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話は続くよどこまでも

全ての感情は解放するためにあり、尚且つそれが私とあなたの高らかで健やかな、瑞々しい笑い声をうむ。

というのは私がここまでで色んな経験をして感じる事です。
もちろん大いに偏りがある今の私の個人的な感想です。読んでやっても苦しゅうないという方のみ、お目通しくださいませ。
心が揺れやすいよというあなたはまた元気な時に会いましょう。楽しみにしています。

悲しくても涙が出てこない、でお馴染みの私だからこそ心からそう感じる。

喜怒哀楽、それがピュアなものほど出すのが自然。
出した先の誰かしらの反応などはこの際傍に避けてピュアいものは取り敢えず出す。
すぐさま、すきあらば出す。
真っ直ぐに出す。
フレッシュなものをとれたて、うまれたてのうちに。
位がきっといい。

誤解を恐れずこんな事が書けるのも私の取り留めのない話をきいてくれるであろう日頃から育まれたあなたへの信頼です。
なっがい話を労力を使って読んでくれたり、指先と心と限られた貴重な時間を使って会いに来てくれる。
あなたからの愛、と私はこれを呼ぶ。
これは私とあなたがどちらも欠けることなく耳を傾けあい、認め合う中で共に築いてきたもの。
これに、長いも短いも関係ありません。

だって私の話に耳を傾けてくださるあなたよ?
今が初めてのあなたも同じこと。
抑制がめちゃくちゃに効いている、そんな気が致しますよ。私は。
こういう独断と偏見に満ちた独り言だって私の持ち味のひとつ。

ピュアいものって何なのさ?bpmちゃんよ。て話ですよね。
これは対人でも対自分でも、小指を角にぶつけたとかの対物、対事象においてもその場で起きたそのものに対して湧いて、うまれたもの。それをそこで出す!これです。
タイマンです。
仕事のように持ち戻るなど、しなくていいものの筆頭。
検討するほどにドツボにハマってしまいます。
それが感情という、あなたの宝物のひとつです。
大きなうねりや力をうむ源のひとつ。

怒と哀も盛大に出す!
「何だ、貴様」ぐらい怖い感じでもいいんだよ。
「…ング、……もうちょっとやさしく言ってよ…ね?」でもいい。

あなたのために、あなたの心を声やかたちにして示す。

言えなかったら泣き出したっていいんです。
それもできないなら、震えていい。
それもできないなら、俯いてもいい。
唇を真一文字に引き結んで見据えたっていい。
駆け出して背を向けて逃げ出したっていい。
赤くなっても白くなっても、青くなっても何だっていいんです。
ただ、拳は握ってほしい。それだけでも相手と自分に示す。わかってもらえなくても他ならぬ自分のためにそれが大切です。
あなたにも、私にも力がある。それは私が飲む物でもないし、あなたが飲むものでもない。
人に飲ませるものでもない。
全ての感情は飲み物じゃない。解き放つもの、健やかに保つもの。それが本来、自然というもの。
それがうむものは。
フラットな凪。澄み渡る水面。
水面を渡る風が漣を呼ぶ。
太陽が水面を照らす。
魚が跳ねる。動物が駆け出す。草木が生い茂る。
動きが生まれ出す。

陽射しを受けた漣が呼ぶものは、健やかなる強さとしなやかなる美しさと笑い声。あなたそのものです。
あなたの志そのもの。

どう思われたっていいんです。何を言ったっていいんです。
それこそが自由。
どちらがどんな反応をしてもいい、それが自由。
しかし、私たちは丁寧に受け取って持ち帰ってしまう。何度も手に取って色んな角度から検証してしまう。改善点を見出そうとする。そんなものなんですよね。私もそう。
でも、ポイってしていいものです。
あなたの心を真ん中に据えてください。
私も今そうしています。
物話はいつでも、常にそこからうまれます。

あなたのうむ、あなただけの仕草。
そこはあなたの偽らざるあなただけの言葉で。仕草で。
自分のために出す。それが巡って私たちのためになる。
自分を真摯に丁寧に大切に扱うために、出す。
あなたの気持ちを第一に考えて、自分のために示す。
相手のことを思いやるあなただからこそ、真っ先に自分を見てほしい。
調和を重んじることも大切。
ならばやはりあなたをいちばんに大切に扱って欲しいと私は願う。
ここで、あいも変わらずわあわあ言いながら。

旅路の中で痛い目にも嬉しい目にもたくさんあう私。理不尽な目にも、憂き目にも、あう。
やったことに応じるのも当然ある。
文字どおり、いろんな目にあう。
人の数だけあう私。

溜め込むと厳しい強い変換が起きてウチと外に向かう。経験上、特に内側に向かう人が私の周りには多いように感じます。
外へ向かった時は、それでもそうですね。それは悪意とかじゃない。単に諦めとして変換されて感情が出力される、というのが近そうです。

自分をわかってもらうよりかは、相手をわかろうとしてしまう人が多そうなんです。
そして、わかろうとした挙げ句それが理解できなくても。
理解できないからこそ、言われっぱなしで口を噤むことも多い。
なんでかって言ったら多分、そんな事を言われたらどんな気持ちになるかを誰よりも身をもって知っているからじゃないでしょうか。
或いは、わかる方がわからない方に合わせるより仕方あるまいよという達観なのか諦観なのか、というような。
気にならない人に合わせるか気になる方に合わせるか、と似ているようで全く非なるもの。
私の表現力ではちょっとうまく言えませんが。
それの繰り返し。
そんな連鎖を断つのに今が頃合いです。
一緒にどうすか?

私自身は、一般的な怒りの態度?何か、大声でとか、バーっと怒るっていうのが自分にはしっくりきません。
パフォーマンスとして、怒るという動作をしないと通用しない時にそれっぽいパフォーマンスをすることはあるっちゃあるけれどどうも違う。自分に対して嘘くさ!てなってしまう。
寧ろトーンが低くなります。
そして、自分の周りに何かが及ぶと怒髪天を突きやすく自分のことだと飲みがち。
だからここに覚え書きです。
ワトソンくん並みに書き残しています。
君が記録したまえよ、なんていうのもいいですね。

何かもっともらしい締めがあるとおもいましたか?はは、それがないのが私です。
言いっぱなしジャーマンスープレックス。

うまれたての今残しておくのがいいと思いこれを書きました。

いつもご協力感謝します。


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