東日本大震災が契機になった広告DXの思い出

Twitterのトレンドワードにガラケーというキーワードがランキングに入っていた。なんのことかと思ったら昨夜の地震が311、すなわち東日本大震災のだいたい10年後で、しかもそれ地震が東日本大震災の余震の現象であろうということで、思い起こされたキーワードだったらしい。

東日本大震災をきっかけにLINEが生まれて、急速なスマホシフトに繋がっていくことになったのは有名な話だが、それとは別に自分自身の私見で感じた、広告ビジネスのDXの話について書いておきたい。僕自身は広告業界の人間ではなかったので、まちがっていたらごめんなさい、というエクスキューズを先に書いておきます。

当時、運営していたモバツイは、ガラケー向けの広告がビジネスモデルでした。また広告の中でも収益の柱は、モバツイを名指しで指名してもらえる純広告による売上でした(今は予約型広告と言うらしい)。Google Adsenseなどのアドネットワークも一定割合で表示していましたが、PV単価では純広告の方が圧倒的で、空き枠をアドネットワークで埋めていたという状態で、その制御のために広告配信サーバを自作していました。

そういう状況で地震が来て、テレビでも見た光景でもありますが、広告の自粛が始まります。ひたすら、ぽぽぽぽーんと流れていた公共広告機構の映像はキャンセルされた広告の残骸です。ネット広告も例外ではなく、純広告のキャンセルが相次いだわけです。

当時は災害時のツイッターの価値が認識されたタイミングだったので、モバツイもツイッター接続サービスとしての社会的責任を果たすべく、採算度外視でAWSのインスタンスを増やし、もし何かあった時に計画停電が起きてもノートPCの電源を絶やさないように、ACコンセントがついていた自分の車を、地上のコインパーキングに置きっぱなしにし、いざという時の電源の確保を行っていました。

そういう中で地震のあった3月と4月は収益が激減するわけですが、そこで2つの学びを得ることになります。

一つは電通案件の広告はちゃんとお金が払われるというのを目の当たりにしたこと。他の広告代理店さんの案件はキャンセルされるとお金は払ってもらえないのですが、電通案件だけは「うちはそういう会社じゃないんで」的にお金を支払っていただけて、うわ、さすがだなって思いました。

そして、もう一つの学びは壊滅的な純広告と裏腹に、淡々と収益をあげていたのがGoogle Adsenseでした。

当時のGoogle Adsenseは、今と比べても広告内容がロングテールに寄っていて、ナショナルクライアントの案件が出ることは稀でした。その分、広告の発注も含めてオートメーション化されていることもあり、広告がなくなるということはありませんでした。もちろん地震の影響でRPM(1000impあたりの売上)は下がっていたので、Adsenseといえども収益は下がるわけですが、全滅した純広告と比べて、売上がゼロになるわけではないという安心感は絶大なものがありました。

このおかげで、社員はオフィスに誰も出社せずとも全く売上がない状態は免れたのを覚えています。

今、この2つの事象を考えてみると、10年後である現在の流れとして何が主流になったのか?その後のDSP/SSPによるアドネットワークの進化も含めて、何が主流になっていったのか?DXというのは何を目標にすべきなのか?がうっすら見えてきます。

当時の広告業界は人に支えられている属人的な世界だと聞いています。そもそも営業が動き、成果報告もexcelによる人力が介する、オペレーションをミスすると3倍返しなどが存在するアナログな世界。ネットビジネスでありながら人力が支えていたため、東日本大震災直後のような不測な事態には弱い。そして、広告主は有力メディアに出広し、媒体属性とPVで戦う世界。出広先を選ぶのも紹介する代理店サイドも人力に依存するが故に雑なマッチングとなりがち。結局、PVを持っていてる=知名度の高いメディアが圧倒的に有利だったのだと思います。そういう意味ではツイッターというプラットフォームを笠に着ていたモバツイも、当時のタイミングではモテていたサービスの一つだった気はします。

今のGAFAと言われる時代では、GoogleはもちろんFacebook社の提供するプラットフォームの上では自動化された広告の世界で、AIによるマッチング技術を背景にしたロングテール広告が新しい市場を生んでいます。

それ故にブランドの大小に限らず、狭いニッチなところに適切な広告を差し込む技術が発達し、それがYoutuberやインスタグラマーの実現に貢献しているのだと思います。

オートメーションされたビジネスは、顧客属性も変化していきます。最初は、自動化が前提で扱う単価が低いため、顧客も小粒、オートメーション化されてるからこそ使えるという人たちだけが増える中小企業向けのソリューションから始まるのですが、SNSからの誘導に特化したロングテールメディアの爆増や自動化されている方が成果が高いなどの理由で、徐々にナショナルクライアントも使い始めるという理想的な成長ストーリーでネット広告のオートメーション化の世界は変化したのではないでしょうか?!

また広告という概念も変わっていったようにも思えます。いわゆるブランドを強く意識したハイエンドな広告戦略というよりは、あくまでも集客ツールという位置づけに変わっていったような気はします。

誤解を恐れずに言うと、人力が故に自分たちが仕事をする意味を重ねて定義していた時代から、適切なマッチングをAIに委ねたが故に余計なことを考えずに成果だけを考えることに専念できる時代に変わったということだと思います。

それらの学びを今のコロナ禍にあわせると、やはり現在進行中のリモートワークの動きなどは、まさに一つの変化なのだと思います。人間がやることへの意味付けを考えればこそ、スーツやマナー、オフィス通勤を重視した勤務体系から、リモートにおける生産性向上にシフトすることで、はじめてオフィスから解放されるようになり、オフィス出勤にしばられた残業時間の概念や無駄な会議は不要になり、ようやく仕事の成果を出すことに専念できるようになる。そういう会社が生き残ることで、そんな価値観の変化が主流になる。そんな世界がアフターコロナでは実現していることを期待します。

きっとECのあり方などもそうなのでしょう。また10年後に今を振り返った時には、ここを転換点として人間の労働力の使い所が変わっていく契機になったよね!と言ってるような気がしたので、今のうちにメモをしておこうとこの文章を書いてみました。

p.s. こんなのもあったりね。まあ、なんでBASE社で働いてるか?って、そこら辺の変化のど真ん中らへんに存在してると思ってるからですね。それがお給料がもらえる仕事として成立してるのって凄くラッキーなことみたいでしてね。


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