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季節の変わり目と、様々な大人たち。

本当は課題レポートを進めないといけないのだが、最近、身の回りが落ち着かないので少し吐き出して(書き出して)頭をスッキリさせようと思う。

というのも、身近な家族や知人に、季節の変わり目が悪さをしているようなのだ。急に泣き出してしまったりする知人や、急に「移住するから」と言い始める親。いずれに精神が不安定であるらしい。
私自身は、毎年春がやってくるのが嬉しくて、この時期のメンタルはすこぶる好調なのだが、こうも身近に不穏な磁場があると流石に堪える。

その証拠に、先日とある集まりで聞いた「彼女たち(私たち)のやってるの(在学コースのこと)は、まぁ適当で卒業できるから」というコメントを、かなり気にしている。その場は適当な冗談で返したが、一人になってその言葉と向き合った時に、結構傷付いてるんだなと自覚した。
普段なら、多少腹を立ててから忘れてしまうようなものであるのに、どうも変だなと思う。思えば思うほど、そのコメントの存在が頭の中でムクムク大きくなってしまう。
春が私に悪さをしている。
そこ忙しい時期に。
いかん。
そう思って、この記事を書いている。

大人というカテゴリーにも様々なタイプの人間がいるので、先ほどの「偉そう」な大人もいれば、本当に尊敬できる大人もいる。
前者は簡単に人を小馬鹿にしたり、否定したりすることもあるが、後者はそんなことをしない。この両者に一度に会う機会などがあれば、その違いは天と地で、面白いほどに明瞭にわかる。
先述の集まりには、ちょうど私の尊敬している人も同席していたため、実は滑稽な場面でもあった。言いたい放題の人と、人の話を聞く人。年恰好は似ている二人だが、まるで異なる生き物に見えた。
後者の大人の方は、その帰りに私に「ゆっくり(勉強)すればいいから。一生できるから」と声をかけてくれた。
この類の言葉は、以前大学の先生からもいただいており、どうやら私に必要な言葉であるらしいと思っている。とても大雑把な言葉であるが、とんでもない包容力を持つ。ありがたいものだ。

となると、自分は一体どういったタイプなのだろうか。頼りのない経歴と気まぐれな性分だが、年齢的には立派に大人に属する。
しかし今日はこれに時間を使っている時間はないので、またいつかの機会に。

それにしてもうちの親は、なんであんなに突拍子もないのか。
まぁ、そんなタイプの大人もいるということです。いやはや。

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