図1

100億円の拾い方


贅沢には興味がないが、100億円稼ぎたいと思っていた。
実家の近くに50階建てのタワーマンションを建てて、その最上階から毎日絶景を眺めて暮らしたかったからだ。

もちろん、単にタワーマンションの最上階に住むだけでよいなら、2億円もあれば足りる。
しかし私がやりたいのは「タワーマンションに住むこと」ではないのだ。
「私の実家付近の土地を、高いところから毎日眺めて暮らすこと」なのだ。

私の実家付近には、高い建物や山が一切ない。
だから夢を叶えるには、タワーマンションを自分で建てるしかなかったのだ。

「なかった」と過去形なのは、その夢が既に叶ってしまったからだ。

私は今、実家上空150mの高さからの絶景を毎日眺めながら暮らしている。
実家だけではない。
自分がよく秘密基地を作ったりクワガタやカブトムシを採っていた林、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んだ路地や空き地、ザリガニを採ったりして遊んだ小川や田んぼ、通った幼稚園、小学校、中学校の、上空30~150mの高さから周囲を眺めて暮らしている。
味わい深い地形、動き回る人々の営み、はるかに霞む地平、どれをとっても、涙が出てくるほど美しい。

それらを、大きな4Kディスプレイに映して見ている。
ドローンで撮影した4K動画だ。

ここで重要なのは、
「テクノロジーの進歩によって、100億円に相当する価値を得られた」
ということではない
そんなことは昔からいくらでも起こり続けていることで、わざわざ言うまでもない。

重要なのは、
「ただ口を開けて待っていれば、その100億円が自動的に手に入るというものではない
ということだ。
その100億円は、「意識的」に拾いにいかなければ、拾えないものなのだ。

そもそも、普通に考えれば、ドローンで撮影した動画など、100億円のマンションの粗悪な代替品に過ぎない。
これのいったいどこが100億円の価値に相当するというのか?

私自身、最初は、ドローンで撮影した動画など、タワーマンションに住むことの代替になるとは、思いもよらなかった。

六本木ヒルズの森タワーのオフィスで働いていた頃、私は窓際の席に座っていた。
そして時々、はるか遠くまで広がる東京の街並みを眺めていた。
絶景だった。
眺めているだけで幸せだった。

しかし、それをやれるのは、ごく限られた時間帯だけだった。
窓から日光が入ってくるのを嫌がる社員が多かったので、ほとんどの時間帯、ブラインドを閉めていなければならなかったのだ。

もちろん、この問題は、ビルの北側に面した部屋をオフィスにすれば解決できる。
しかし当たり前のことだが、その場合でも、仕事時間のほとんどは仕事をしていなければならない。
窓の外をずっと眺めているわけにはいかないのだ。

窓からの絶景をたまにしか見ることができないのであれば、
絶景を見たくなったときだけ、それを大きな4Kディスプレイに表示すれば事足りるのではないか?
そんな疑問が湧いた。

もう一つの、そして、より決定的な問題は「窓からの景色はいつも同じで、バリエーションが物足りない」ということだ。
ドローンからの映像であれば、実家の周囲20km圏内のさまざまな場所の上空から、さまざまな高さ、角度、方向を見て楽しめるので、非常にバリエーション豊かだ。

特に高さが重要で、高ければ高いほど魅力的な景色になるかと言うと、そんなことはない。
30m、50m、80m、120m、150mの高度から撮影した映像には、それぞれ独特の良さがある。
なぜなら、高度が低いほど地上の様子がクローズアップされ、生々しい迫力あるのに対し、高度が高いほどより広い範囲を見渡せるからだ。
結局、どれが一番優れているとかは言えず、「みんな違って、みんないい」としか、言いようがない。全部必要なのだ。

さらに、ドローンを移動、回転、旋回させながらの映像は、また格別だ。
単に窓から眺めているだけの景色より、圧倒的に面白い。

このため、高層ビルの窓からの絶景を見ているより、ドローンで撮影した4K動画を大型4Kディスプレイで見るほうが、ずっと幸せな気分になれる。

仕事に集中したい時は、動く映像はうるさく感じるから、ドローン映像よりも窓の方がいい?
たしかに、周辺視野(目の端)で窓からの静かな景色をなんとなく意識しながら、中心視野でディスプレイを見て仕事するのは心地よい。
しかしこれも、ドローン映像の工夫次第で解決できる問題だ。
私が部屋の大型4Kディスプレイで仕事中に流しているのは、ドローンを非常にゆっくりと旋回・移動・上下させて撮影したやつだ。それを周辺視野で捉えながら仕事をしていると、まるで、高層ビルの窓からの景色を周辺視野で捉えながら仕事をしているような感覚になる。
しかも、それは自分の大好きな故郷の映像であり、かつ、ゆっくりと、壮大なスケールで変化していくので、トータルで評価すると、高層ビルの窓よりも心地よかったりするのだ。
これはむしろ、豪華で静かなヘリコプターに乗りながらパソコンで仕事しているような感覚と言ったほうがいいかもしれない。

