藤森家に起きた悲劇と奇跡
みなさんはじめまして。将棋の棋士の藤森哲也と申します。
この度コラムを担当させていただくことになりました。
将棋のことはもちろん、大好きな競馬のことをたくさんお話しできたらと思います。どうぞよろしくお願いします。
僕は、麻雀が好きで阿佐田哲也さんのファンの父によって、勝負に強い子になって欲しいという願いをこめて「哲也」と名付けられました。
麻雀のプロではなく将棋のプロになっているところが面白いところです。
ここでは僕の競馬との出会いをお話したいと思います。
僕が5歳のときに両親がよく「公園」に連れて行ってくれました。僕は喜んで遊び、父も大声を出して応援したりガッカリしたりしています。母は妹と一緒に焼きそばを食べたりジュースを飲んだりしています。その「公園」には服を着させてもらって「ポニー」に乗り写真を撮ってもらうサービスもありました。そんな「公園」に遊びに行くという日がたくさんあったのですが、その「公園」は実は大井競馬場だったのです。大井競馬場の内馬場にある子どもが遊べる場所で僕は遊び、父は競馬を楽しんでいました。
僕は知らないうちに競馬と出会っていたのです。
僕が初めて馬券を「当てた」のは5歳の時。何度も「公園」に家族で行っているうちに、僕の遊び方も少しずつ上達していきます。この時の哲也少年の遊びは地面に捨ててあるハズレ馬券を集めることでした。両親が見ていないところで大量のハズレ馬券を集めて掃除のおじさんには偉いねと褒められ、母親には汚いからやめなさいと言われていました。1度ハマったらとことんやる性格。両手に持てないぐらいのハズレ馬券を集めました。
そんな時に事件が発生します。父がメインレースの最後の直線で大声を出しました。見事に馬券が的中して家族は大喜び…のはずだったのですが肝心の当たり馬券が見当たりません。なんと父は当たり馬券を落としてしまっていたのです。競馬をやっていて当たり馬券を無くすということは最悪の出来事ですが、それが藤森家に起きてしまったのです。
父は落ち込み、母はなんで無くしてしまったの、と雰囲気は最悪。少し離れたところにいた僕を迎えに来ると、仏頂面で、さあ帰ろうと言いました。
ですがここで奇跡が起きます。「もうその手に持っているのは汚いから捨てなさい」と言われたハズレ馬券の塊の中に父の当たり馬券があったのです!家族4人は大喜びでファミレスに行き美味しいご飯を食べて帰りました。実際には父の当たり馬券でしたが、まるで自分が当てたかのように両親に褒めてもらったという、僕が初めて馬券を「当てた」話でした。
ここから時は経ち、哲也少年は36歳になりました。今では父と一緒に大井競馬場や川崎競馬場に行って、ビールと煮込みを食べながら馬券を楽しむようになっています。そしてそんな僕も8月で第一子が生まれお父さんになりました。子どもが大きくなったら一緒に「公園」に行きたいなあ。
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