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童話と正義感と私・再解釈

あなたのおかげで私の心が軽くなった話をします。
プロフを更新致しました。一行に全部を載せられた気がする応援支援に対するあなたへの感謝。
応え。

それを、それ以外にも示しておけたらと思い。
まだ見ぬあなたへ向けてもこの手紙を記しています。

取り留めがなく過去イチ長いので、お時間がある時にお付き合いくださいませ。
読みやすく書けたらいいのですが、今はまだその段階にありません。
出す勇気が減る前に出す。なので、あなたの協力がなければ私は伝えることが出来たとしても聴いてもらう、知ってもらう、見てもらうことができません。
これを届けたいあなたに届くようにひとこと添えます。
何かしら気にかけてくださるあなたへ。

どうぞ、きいてください。
私の今です。
よろしくお願いします。


私が私を裁き、追い詰めた末のことならば。
それこそ私が捌き直し、解放すればいいのだと。

ヘンゼルとグレーテル。
食い詰めて子供を森に捨てるという非常に世知辛い童話。
最後に二人は無事家に帰り魔女からせしめてきた金銀財宝で父と三人幸せに暮らす。
母は病でセイグッバイという顛末です。

慈悲、というものが如何なるものかを終生私に問いかけてくる問題作の童話です。
体感しろ。体験しろ、と呼び掛ける。
その結末を絶対に許せないタイプの価値観、正義感を最近まで持っていました。

長としても組合員であってもこれはないんじゃないの、と。
胸糞が悪過ぎる。
それを昨年末頃に許容できるようになり、肩の荷が降りた。
ここでぼやき喚き散らかし、とっ散らかり取り乱し。
そんな乱心の乱世の私を見守ってくださったり。スルーしたりトスしたり、パスしたり私の預かり知らないところまでカバーされ。

あなたの発信を受けたり。あなたの言動が私に波及する。重なり育まれ響きあう。

ここまで辿り着けたのも。

あたたかな眼差しや心や指先で触れて頂いたあなたのご尽力の賜物。ありがとうございます。

これから先も色々と降ろしていく途上です。
同じく積荷が多いあなたは、ご一緒にどうすか?
ゆっくりと、降ろせる時に。 

今が無理でも虎視眈々といきましょう。

あなたのタイミングでいいんです。
私だってどれだけ降ろせるかなんて、この先ずっとやると思うんで道すがらお互いに目が合えば。
ああ、やってんだな。ああ、今そこなんだな、と。
私も通ったよ。私も今から向かうところだよと。
そう思って書いています。
地図やナビを示してもらえる世界。
私とあなたが交差する。
それが曲線、流線であるならば、交点を結んだ先にもまた出会う。
交点はいくつも連綿と存在する。独立した直線だと私は感じないからです。
あなたはどうお感じになられますでしょうか。
示された地図やコンパス、人波。
それらをどう使ったかを記すのも示すことになるなら拙くても示したい。

私は狭い世界で息を詰めていた。潜めすぎて危険水域でした。

ここで話を戻し、ざっくりあらすじを振り返ります。
こんな事では全員食い詰めるんだからとヘンゼルとグレーテルを森へ、と提案する父。
自分があり、貫く。
子は捨てるがある意味夫婦という単位に切り替えていく戦略のようです。

そんな無碍な…と言うけれど結局は夫に従う母。
あった自分をなくしてしまう。が、自分が選んだ一部組合員との生存を目指す。

パンくずを撒いて妹と帰ろうと算段する冷静沈着な兄。
従うだけでなく、生存と一部組合員に目を向けているようです。
しかし自然の摂理が関与してくる。

グレーテルは従いながらも起死回生を狙うのでしょうか。場面に従うが、動きながら考えるようです。案外臨機応変な雰囲気だけは漂っています。

そんなヘンゼルとグレーテルは三日三晩彷徨った森でお菓子の家に出会う。

無我夢中で食べ、その家の主である魔女に招き入れられるが実は二人を食べるという目論見。
その為のお菓子の家です。
魔女は資金が潤沢です。計画が派手目です。投資が効いています。
一旦夢を見させて、というのが優しいようにも見えるし落差をつけてより鞭が効くというドS感もあり見応えがあります。
ヒールは華があってなんぼというエンタメ性を感じます。

ついてはこやつらをパン釜で焼いて、…と。おや、グレーテルちょっと釜の調子を見ておくれ、といい感じにすっとぼけて誘導するという登場する年長者がまあまあ全員怖いという話です。ほうほうのてい、散々、金輪際と三拍子揃ったトドメ。
グレーテルは返す刀で魔女を返り討ちにして土産を持ち。兄と帰途に着きます。

私はいま、主にこの童話の父を再解釈したことにより荷が降りています。
最初の設定を無効化してよい、という価値観で歩いてきましたがなかなかどうして喉にある異物感は常にあり心身を削る。

その為の再解釈でした。
父を再解釈することにより、全員とその状況を再解釈し、許容できた。

しなばもろとも、という発想の父だったら全員が憂き目に遭う。
この場合、組合の舵取りをする長が父という役割を前提で解釈しています。
自分勝手だな、自分さえよければそれでいいのかという私の正義感はもっとも私を追い詰めた。
しかし、それでもいいんです。
どれだっていいんです。
なぜ許容できたか。その理解の道筋になったものは、言動の一致です。
そして結果的に組合員にフィードバックされた。

