見出し画像

第3章 非伝統的金融政策


3.1 複式簿記で見るマネタリーベースとマネーストックの関係

「マネタリーベース」とは、日銀の貸借対照表の負債として計上される日銀券と日銀当座預金に加えて、政府貨幣とも呼ばれる硬貨流通高を合わせた金額である。

マネタリーベース=日銀券発行高+硬貨流通高+日銀当座預金

2013年4月4日。日銀は金融政策決定会合で、2年間で前年比2%の物価上昇率を目指す「量的・質的金融緩和」、別名「異次元緩和」の導入を決めた。マネタリーベースを2年間で倍増させるため、金融機関からの年間50兆円の国債購入(後に年間80兆円に増額)により、その代金としてこれと同額で日銀の貸借対照表上の負債に計上される金融機関の日銀当座預金残高を積み上げていったのである。

あれから10年。日銀の貸借対照表上の負債(貸方)側の「(日銀)当座預金」は、資産(借方)側で保有する「国債」の増加と貸借同額で毎年約80兆円のペースで増加し、その結果、マネタリーベースは急激に膨張した。他方、日銀が金融調節を通じて金融機関の保有国債を購入したとしても、以下の複式仕訳が示す通り、金融機関の貸借対照表上の資産(借方)側で保有する「国債」が同額で「日銀当座預金」に振替わるのみである。

【日銀】(借方)国債xxx/(貸方)日銀当座預金xxx
【銀行】(借方)日銀当座預金xxx/(貸方)国債xxx

上記の日銀と銀行の複式仕訳は、いずれも銀行システム内部で発生するものに過ぎない。従って、マネーストックの変動メカニズムに関する会計恒等式「[借方]銀行システムの金融資産(投融資)の変動≡[貸方]マネーストックの変動(ΔM)」にある銀行システムの外部に対する金融資産または負債(マネーストック)に影響を与えることはない。

従って、「異次元緩和」によってマネタリーベースは激増したとしても、マネーストックはほとんど変動しなかったことも不思議なことではではない。

3.2 日銀当座預金への付利

従来、金融機関が保有する日銀当座預金には利息が付かなかった。要は、ゼロ金利である。しかし、リーマン・ショック直後の2008年11月以降、日銀は緊急・暫定措置として、日銀当座預金のうち、いわゆる「超過準備」[1]の一部に0.1%の利息を付す「補完当座預金制度」を導入した。これを日銀当座預金への「付利(ふり)」と呼ぶ。

その後、2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」が導入されたことにより、「超過準備」部分を含め、日銀当座預金は3階層に分割され、それぞれの階層ごとにプラス金利、ゼロ金利、マイナス金利が適用されることとされた。[2]

日銀による「異次元緩和」の開始から9年近くが経過した2021年12月末時点で、日銀の貸借対照表は既に異常な膨張を示している。借方(左側)に計上する日銀が保有する国債の残高は521兆1,195億円。同時点での国債発行残高(普通国債等の内国債の合計額)が990兆3,066億円であるから、国債発行残高の過半(52.6%)を既に日銀が保有していることを意味する。

他方、日銀が金融機関から国債を買い上げる際、その代金として金融機関の保有する日銀当座預金の口座残高の金額を記帳することで決済する。その結果、日銀の貸借対照表の貸方(右側)に計上する日銀当座預金の残高も、同時点で543兆417億円にまで肥大化している。リーマン・ショックの直前、僅か12年前の2008年7月時点での日銀当座預金残高が7兆6,150億円に過ぎなかったことを思えば、「異次元緩和」が如何に異常な金融政策であったかが理解できよう。

このような「異次元緩和」を永遠に継続することは不可能である。そこで、異次元緩和からの出口政策が経済学者や実務家の間で議論されるようになった。その中で、経済学者や実務家の多くが「将来、異次元緩和からの出口政策として、市場金利の上昇局面で日銀当座預金の付利も引き上げざるを得ない」と主張している。

·       白川片明・元日銀総裁は、次のように述べている。

『この議論をいわゆる「出口」に即して考えてみよう。議論の本質に焦点を絞るために中央銀行が債務超過になるケースを取り上げる。さらに、国債の売却は行わず、付利金利の引き上げで対応するケースを考える。この場合、債務超過が発生するとすれば、2つの要因で発生する。ひとつは中央銀行保有国債の評価損であり、もうひとつは付利金利引き上げに伴って生じる逆ざやによる期間損益の赤字である。(中略)問題はここにとどまらない。まず、中央銀行は当座預金の付利金利を引き上げなければならない。景気・物価情勢が改善しても付利金利を引き上げなければ、インフレが起こるからである。』

(白川、2018、p.399)

·       財務省出身の小黒一正・法政大学経済学部教授は、次のように述べている。

『では、金利が正常化した場合に、付利を長期金利よりもずっと低い状態に維持すると、何が起こるだろうか。結論を先に述べると、統合政府(政府部門+日銀)で見ると、それは預金課税と同じになる。(中略)たとえば、市場の名目金利が3%に上昇すると、市場で裁定が働き、長期金利(=10年物国債の金利)や貸出金利も3%に上昇していくので、日銀は付利を3%に引き上げる必要が出てくる。』

(小林(他)、2018、p.118)

しかし、僅か15年前の2008年10月までは日銀当座預金の付利そのものが存在しなかった。政策金利や市場金利がどれだけ上昇または下落しようが、日銀当座預金は常にゼロ金利というのが金融実務における常識だった。そして、日銀のバランスシート上の会計恒等式は、常に必ず成立する。

[借方](日銀の)金融資産の変動≡[貸方]マネタリーベース(日銀券+日銀当座預金)の変動

上記のエコノミスト達は、「超過準備への付利の引き上げ→日銀当座預金の残高(規模)の維持→日銀の金融資産(保有国債)の残高(規模)の維持」という一方向の因果関係のみを暗黙の仮定(tacit postulate)として置いている。

