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掲揚

最近私の元にやって来た石と私の話をします。
そしてこれは私にとって、あらゆるあなたに救われここに立つまでの道のりの話です。 
漠然とした話と確かな話が混在していますが私の体験を記しています。
私と言葉、私と感覚、私と記憶、私と習慣、私と仲間の記録。

構成員とではなく、組合員のあなたを探して邂逅を果たし。更に同志を見つけて安心を感じる私の話です。とれたてです。

長いのでお時間があるときにお付き合いくださいませ。

天然石、パワーストーンと呼ばれているもの。

ブレスレットは持っているもののいつしか出番が薄れてしまう。
すきな気持ちとしっくり来ない感じを長年持て余していました。
茫漠とした違和感。
すきなのにな、おかしいな。 

手首の活動を妨げるものは腕時計でも極力避けたいという自分ルールを失念していました。

私の違和感の正体。
無意識で行われる自分ルールに依る無関係のものと私との間に起こる混線。酩酊。

そこを経て原石系のものがすきなのだと知りました。手で握れる。

やって来たのが掌に乗る石。
山を思わせる誠にういやつです。
片面がまるで山のよう、反対側は全く違った趣き。
心を掻っ攫われています。

掌に乗せて色んな角度から飽きもせず眺めるうちにいつしか頬がゆるむ。

掌に本当に山が存在しているかのよう。室内であってもまるで自然の空気。とても不思議な心持ちになります。 
石の厳かな佇まいと、でれずに眺めることなどもはや不可能な私とのコントラスト。
また、その境目を溶かすグラデーションを楽しむ。

そうやってひたすらに無心で愛でているうちにある事にはたと気付きました。
この景色、私は見たことがある!どこだ?

それは過去、記事にしたことがある眺めでした。
目に映る景色が同じだからはたと気付いた。 
こんな事ってあるんです。今の私はすんなり腑に落ちた。
それとわかった。
私はその記事でその先は未だ見たことがない、と締めています。
そこは私がずっと目指して来た通過地点であり、現在最高記録の場所でした。
眺めるだけで先の見えなかった風景でした。
そしてひとりでは到達できないと知っていた地点です。  
ここでの足踏みは気が遠くなるほど長く。
橋もない。迂回路もない。道もない。
切り立った過酷な渓谷が立ちはだかる。
どうやって渡る?この続きなんて存在している?
どう見たって空でも飛ばない限り道がない。

ひとりで到達できるのはここが関の山。
ここから先は仲間が現れると。 
だから耳を澄ませるのだと知った場所。
あの時点でそう遠くはないとも知っていました。
ここから共につくるんだと。

いま私の手にその先が納められている。
答えは確かに手中にあります。
石を裏返しあの景色の向こう側に立つ。
どうやって渡るのか見当もつかないけど、友が教えてくれると信じて自分のやれることをやれる分だけ。  
そうしていたら超えていたことに気付いた。
あなたの発信に触れ心を休める。笑う。

私の場合、これは挑んで得られるものとも全く異なる経験でした。
水を飲み、呼吸を深めて心身を巡らせる。
心身の強張りを解く。
体幹を使い脱力を試みる。 

挑んでいては辿り着けなかった場所、というのが今回の私の得た体感そのものです。
あなたの発信をたのしみ。
無心で石を愛でていたらある日到着していた摩訶不思議。
でもきっとそんなものなんです。
まだ試していないものを継続してやってみる。

すると気付いた時にはもう超えている。
そんな間の抜けた様も臆面もなく晒すこと。 
私ができるのは今日も今日とてそんなこと。
ありがとうと伝えること。
それには力みと澱みを淡々と取り払う。
私にはそれが肝要でした。
そんな体感です。

こんな風に私には私に合うやり方が存在する。 
色んな人、様々なやり方。
私が示すのは私のケースの提示。

大海という構成員との大海原。
組合員の有志がうみだす身近な親愛なる海。
日頃から目が合うあなたと私の海。
私が目指すのは大海原とは限らない。
それを知る。

同じ部屋、参照元や辞書が同じと感じられる仲間がシェアしてくれる地図を使い。
そして伴走してくれる仲間と私は超えた。

仲間が示す地図は最短ルートにして安全。
理由は至ってシンプル。
近しいひとの手により仲間へ向けて親愛を込めてわかりやすく実践しやすいデザインがなされている。

何より親しみやすさでスッと入りやすい。
それは誰でもすきな時に受け取れるようそっと置かれています。
そうして、私が受け取った先で使っても使わなくても約束された笑顔と信頼が込みです。
私の手に委ねられている。

有り難く確かに頂戴しました。
同じもの、或いはそれぞれの地図を別々の宝箱に持っている仲間。
重ねれば道は速やかにひらかれる。
私たちに手渡しで差し出してくれるあらゆるあなたの心意気だと感じています。
いつもあなたのご協力心より感謝します。
ポイントを通過致しました。

私にとって問いとはやはり立てる時に人目に触れさせることが大きな力となると思いました。
だけど発信はこれだけの力をうむし受信も同じく。
私をこんなにも歩ませる、私が受け取った言葉の力。
未知の可能性を呼ぶからこそ、私は責任や怖さを感じる。
だから言葉には爆発的な力がある。
だから頼もしい。
だからやさしい。
だからうれしい。
だから救われる。
だから前を見据えることができる。
だからこそ私が受け取るかどうかを決める。
私はもうあの日と同じことで立ち止まれない。
後戻りすることのない力。
私が受け取った言葉の力とはそういうものでした。
あなたの経験と真心で大切に包まれたあなたの言葉の力。
それがこの言葉を受け取ってくださるあらゆるあなたが私に渡してくださった言葉です。

あらゆるあなたの言葉が私に重ねられ。それを私に身をもって教えてくれた。
私が受け取らなくてよかった言葉、それを想う。それを知る。
私もかつて相手に痛みを与える言葉を用いた。
表現が至らない。でも学ぶことができる。
そんなことを想います。

私は言葉に寄り添われ助けられる。支えられて励まされ、笑いかけられ、守られる。
温度の感じられる声。

未だに尻込みします。 
全然慣れない。ずっと慣れないと思う。
でも、だからこそ私は学ぶ。
だから拙くても自分なりにやる。

問いと誓いは相乗効果。
そして、それは願いの追い風を受ける。
あなたの眼差し、心、指先からの温もりを頂戴することでこのように答えがこんなにも早くわかりやすく物理的にもやってきました。

答えはさながら早馬に乗って現れ。
流鏑馬を優雅に決める。その様、荘厳にして圧巻。

あなたの答えは一体何に乗ってどんな景色を眼前に、邂逅を果たしますか?

どうか共に安全な道行きとなりますように。


読んでくださったあなたのご協力、御尽力。重ねて感謝します。


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