見出し画像

犬と戯れる

私に生きていくことの全てを授けてくれたと言っても過言ではない愛おしい命を見届けてから長いようにも短いようにも感じられる歳月。

あんなにかわいくて聡明で凛として包容力のあるあの命が一度きりで終わるなんてありっこないな、と思います。

だってあの魅力と愛を私だけが、私の周囲だけがそれこそ囲い込む事なんてできやしない。
それこそ理不尽で不条理な話です。

あの恩恵と愛は巡るもの、そう感じます。

慈しまれる命はまた新たに誕生し。
私やあなたに巡り逢うに決まってる。
生きるってそういうことだと思いませんか?
そういった儚さを愛し、また愛される。
儚くてとてつもなく強靭なもの。
双方向で育まれた絆ってそういうものだと思います。
双方向で刻まれる愛。
誰も独占することは出来ないし、またそれは無意味で、そして必ず巡るもの。
俯いていたとしても、誰のもとにもやって来ます。

私にもあなたにも等しくやって来る。
何度でも幾度でも望むだけ得られる。

次は一体どこでどうやって逢えるのか私が楽しみ期待するのなら、命もまた私に逢って今度は何を共に見ようかと楽しんで計画している筈です。

離れている時間とは本来そうあるものな筈です。

余韻とは上質なもの。

そういうことを淡く、夢見るように心に溶かし込み。あの温もりを体感する。
あの笑顔やかわいい仕草を思い描く。
確かな実感を持ってそう感じられる過ごしやすさが春のすきな一面です。

迷い子で誕生日がわからない彼女を春生まれとして私が定めた春の日を今日も生きる。暮らす。

そこに居ようが居まいが私は祝う。
命に触れ合えた事自体を歓び合う。
かたちは消えても何もなくならない。
募り増えた愛情は寧ろ増していき、かたちを変えて新たな芽吹きを迎える。

うれしい記念日は果つることがありません。
色褪せることなく続いていく。
終わりのない旅路です。

やさしい夢を見ることができるのなら現実に興すことは可能です。
もし夢が見られないあなたがいるのなら、ゆっくり心身を緩めて守ることを最優先に。

私も少し前はそうでした。

夢も見られないのなら、それこそそんな現実を変える頃合いです。
やさしく柔らかでほっとする手触り、笑みが自然と溢れ出す温もりのひとや場所にあなたも私ももっと触れられる。

現実を見るということも、現実を生きるということも、もっともっと楽しく夢見心地であっていい。あって欲しいと私は願う。
生きることは楽しむこと。
夢のない事を現実とすり替えてくる野次は例え自分の声であっても頑としてスルーでいきましょう。
現実の手触りはしなやかで強靭で健やかでやさしい。そこには温度を伴う。
描いたものをあなたと私はこの手で創り出す。

それを思い出す春です。

どんなことも望んでほしいです、あなたも私も。
高くどこまでも自由に健やかに、羽ばたくように望んで掴んでほしい。

私はそう感じています。あなたはどうですか。
私もあなたもあなたの想うあのひと、あの子も同じ大切な命です。

あなたはいま春のどんな面を眺め、奏で、味わい、感じていますでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?