それでも、窓からの「生」の景色を肉眼で見る体験にはとうてい敵わない。。。はず。
私も最初のうちは、そう思っていた。
しかし、時間が経つにつれ、それが「生」信仰でしかないことが、次第に明らかになっていった。

たとえば、ディスプレイは、窓からの景色とは光の強さも色合いも違う。
しかし私にとっては、微妙な色合いなんかより、撮影場所・高度・角度・方角などのバリエーションが豊かな方が、はるかに重要なのだ。

さらに言うと、窓の景色と違って、季節も天気も時間帯も、その時の気分で、自在に選べる。
11月の冷たい雨の降る夜に「4月の昼間、暖かくけぶる、はるかな地平」を眺めて、ゆったりした気持ちになることもできる。

もちろん、タワマンの窓と違って、ドローン4K動画は「自在に見回す」ことができない。
だから、没入感に劣る。
しかしそれもいずれ、ドローンに360度カメラが搭載されるようになって、VRメガネで見ることで解決されるようになってしまう。。いや、むしろ、窓の景色を遥かに凌駕する没入感を得られるようになるのではないか?
なにしろ、VRメガネなら、上下前後左右、全てが絶景なのだから。

そのうちVRメガネをかけて仕事をする時代になったら、正面には仕事用のディスプレイがあるが、それ以外は360度全て、自分の故郷の上空150mから眺めた景色にしておくこともできるようになるだろう。
そういう時代になったときでも、依然、タワマンの最上階に住むことには価値があるだろうが、少なくともその眺望には、今ほどの価値は感じなくなっているのではないだろうか。

それに加え、ビルの高層階というのは、とても不便だ。
コンビニに行くにも、スーパーに行くにも、病院に行くにも、ジムに行くにも、いちいち下まで降りていかなきゃならないからだ。

そう考えると、ごく普通の住宅に住んで、ドローンで撮影した4K動画を眺めて暮らしたほうが、よっぽど楽しく、快適な生活を送れるのではないだろうか。

いやいや、これは、認知的不協和が原因じゃないのか?
私は100億円を持っていないからタワマンを建てられない。
だから、タワマンが酸っぱい葡萄に見えているだけではないのか?

しかし、高層マンションの上層階に住んでいる知人のお宅にお邪魔したとき、その疑念も晴れた。
デジタルネイティブ世代の乳幼児が紙の雑誌をタップして「なぜタブレット端末のように画像が動かないのか?」と不満がるのに似て、私は「なぜ、タワマンの窓から眺めた景色は、ドローン4K動画のように、さまざまな高さ、方向、角度、場所、季節、日時を変化させないのか?」と不満を感じてしまったのだ。
部屋でゆったりと垂れ流しているドローン4K動画に慣れきった私は、タワマンの窓からの景色が退屈に感じられるようになってしまっていたのだ。

そんな経験と思索を積み重ねるうちに、私のタワマン信仰は少しずつ崩れていったのだ。

なんでこんなことを長々と説明したかというと、「ドローン4K動画撮影というテクノロジーからタワマンの窓に匹敵する価値を引き出すには、一般に考えられているよりも、はるかに多くの意識的な努力と創意工夫が必要だ」ということを言いたかったからだ。
実際、「仕事中の周辺視野に映す映像」という細部のユースケースまで精密分析しない限り、本当にタワマンの窓よりもいいかどうかはわからない。
また、実際にビルの高層階で仕事した時の経験と比較分析しない限り、本当に窓に匹敵するのかどうかもわからない。

単に「テクノロジーの進歩が100億円の価値を生み出した」などという、簡単な話ではないのである。

もちろんこれは、ドローンだけの話じゃない。
100億円が埋まっていそうなテクノロジーは、Oculus Go、Netflix、YouTube、Google Earth、Go Proなどいくらでもあるし、今後も、いくらでも出てくるだろう。
今この瞬間も、100億円が増え続けているのだ。

そしてその100億円は、「意識的」に掘り起こさないと、拾えない。

それを掘り起こすには、
第一に、「そもそも自分は何が欲しいのか?」ということを、よくよく見極めないといけない。
それによって、たとえば、自分はタワマンに住みたいのではなく、そこからの絶景を眺めたいだけだと認識できるようにしなければならない。
第二に、それを現在のテクノロジーによって、タワマンよりも、より効果的に実現する方法はないか、「意識的に」考え、試し、比較分析しなければならない。

これらをやってはじめて、その100億円の価値は自分のものになる。

漫然と口を開けて待っていれば、テクノロジーの進歩が、自動的にあなたのところに100億円の価値を届けてくれるわけではないのである。

それどころか、これらをやれば、ビジネスチャンスも見えてきたりする。
私は、これをやる過程で、今後、「周辺視野用動画市場」というのが生まれてくるのではないかと思った。要は仕事や生活をしているときの周辺視野に流す動画の市場だ。
この市場は、何千年もの間「窓」が独占してきた。
だから、人々は「窓からの眺望」に莫大な金を払い続けてきた。
テクノロジーの進歩により、ついにこの独占が崩れる、歴史的瞬間がやってきたのではないだろうか。

筆者(ふろむだ)のツイッターはこちら

この文章は、面白文章力クラブのみなさんにレビューしてもらって出来上がりました。


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