見出し画像

思い出はアルバムへ

息子が学校の授業で生い立ちを振り返るから、小さい頃のエピソードと写真を用意して欲しいと頼まれました。

最近は子どもの写真を撮るのは旅行中くらいですが、小さい頃は日常的に写真を撮り、ちゃんと現像してアルバムに整理し、コメントを書いて、いつ見てもどんな場面でどんなエピソードだったか分かるようにしていました。
その作業が苦ではなく、日常が愛しさで溢れていたので、残しておきたかったのは当然でした。

そんなアルバムも見返すことは少ないのが現実です。だから、今回のような頼まれ事をされるといいきっかけなので、アルバムを見返し始めました。

当然エピソードも自然と思い出せて、「あぁ、なんて懐かしくて優しい気持ちで溢れるんだろう」と、多分出産後や、始めて歩いた時の感動など、その時にしか感じれない思いが蘇った、思いがけない時間を過ごしました。

アルバムの大切さ

赤ちゃんの頃の写真や、娘が産まれてからの兄妹での写真は微笑ましいものばかりです。
成長した今も2人共思春期の偉そうな態度を取りながらも、くだらない話で盛り上がったり、息子は特に機嫌が良ければ話し相手になってくれるので、大きくなっても充分大切な存在ですが、幼少期はぷくぷくしていて、無邪気で可愛らしさが弾けているので、そんな姿や思い出を振り返るには、写真はちゃんと整理しておいて悪いものではないと思いました。

と言うのも、断捨離ブームの時に知り合いが写真整理をしていました。写真は必要最低限でよくて、アルバムを何冊も保管する必要はないとのことでした。確かに、見返すことはほぼ無いし、写真が多ければアルバムも何冊も必要になります。その保管場所も必要になるので、お気に入りを厳選して1~2冊にまとめると、今までアルバムが保管されていた場所が有効活用できるというわけです。

確かに、場所を取るアルバムたちですが、私もやみくもに現像してアルバムにしているわけではなく、お気に入りを選んでいます。
でも、日常的なものも多いので当然何冊にもなってしまうのですが、これを「思い出が手放せない」とか「片付け下手」というたぐいのものとは違うと思っています。
私には必要なアルバムなので、何が大切かを認識していればいいだけのことなのです。
人それぞれ価値は様々、写真の断捨離を必要と思えばやり始めるでしょうが、全く感じていないのに大切な写真を「流れ」や「流行り」ではなく、自分に置き換えてから行動したいなと思いました。

欠けているのは

それはともあれ、最近は唯一子供の写真を撮る、旅行へ行った時の写真すら現像していない状況です。
家族がそれぞれ自分のカメラやスマホで写真を撮るので、似たような写真が溢れます。その中からどれを現像したらいいか悩んでいるうちに、放棄してしまうのです。
現像を待っている写真をパソコンに保存して、まとめようと思いつつ、写真を見返すだけになっています。

写真を選んでくれるアプリがあるようですが、何故か「自分で選びたい」し、アプリでアルバムや整理も出来るようですが「現像して本のように見たい(本も紙派)」と、こだわりがある為の後回しですが、断捨離よりこちらの方が私の課題のようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?