなたも知っての通りあまり実用的ではありません。
落ち着かないというか心地が悪い。すわりがよくない。
しかし当然寝る時も顔を拭く時もバリッとしたものがお好みの人もいます。

また掃除した後の雑巾を洗う時、手に持ったまま左右を雑に擦り合わせて汚れを流した気になる小学生の如く。
私もまた自分に対してそんな扱いで汚れや疲れを落とせた気になることもしばしばです。

それで落ちないな、とぼやくんだから私というのは本当にぼんやりした人間です。

ひとの一日も芯の強さと心地よいくたっと感が混ざり合います。

バケツに水を溜め、沈めて雑巾自体を揉み込んで汚れを浮かせる。
ぬるま湯に浸けてやるのも効果的。
ぬるいことを指摘してくる野次に対してのあれやこれやも湯に落とすつもりでとことんぬるくして優しく揉み込む。

はー、いい気分だねってなもんで汚れが内から外からぐんぐん落ちる。

無闇に擦り合わせることで雑巾も痛む上に労力の浪費を防ぎ。
「本来何をするための動作なのか?」ということ自体にフォーカスを当てることが私にとっては目的です。

芯が強いものを馴染ませるにも揉み込むのは有効です。
これはタオルが想像しやすいかもしれません。

使い心地のよかったタオルや衣類がそこを通り過ぎてへたってきた場合はチャンスタイムでもあり。
「この柔らかさはどこそこの掃除にもってこいだな」と役割のシフトを私が計れるか否か的な話です。
或いは「お前を枕カバーにしてやろうか?ムハハハハ!」と某悪魔のような台詞を吐くのも一興。
新生、リニューアルは派手なことばかりではありません。

私はそういった基本的な動作を点検している流れにいます。

あなたは今どんな流れにいますでしょうか。

桜前線が北上していく今という時を毎年「日本は長い配置だなあ」というぼんやりとした感想を抱き実感している私です。

あなたは毎年来る四月にどんな感想と実感を抱きやすいでしょうか。


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