しかし現実には、恒等式である以上、逆方向の因果関係、すなわち「日銀の金融資産(保有国債)の残高(規模)の維持→日銀当座預金の残高(規模)の維持」もまた当然成立する。上記の恒等式「(日銀の)金融資産の変動≡マネタリーベース(日銀券+日銀当座預金)の変動」は、超過準備への付利金利の水準とは一切関係なく、常に必ず成立する。従って、日銀は、政策金利や長期金利の水準に関わりなく、日銀当座預金への付利を引き上げる必要はない。

なお、現在の政策金利[3]は、日銀が金融機関に貸出する際の金利である公定歩合に代わり、短期金融市場において日銀が金融調節(オペレーション)でコントロールする無担保コール翌日物金利とされている。要するに、日銀の貸借対照表上、資産(借方)側で金融調節(オペレーション)を通じてコントロールする政策金利、すなわち無担保コール翌日物金利と、負債(貸方)側の日銀当座預金への付利金利とは全くの別物である。金融機関の側から見ても、資金の調達金利が無担保コール翌日物金利である一方、資金の運用金利の下限が日銀当座預金への付利である。それぞれの意味合いが全く異なる以上、政策金利と日銀当座預金への付利金利とを混同してはならない。

3.3 日銀当座預金の増減要因

複式簿記の仕訳のロジックからすれば、日銀の貸借対照表上の負債に計上される日銀当座預金の増減要因として、以下の3種類のみが認められる。実際、毎営業日、日銀はホームページ[4]上でそれぞれの具体的な金額を公表している。

①銀行券要因:市中での現金需要の変動による「銀行券」の受払
②財政等要因:政府と金融機関との間での国債発行・償還等による「国庫金」の受払
③日銀による金融調節:日銀とその取引先(金融機関)との間での「金融調節」(資金供給オペまたは資金吸収オペ)

では、日銀による金融調節ではなく、日銀当座預金を保有する金融機関(日銀の「取引先」)側の意思決定により、日銀当座預金の残高を減らすことはできるだろうか。

仮に金融機関Aが他の金融機関Bとの間で送金・資金決済する場合、日銀の貸借対照表上、負債側(貸方)で金融機関Aの日銀当座預金が100減少し、他方、金融機関Bの日銀当座預金が100増加する。従って、日銀当座預金全体で見ると、日銀当座預金内部でネットアウトされて日銀当座預金全体の増減要因とはならない。結局、金融機関(日銀の「取引先」)側の意思決定でできることは、金融機関の貸借対照表上、負債側で預金通貨(マネーストック)の発行を拡大すると同時に、それと同額で資産側の貸付金や投資等を増加させることに限定される。

以上を要すれば、日銀当座預金の残高を減らすことができる手段は、複式簿記の仕訳のロジックからすれば、銀行券要因と財政等要因を除き、日銀の意思決定による金融調節(資金吸収オペ)しか存在しない。従って、金利上昇局面にあっても、日銀当座預金の残高を維持するという目的のために日銀当座預金への付利を引き上げる必要性はない。

3.4 ゼロ金利政策

実際、1999年2月から20年以上、日銀が実施するゼロ金利政策によっては、総需要、国内総生産(GDP)、そして国民所得(Y)を増大させることはできなかった。その最大の原因は、『貨幣の需要量(流動性選好)と貨幣の供給量の均衡点において、均衡「価格」としての利子率が決定される』という旧来のマクロ経済学のパラダイムそのものが間違っていたことにあるのではないか。あくまでも金利とは、総需要や国民所得(Y)に影響を与える損益取引ではなく、借手の信用リスク評価に応じた資本(または所得)の移転としての資本移転取引だからである。

ちなみに、米国の連邦準備制度理事会(FRB: Federal Reserve Board)は、1977年連邦準備改革法(Federal Reserve Reform Act of 1977)によって定められた「最大限の雇用(maximum employment)と物価安定(stable prices)」という二つの使命(Dual mandate)を負っている。しかし、金利に関する定理「金利の存在によって、GDPや国民所得(Y)に直接的な影響を与えることはできない」に照らせば、雇用水準に直接の影響を与える総需要や国民所得(Y)水準に対し、中央銀行の金融政策(金利政策)が無力である以上、いくら法律に明記しても「最大限の雇用(maximum employment)」を実現することは不可能である。


[1] 「超過準備」とは、金融機関(日銀の「取引先」)が負債として受け入れている預金等の一定比率(準備率)以上の「法定準備預金額」を日銀当座預金として預け入れることを義務付ける準備預金制度の下、更にその「法定準備預金額」を超過する日銀当座預金を意味する。
[2] 2021年12月の「付利の対象となる当座預金残高(当月16日~翌月15日の平均残高、適用金利別)」は合計516兆7,770億円。その内訳は以下の通り。プラス金利適用残高(+0.1%)206兆2,870億円(全体の39.9%)、ゼロ金利適用残高(0.0%)283兆5,360億円(全体の54.9%)、マイナス金利適用残高(-0.1%)26兆9,540億円(全体の5.2%)。
[3] 他国の例でいえば、イングランド銀行は、2006年5月以降、準備預金(当座預金)への付利を開始すると共に、これを政策金利とする制度変更を行った。しかし、イングランド銀行の場合、量的金融緩和(QE: Quantitative Easing)といってもその規模が日銀やFRBとは大きく異なっており、単純に日本の金利操作による金融政策として採用できるものではない。
[4] 「日銀当座預金増減要因と金融調節(毎営業日更新)」https://www3.boj.or.jp/market/jp/menu.htm

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?