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マエストロの訃報

 二回目のワクチンを接種した翌日、副反応は現れ始めた。事前に聞いていた通り、一回目の時よりはるかに激しい症状であった。電子体温計は37.6度を示した。このパンデミックが始まってから初めての発熱であった。発熱のみならず、身体には今までの人生で体験したことの無い発疹が出現した。左右の両脇腹と前腕の、全く線対称の位置であるのが不気味であった。調べてみると、アトピー性皮膚炎の症例に類似しているようであり、また帯状疱疹のようでもあったが、良く分からなかった。この発疹が、これからの人生において未来永劫ずっと続く可能性を思うと、恐怖であったが、今の自分に出来ることは何もなかった。とにかく、自宅で大人しくしているしかなかった。


 二日目、十月二日になると、体温は35.5度、つまり自分にとっての平熱に戻った。発疹も全て自然消滅した。



 三日目からは職場に復帰した。職場近くのサイゼリアで、三種キノコのパスタという珍しいメニューを見つけたので、注文してみた。三種キノコというのは、マッシュルームとポルチーニ茸とヌメリイグチだという。ポルチーニとかヌメリイグチとか、どういう茸なのか、自分は全く知らなかった。物珍しさから挑んでみたが、旨かった。それは良いのだが、ヌメリイグチとは、こんな巨大外食チェーンのレギュラーメニューに出来るほど、安定して生産、供給できる茸なのか、疑問が残った。少なくとも私は、スーパーの店頭などで目撃したことは、一度もなかった。



 十月の上旬は過ごしやすい青天が続いた。緊急事態宣言も解除され、オリンピックのようなスポーツ大会を行うには、丁度良い気候のように思われた。この時期にオリンピックを開催出来れば、観客も半分くらいは入れただろうし、飲食店もある程度は客を呼ぶことが出来ただろう。ガースーの支持率もここまで下がることは無く、場合によっては、自分自身で解散総選挙を打ち、任期延長を狙うことも出来たのではと思ってしまった。


 日本時間の十月五日、アメリカ在住の気象学者、真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞したことが報じられた。地球温暖化の予測モデルを、最も早い時期に提示したというのが、受賞理由であった。日本人の受賞を歓迎する声が日本国内からは多く聞かれる一方で、頭脳流出の象徴的存在であるという指摘も少なくなかった。真鍋氏は、一九九〇年代に一度日本に帰国し、国内の行政機関にポストを得たが、自由に研究が出来ないという理由で再び渡米したというキャリアの持ち主であった。現在の真鍋氏は、アメリカ国籍を取得したアメリカ国民、日系アメリカ人一世であった。


 十月七日、作曲家すぎやまこういちの訃報が伝えられた。日本全土に衝撃が走った。この訃報を聞いた次の瞬間、ウィキペディアのすぎやまの項目を開いたが、既にその記述は更新されており、没年月日が記載されていた。
 すぎやまは昭和一桁の生まれであった。
 ヤフーのトップページの、ニュースヘッドライン八行のうち三行が、すぎやまに関するニュースで占められた。



 
 二十年ぐらい前に、すぎやまのトークショーを聞きにいったことがある。空襲時の灯火管制の下で本を読んでいたという少年時代の回顧談を語っていた。東京芸大を目指していたが入学がかなわなかったため、東大に入ったというエピソードもその時に聞いた。
 真鍋氏もすぎやま氏も、共に昭和六年の生まれであり、その経歴の途中に、新制東京大学の理科二類が挟まっていた。
 音楽系の動画配信者は、こぞってその楽曲を演奏し、氏を悼んだ。作曲家としては光栄な最期だろうと思った。やはりと言っては何だが、その九割がドラクエの曲であった。作曲家としてのすぎやまの業績は「帰ってきたウルトラマン」から歌謡曲、政治家が選挙カーから流す応援ソングまで、非常に多岐に渡っているが、昭和末期から令和までの時代で、最も広く人々に聴かれたのは、ドラクエを筆頭としたゲーム音楽であった。

 懐かしかった。自分と同じ感覚を共有している人間が、これほど多くいることに、同時代人としての力強い紐帯、連帯感を感じ、クリエイターとしてのすぎやまの偉大さと影響力を改めて思い知った。改めて思い知ったのは、今年二回目であり、七月二十三日以来であった。音楽には、社会問題を解決する力も、ウイルスを消毒する力も無いが、互いに知らない多くの人間同士を繋ぐ力はあるのだと思った。それは、性別、民族、人種、国籍を問わずに効力を発揮する普遍的な力で、この一体感、高揚感、自我の埋没がもたらす、短時間の幸福が、人間社会における、音楽の存在意義なのだと思った。魔法だった。
 報じられたすぎやまの死因は、コロナとは関係が無かった。パンデミック以降、コロナウイルスは常に地球人類にとっての話題の中心であり続けているが、コロナとは全く関係の無い所で、人は常に生誕し、生活を営み続けている。ある時には慶事や祝福があり、またある時には凶事に襲われ、寿命を迎えればこの世を去っていく。大正世代の有名人、著名人があらかた鬼籍に入ってしまったため、次は昭和一桁の順番になったという、単純にただそれだけの、自然現象なのかもしれなかった。 






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