mailerdemon・404not found・unknown&escape
メールを使う機会があるひとにはギクッとするタイトル、ごめんなすって。
一つ前の記事で触れた「かえり具合」というものについての好みを鑑みた時、浮かんできたことを記します。
メールの仕様によっては存在しないアドレスに送信した場合、我らのだえもんさんことdemonさんが召喚されます。
相手は応えないが、demonさんは律儀にこんにちはしてくる。
しかしこの「拒否」の示し方、受け取り方によっては社会的な問題も数多生じてくる。
届いていようがいまいが、存在しようがしまいが、うんともすんとも言わないメールの仕様もあります。ブロックか、拒否か、単にスルーか、返し忘れか、は判然としない仕様。
これだと謂わば激しめな類いの感情的なものがふんわりと霧散、着地する。
雲散霧消の代表格。
あなたはどちらの仕組みがお好みでしょうか。
またどのような手応えがおすきでしょうか?
私たちはあらゆるコミュニケーションを行う上でファウルに関して毅然と対応することが求められています。
しかし、ソフトでエレガントであるコミニュケーションが前提なら毅然とする必要なんてそもそもないと思うんです。
双方ふわっとやさしい手応えで通り過ぎるだけでいい筈。
コミュニケーションそのものの質。
私が求めていきたいものの筆頭です。
その上でこの毅然が出来るか否かも人によりけり。
どう考えても正当な返答を行なったところで、どんなかえりがあるか。
個人的にはここで個々の色は増したり減ったりしてきたと思います。
苦悩が滲んだり、歓びが溢れたり、数々の名シーンが生まれてくる場所です。
良し悪しとは別に本来の自分とは乖離した応答、という社会的、時代的背景を負ったスキルを私たちは身に付ける。
その負担を軽減するのが前述のような媒体の仕様だったりするのかなと思います。
このnoteでは404を示す時、美術館の様を導入しています。
ドキッとギクっとヒエっとグエっというあの心によろしくない負担をふわっと軽減するどころか。
あら、こんなのもいいわね。
こんな発想もあったわね。
そう楽しませてくれるようなかえり具合。
私は或る意味でこよなくunknownを愛しています。
unknownは私にとって行方不明の時間という茨木のり子さんの詩の趣きです。
決定的にいない訳じゃない。
いない時もある。みたいな割と気軽な行方不明感。
I'll be back感とでも申しましょうか。
何かまた来る時もある。どうぞお楽しみに!
みたいな感覚です。
なんかそういう「間」そのものを、育む時の流れ。
これってどうなるんだろう?という淡い前進の残り香を感じさせると申しましょうか。
どうなっているんだろうか?
余韻ともいえる、会いたいと願わせてくれる想いそのもの。
静まり返った水面を見つめていると、目を凝らせば淡く儚い気泡に気付くような。
そんな時間と想いを知らせる。
心が気泡となって上がってくる、そのこと自体を知る。
その想いの所在や場所を教えてくれることもunknownの佇まいのひとつなのかなと個人的には思ったりもします。
相変わらず私の表現では覚束きませんが、あなたならどんなかえし具合、どんなかえりがお好みでしょうか。
すきなやつ、うれしいものを、共に選び。
なければ共につくりましょう。
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