【読書録】イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(河出文庫・2003)

 旅の途中で見聞した様々な都市の様態について、マルコ・ポーロがフビライに報告を行うという設定の小説。登場する都市はいずれも架空のもので、時代も一定していない。一つ一つの章は短く、またそれぞれに完結しているため、どこから読んでも特に支障はない。(解説によると、各章の配列には厳密な規則性があるとのことだが。)

 それぞれに奇妙な特徴を持つ、架空の都市について解説を行うという形式を取って、思弁的、哲学的な記述や文明論が随所で展開される。その、都市の描写の部分を、ファンタジー小説的に読むことも可能であるし、思弁の部分を警句的に読むことも可能だ。

 「お前は過去をふたたび生きるために旅しておるのか?」というのがこの時発せられる汗の問であるが、それはまたこんなふうに言ってもよかった――「お前は未来を再発見するために旅しておるのか?」と。
 そしてマルコの答は――「他処なる場所は陰画にして写し出す鏡でございます。旅人は自己のものとなし得なかった、また今後もなし得ることのない多くのものを発見することによって、おのれの所有するわずかなものを知るのでございます。(p39-40)
都市もまた夢と同様、欲望と恐怖で築かれております、(p57)
 いっそう難しいのは燕の道を地図上に書きしるすことでございまして、彼らは屋根の上の大気を横切り、目に見えぬ抛物線をつたって翼を止めたまま急降下し、あるいは突然、傍にそれて蚊を啄み、ふたたび高楼をかすめて急上昇しつつ旋回し、このような空中の小道のどのような点にあっても、都市のあらゆる点を見おろしていることができるのでございます。(p116)
 「知り合った人のなかでも死んだ人のほうが生きている人より多くなる、そんな人生の境目にやってきたのだ。すると記憶はほかの顔つき、ほかの表情を見出すことを拒否するのだ。新たに出会うあらゆる顔の上に、記憶がふるい形を刻みつけ、その一つ一つにたいしてもっとも似合いの仮面を見つけ出してやるのだ」(p124)

 主人公がマルコ・ポーロであるのは、この作者自身がイタリア人であることが理由の一つなのかもしれないが、その聞き手として設定されているのがフビライであることには、それなりに重要な示唆がないだろうか? 人類史上において、最初に世界帝国を幻視し、世界そのものに辿り着けなかったのが、モンゴル帝国なのであるから。


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