母の言動の不一致はやはり、己を追い詰めて無くてもよい病を得てしまったのではないか。
もし、無碍にできないという案を言動一致させていたら。
それを通したら。
それはそれで新たな目が生まれたんじゃないかとも思います。

議論がうまれ、割れた場合。
投票や数によれない折り合えないケース。
従うしか道がないならば。

父が通すか、母が通すか。
で、組合員の命運は左右される。
どちらの案であったとしても、大事なのはきっと意図を持って目的のために言動一致させること。
連携して協力すること。
そこからつくり、生み出す。

真摯に臨む。

目的を信じて求める。目指して進む。
来た道を憂うことなかれ。
意図と意思をもって出された手は必ず受け取られる。
タイムラグはあるかもしれません。
それでも今から出される手は、あなたも私も空を切らない。
それを私もあなたも知っている。
ここから行く道のみを見定める。
ビーコンとコンパスを見て、ソナーを起動する。
あなたにも私にも等しく搭載されている。
五感を活用し、私とあなたと持ち物と。この三つを信頼する。
その場その場で得られるものを余すことなく享受する。
受け取ったらまた渡す。

決めるにしても、従うにしても、折り合うにしても。
是となるよう尽力するよりないなと思うからです。
頃合いまでの待ち時間を活かす。 
待ち時間を持ち時間に変えていく。
温存したり、アップしたり。
工夫して見出し満たし、感じていく。
森を彷徨うヘンゼルとグレーテルもそうだった。

兄はできる範囲で助け合いを試みた。
自分が期待した成果を上げずとも妹の手を快く取った。

父も父で大概だけど、言動一致。そんな目に遭わせたんだから顔向けできぬ、とはならない。
これはこれでやはり天晴れともいえる。

ヘンゼルとグレーテルはホームスイートホームというものを改めてつくった。
ただ、帰った訳でもなさそうです。

ヘンゼルとグレーテルはその場その場の空気や様子を見て、出来ることをやりチャンスを窺った。流されるようで流されなかった。どのような状況でも協力して機会と希望を見出した。つくりだした。
抗うとは私にとってきっと臨むことだ。
あなたにとってはどうですか。
私、あなた。危ぶむこと勿れ。

腹が減っては心技体は整わぬ。
受けられるものは受けここ一番の落ち着きを発揮する。

ここで急にカメラのレンズとフィルムの話をします。
暗い場所で被写体を捉えるにはいくつか方法があります。
感度の高いフィルムを使う。感度とはISOというものです。
三脚を使い、レリーズを使う。レリーズとはセルフシャッターのようなもの。
そして、光を取り込む開放値の高いレンズを使う。
露光時間を常より長く適切に。
カメラの世界の一秒はとても長いものです。
普段のシャッタースピードとは1/1000以上。一秒をこれだけ分割する速さなんです。
露光が一秒を超えれば、勘所や経験値がない場合手ブレがかなり生じます。 
だから自然な呼吸をしているだけで、ブレます。息を一瞬止めたとしてもシャッターを押し込んだ時の微かな動きがブレを呼ぶ。

三脚やレリーズなどの道具を使う。すると自然な呼吸、動作を快適に保ちながら撮れます。

これらを使用すると、動きが速いものにも対応出来ます。
シャッタースピード優先か、絞り優先かなどを決めて挑みます。
敢えて躍動感を残す流し撮りというものなら三脚なしで手持ちのまま敢えてのブレを楽しみ、味わうことも出来ます。

これらを組み合わせれば、滝から眩しい光の筋が流れ出すような光景。
空に光る星々が曲線を描く写真も撮れる。
あなたも見たことがあると思います。
時や光の流れの軌道を映し撮ったあの景色の数々を。

暗くたって光は取り込める。
速くたって捉えることはできる。 
ないように思えて、確かにある。
私がいれば大丈夫。
あなたがいれば大丈夫。

オートのよさとマニュアルのよさ、モード選択のよさ。
共にいいとこ取りしていきましょう。

カメラにとっての一秒。
人にとっての一秒。
世界にとっての一秒。

時間は誰の上にも等しく。
しかし、一秒の感じ方は私とあなたの体感によって誤差がある。
それが私とあなたの体内時計。
どっちがどうとかきっとありません。
この誤差こそが自然であり。
私が私であり。
あなたがあなたであることを証明出来る唯一の識別機能なんじゃないのかなあ、なんて思います。
目が合って、手を振って駆け寄るための独自のテンポを刻む私とあなた。
あるとわかりやすい敷地の緑みたいなもの。
藤棚かもしれないし、バラ園かもしれません。
家庭菜園も素敵です。
ここから先はあなたの領域。
お邪魔するからにはまず礼から。
御参りするときの作法を思い出させてくれる鳥居のようなもの。

私は調律しています。怠っていました。
今こうしてこんなことが話せるくらいになりました。

そんなことを想い、伝え、調律する。
再解釈の流れに私はいます。
あなたはどんな流れで何をどう解釈していますでしょうか。

来年の今頃は読みやすいやさしい手紙を書けたらとここで定めておきます。

お付き合いくださり、ありがとうございます。


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