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【Q5.南極観測船宗谷・特急宗谷・宗谷岬】1.南極観測船宗谷にて

 お台場の船の科学館によって保存・管理されている施設、南極観測船「宗谷」の見学時間は午前一〇時からだ。少し早く到着したので、時間まで船体と周囲を撮影して周る。

 道路とゆりかもめの高架を隔てた反対側の敷地では、既に何かの巨大イベントが始まっていて、その司会者の声がここまで聞こえてくるのだが、今自分が居る国際クルーズターミナル側はただ蝉が鳴いているだけだ。自分以外にほとんど人は居ない。既に高温である。
 開場と同時に入場する。入館料は特にかからないが、寄付金のお願いをされる。この施設は寄付金によって運営されているとのことだ。


 狭小な通路を進み、船内を見て回る。一般船員の船室は、やはり広いとは言えない。居住スペースは狭く、二段ベッドとなっている。目視した感じでは、寝台の面積は、商船三井のフェリー、サンフラワーのコンフォートクラスの寝室と同じくらいか? 快活クラブのフルフラットスペースよりは、縦長な印象だ。立山の室堂の登山者向け宿泊施設、みくりが池温泉の二段ベッドよりは、やや小さいか?

 解説コーナーの情報によると、この船は元々は、戦前にソ連から発注され、長崎県の造船所にて建造されたものだという。当時の国際情勢の変化を受け、ソ連への引き渡しが中止され、民間船となった後、戦時中は軍用船として用いられ、戦後は灯台補給船として働き、初代の南極観測船となったという。複雑な履歴を持った船であるが、その名を冠された宗谷海峡を渡る連絡船として働いたことは無いようであった。

 初代の観測隊員を南極まで送り届けたのはこの船であり、また、映画で有名な樺太犬、タロとジロを乗せたのもこの船である。 

 記録映像をザッピングしながら見る。映像内の船員が双眼鏡を持っているのを見て、今日の自分が双眼鏡を家に忘れてきたことに気づく。南極に辿り着く以前に、赤道付近を通過する際の酷暑と荒天が、人にも犬にも堪えたと言う。寒冷地の自然環境に適応した身体を持つ犬種にとっては、特に辛かったであろうと推察される。アムンセンや白瀬中尉の伝記にも、似たような記述があった記憶がある。(スコットは犬ではなく馬を使い、それが敗因であり遭難死の原因だったとしばしば指摘されている。)船内で正月を迎える船員と隊員。吊り下げられて体重を測定される樺太犬。 
 帰路は流氷の中に閉じ込められて立ち往生し、ソ連の船により救援されたという。 
 船長室はやはり広い。調度品にも高級感がある。椅子に人形が置かれていて、一瞬ギョッとする。調理室、食料保管室、広い。食堂、やはり広い。食堂は娯楽室を兼ねている。


 床の一部がガラス張りになっていて、船底のエンジンが覗けるようになっている。解説ビデオでは、船員のコスプレをした柳生博が、シリンダーエンジンの機構を解説している。コミケは今から一週間後だし、その会場はここから三駅ぐらい先なのだが。柳生も、少し前に故人となったので、このビデオは少なくともそれ以前の時代に撮影されたものだ。NHKの動物番組をふと思い出した。


 通信室。船の中で最も重要な設備なので、やはり広い。
 船首側に登る。高架上を走るゆりかもめが良く見える。視界の左奥では、フジテレビ社屋の裏側が存在感を示しており、なかなかのトレインビュースポットではないかと思う。


 後部甲板は広い。ヘリコプターの発着が可能だ。巨大なクレーンを備えている。


 船尾に立てられた日本国旗が八月の午前の東京湾岸の風にはためく。その後ろには東京国際クルーズターミナルの、現代的なデザインの建築物が存在している。親子連れの男児が元気良く駆け回る。

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