患者と残雪

 外に出た患者の視界に高層ビル群の輪郭が入ってくる。治療は終わっている。まだ十時にもなっていない。土曜日の午前という時間そのものが持つ寛大な力のために、患者の心は自然と朗らかになる。冬の空はどこまでも澄んでいる。
 東日本全域の社会と交通とに大混乱をもたらした月曜日の雪が、住宅地の路上の至るところにまだ残る。外気は冷たく、患部はまだ痛む。駅はさほど遠くない。四本のレールが南北に走る切通し沿いの道を南へ歩いていく間、橋上駅舎の屋根の上方に、ビル群の姿が山稜のように遠景として常に在り続ける。
 冷気によって洗われた空色一色の空に、櫛比する巨大なビル達が鮮明に対比される。直線で構成される建造物の集合の中で、ただ一者、モード学園コクーンタワーだけが、曲線のフォルムを誇示している。いつ見ても、どこから見ても、何度見ても、その存在感は強固なものとして再確認される。
 (二十一世紀の最初の十年、いわゆるゼロ年代の新宿副都心景観史は、コクーンタワーの竣工以前と以後とに区分される。)
(そしてまた、二十世紀末の新宿副都心景観史は、東京都庁ツインタワーの登場以前と以後とに区分される。)
 しかしながら、都市論や建築史に基づく解釈や叙述を、この午前の患者は必要としていない。この午前の空が雲を必要としていないのと同じように。それらとは全く無縁なところで、この台地から望むビル群の姿は純粋に美しいと、ただ思うだけだ。景観は誰にとっても平等だ。何者をも差別することなく、万人に等しくその美を分け与えてくれる。
 痛覚はまだ継続している。朝食は摂れない。
 駅前広場の残雪は、ほとんど取り除かれていない。踏みつけると靴の裏は沈まずに、硬く跳ね返される。力を加えると滑る。既に雪ではない。数日にわたって踏み固められ、そのまま凍結したために、その表面は非常に滑らかな、ということはすなわち非常に危険な、氷の板となってしまっている。
 患者のスマートフォンのデザインは、取り立てて洗練されたものでもない。
(アンドロイド端末である。)
(仮想移動体通信業者のSIMカードで機能している。)
(本体も通信料も廉価である。)
(日常生活における通話や通信には全く支障ない。)
(新宿西口のヨドバシカメラにて購入したものである。)
(ヨドバシカメラの建物はここからは見えない。)
検索を行う。情報を得る。目的地が定まる。駅舎正面の屋根に掲げられたステンドグラスは良いものだ。改札より入る。
スタンプラリーのスタンプ台が駅構内に設置されている。女の駅員がインクを補充するのを、一組の幼女と父親とが待っている。東京都内とその近辺のJR東日本駅にて開催中の、機動戦士ガンダム(初代)のスタンプラリーだ。二月末日まで行われるという。少し興味を示した後、患者は階段を降りる。
 橋上駅である目白駅の改札階から、駅の歩廊に至る階段はすなわち、神田川流域の低地に向かって、目白台地の標高を少し下る階段でもある。
 新宿・渋谷方面の電車を待つ。来る。乗る。

 高層ビル群が成す峡谷の底の、乾いた灰色の平面を患者は歩いていく。休日の午前中に、人の姿はほとんどない。雲一つ無い青天ではあるが、巨大建造物が地表に投げかける影もまた非常に長大であるために、日影の中を進み続けている。西に向かう。
 車道同士が立体交差する都庁前の路肩に、マイクロバスやボックスワゴンが何台も止まっている。周囲の人間は撮影機材らしき道具を携えている。患者は特に関心を示さず、その横をただ通り過ぎる。見たことがある芸能人やアナウンサーはいない。
 滝の広場には、それなりに人がいる。壮年以上の高齢者達は、その辺りの様々な事物を、気の向くまま撮影している。老人にとっても、この大雪による雪景色は珍しいものなのだろう。小学校高学年ぐらいの少年達が、スケートボードで遊んでいる。日照の角度の関係で広場の南半分は雪で覆われているため、アスファルトが既に露出している北半分のスペースで滑ったり跳ねたりを繰り返す。時折歓声があがる。仲間内の誰かが、何かしらの技を上手く決めたのだろう。子供は元気で良いと、患者は思う。
 この残雪も、ここまでに見てきたそれと同じように、滑らかに硬く凍結している。
 鉄道に乗る直前に患者が検索した情報では、この時間、この場所では、フリーマーケットが開催されているはずであった。中止されている。患者は特に失望はしていない。フリマが中止となった割には、この時間からこの場所には、結構な数の人が集まっているなと感じる。
 滝も流れていない。ただ、この一週間の非常な大雪と残雪のために放水を中止しているのか、冬季はそもそも最初から放水を行っていないのかは、患者にはわからない。凍結した滝壺はとても静謐で透明で、その水底まで一直線に冬の光を通す。この空と同じだ。
 ある落葉は、その凍結した氷中に閉じ込められ、また別の落葉は氷上に静かに置かれている。氷に閉じられて静止した落葉を、老人達が熱心に撮影する。その前面に巨大なレンズが装着された彼ら彼女らのデジカメは、いずれも高性能の高級品のように、患者には思える。氷上の落葉は、風が吹くと儚げに転がされるのではなく、その形状を崩さないまま横に滑って移動する。誇り高く姿勢を保ってリンクを駆けるスケート選手のようであり、順風に恵まれ凪の海を進む帆船を俯瞰したら、このように見えたのではと想う。
 患者自身も撮影を試みるが、そのスマホの解像度は低く、拡大撮影能力には限界がある。上手くいかない。適当な所で諦めて、滝や広場の全景を何枚か写し始めたようだ。
 歯科医が歯を削るようには、この街の除雪は容易には出来ないものだとふと思う。
 そろそろ何か食べたくなる。歯の痛みは大分以前から消失している。患者は既に患者ではなく、ただの歩行者となっている。

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