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下丸子で本が売れる

 二〇二一年も、終わろうとしていた。
 十二月二十六日、大田区下丸子の区立施設にて、文化系創作物の即売会が開かれた。私にとって数少ない文学仲間、松岡さんが出展するというので、お手伝いとして参加することとなった。雑用係をする代わりに、私の旧著もブース上に並べて販売することが許されるという。対面で自著を販売する場は、コロナの発生以来、初めてのことであった。
 会場の最寄り駅である下丸子は、東急多摩川線の単独駅である。下車するのは初めてだ。小型商業施設が、駅前にコンパクトに集まっているのが、いかにも東急多摩川線の駅らしい。商店の数はさほど多くないが、東横線との接続駅である多摩川駅よりは、まだマシな状況だ。普通の庶民として日々の生活を送るのならば、多摩川駅近辺(番地としては田園調布一丁目)よりは住みやすいだろう。
 このイベント会場に入るには、入場料がかかる。そのため、客層にはある程度のバイアスがかかり、偏りがあると言わざるをえない。主催者側も、そのことは理解しているようで、イベントの名称も「No way maniacs」と銘打っていた。


 松岡さんは、この夏に上梓された新著『東京フリマ日記』を販売していた。それと合わせて、オリジナルグッズである、手作りのペンケースや手帳ケースも販売されていた。ペンケースは、松岡さんの鉄道趣味と大田区愛を反映し、独自に想像した蒲蒲線が描かれたものであった。手帳ケースにもまた、福祉専門家である松岡さんの専門性が反映され、障碍者手帳の大きさに合わせた作品であった。また、小枝の表面を白くペイントしたアクセサリーも売っていた。松岡さんは、この数年来、フリーマーケットに出店するたびにこのアイテムを並べているが、誰が何に使うものなのか、誰にも分からなかった。が、評判は悪くなかった。使用価値は不明だが、その存在自体が肯定されている。価値や意味に回収されないそのあり方は、言葉の真の意味におけるアートに、迫っているのではないかと思った。
 そんな机上の一角に、自分も旧著を並べることが許された。寛大なる松岡さんの温情処分で、分不相応に広いスペースを頂いた。


 右隣のブースでは、松岡さんのご主人が、アジア系の骨董品類を売っていた。寒山拾得図の掛け軸が目を引いた。美術品として、どれぐらいの価値があるものかはわからない。
 岩波文庫の復刊企画で、寒山詩を入手して読んだことを思い出した。非常に古い時代の岩波文庫で、カバーデザインも現在のものとは異なっていた。禅語が多く、予備知識の無い自分には、良く理解できなかった。(次いで、坂田靖子の短編マンガを思い出した。大晦日の夜、古い商家の庭に寒山と拾得が迷い込む話で、苦労人の番頭が、新年の支度に忙しい合間をぬって、彼らの面倒を見るのだった。……後で読み返すと、その苦労人の番頭は、松岡という名前だった。)
 左隣のブースでは、和服の女性が、オリジナルの猫のキャラクターグッズを販売していた。こちらは和風テイストだった。販促の合間に、名刺交換をした。期せずして、両隣をアジア系の出展者に挟まれることとなった。
 交代で休憩を取り、会場を見て回る。前衛的な表現物やグッズも、多く売られている。中には、あからさまに性的で、年齢制限が課せられた表現、ジャンルとしてはBDSMに属すると思われる服飾品、その他諸々の過激な表現を含むものが存在している。区立の公共施設で行われてはいるが、ある種のアングラっぽさが感じられた。
 
 物理的にも、この会場は地下にあるため、スマホは全く繋がらなかった。Wi-Fiなども、無いようだった。
 朝から何も食べていない。施設外のコンビニで、遅い朝食を買って食べた。
 松岡さんのブースには、松岡さんの旧友、知人が何人も訪れた。もちろん、目当ては松岡さんの新著なのだが、中にはありがたいことに、私の旧著に興味を示して買って下さる方もいた。その人も含め、この日は、自著が二冊売れた。コロナウイルスの発生以降、自分の本が売れたのは、これが始めてであった。
 終了時間が近づくと、主催者ブースでは、聞いたことがない名称のポテトチップスを無料配布し始めた。違う味のものを一袋ずつ、計二袋貰った。パッケージを確認すると、埼玉県内の食品メーカーの商品とのことだった。
 イベントが終り、撤収を行い、外に出た。松岡さんの自転車が停めてある、駐輪場の奥の方まで、荷物を運んだ。この施設の屋外駐輪場はとても広く、強い風が吹いていた。松岡さんは、自転車の両ハンドルに大量の荷物を天秤のようにぶら下げ、風の中を風のように走って行った。
 自分は一人、駅前の踏切を渡り、雑居ビルの二階の喫茶店に入った。自分以外の客は既に無く、窓際の席を選び、考え事と書き物をした。下丸子駅南側の踏切が良く見える、トレインビューな店であった。


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