貴彦

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このままどうなるのか

早いもので気がつけば大学を卒業し、社会に出て6ヶ月と半月が過ぎようとしている。 就職活動で何度口にしたか分からない「やりがい」は、毎月振り込まれる給料や顧客からの感謝だったり、少しづつではあるが感じることができている。 社会のほんの一部として働くようになり少しのやりがいを感じるよになったと同時に失った、或いは鈍くなったモノがある。 「感受性」である。 自身の五感を通じて良い/悪いと思えることを感受性と自分の中では定義している。 そんな私は自身の感受性を目で見て確認すること

    • 2日目(後半)

      さて前回の続きであるオルセー美術館に入館するところから。 ------------------------------------ クロードモネ 散歩日傘をさす女 ルノワール  ムーランド・ラ・ギャレットの舞踏会 ゴッホ    自画像 これらはオルセー美術館に収蔵されている作品の一例だ。どれも美術の教科書で一度は見たことのある作品ばかりである。 当時美術に一切の興味がなかった自分が、パリまで訪れて絵画を見ていることを想像できただろうか。人生何があるかわからない。 オル

      • 2日目(前半)

        だいぶご無沙汰である。 パリでの旅行記を書き留めようと思っていたがすっかり忘れてしまった。 気を取り直して2日目から。 ————————————————————— 時差ボケのせいか。昨晩は午前1時前後に寝たが、5時に目が覚めた。 しかし不思議と疲れは溜まっておらず、何時間も寝たかのように疲れが取れていた。 友人と私は早速服を着替え、夜も明けていないパリの街へと出かけた。 宿泊していた3区から南下しまずはセーヌ川を目指す。 当たりを見渡す限りの西洋らしい建築のアパルト

        • 1日目

          芸術の都であるパリ。 その存在は今も昔も変わらず遠い存在のように感じている。 大阪から乗り継ぎも兼ねて約16時間。 長かったようで短かった移動時間を終えて、夜のシャルルドゴール空港に降り立った。第一印象は心地よくない緩い暖房が効いている。この心の底からリラックスできない感じが、ヨーロッパまたは海外に来たと感じる。嫌いじゃない。 バスに乗るために外へ出た。10月下旬のパリは湿度も高くなくカラッとしている。余計に夜風を冷たく感じて、肌が痛い。 バスから目的地まで1時間。空港

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          7本

        記事

          四季と追憶

          夕方から夜にかけてやっと涼しい季節になった。バイト終わりで最寄駅をおりて、時計が指す時刻は11時27分。AwichのLove me upを聴きながら、電車を降りてゆく人々を見回して半袖の人より長袖の人の方が多くなってきてより季節を実感する。 ここ数年は四季の間隔が短すぎて、暑いか寒いかしかないじゃないか。でも夏を過ぎていくと共にどこか物寂しく感じて、秋を少しの肌寒さと紅葉の色づきで感じる。 微妙に肌寒くて、着る服も厚着すぎず薄着すぎず。どこか曖昧なところもまたいい。 夏が終

          四季と追憶

          距離

          彼とは大学の初めての授業日で初めて出会った。 彼は、大学の入学前のあるあるなTwitterなどのSNSで、同じ大学の学部の子たちと繋がったうちの1人。 人付き合いがあまり得意ではない自分が、大学が同じということだけで、会った事もないのに妙な親近感を覚えて、地方から引っ越してくる彼にどこに住んだらいいのか。関西のいいところは何なのか。みたいな話をして、ちょくちょく連絡をとる間柄になった。 そんな彼とちょっとした話の流れで、「大学の授業の初日一緒に行かない?」と。 自分も大学

          LOOKING THROUGH WINDOW

          作品と対峙した同時に思わず足が止まる。 率直な感想は「かっこいい」。それと同時に悔しさを感じる展示であった。 ──────────────────── 今回、東京に行く機会があるに当たって絶対に見たい展示があった。愛読書のPOPEYEにもよく出てる野村訓一さんがプロデュースしている 「LOOKIN THROUGH WINDOW」である。 この展示は20代・30代・40代の各世代で活躍する写真家が表現したファッションフォトの今を展示する内容だ。 20代は石田真澄さん・

          LOOKING THROUGH WINDOW

          僕のプライスレス

          大学3年の春学期にまでなってもテスト勉強を後回しにするクセは治らない。 でもテスト週間はすごい好き。テストの日程が迫ってくる一方で勉強を後回しにするこの背徳感にちょっとした謎の優越感を感じる。重要なのはテスト週間に勉強しないで無駄な時間を費やす。テスト週間ということに意味がある。 この時間が僕とって最高なのだ。贅沢なのだ。プライスレスなのだ。 例えるなら、家のトイレで要は済ましているのに、トイレに置いてあるマンガを読んでる時間。無駄な時間と思うのはわかっている。その時の自分

          僕のプライスレス

          性別について考えてみようよ

          いきなりだけど性別について考えてみよう。 最近はLGBTQとかの認知と理解がどんどん進んできてる。 でも正直LGBTQのこと説明できる?って言われたらしっかり説明できる自信は正直ない。ただ大まかだけど理解しようとしてるし、なんとなくだけど雰囲気で理解している。 こうやって認知が進んだことで、僕私は〇〇なんだよね。みたいに属性(表現間違ってたらごめんなさい)が明確になってきてる。 それに伴って自分は〇〇です!って言えるきっかけ・機会もできたし私はこれなんだなっていうア

          性別について考えてみようよ

          他人の物差し

          「表現する」一見シンプルな言葉な言葉に聞こえる。だけど近頃、表現することは年々と敷居の高いものになっている気がする。 僕は写真を撮るのが好き。 日常の風景や友達の一瞬の表情などといった自分が感動していいなと思ったその瞬間の空気や雰囲気を切り取ることができる写真が好きである。 それと同時に自分が感動していいなと思って切り取った瞬間をみんなに知って欲しいし、知ってもらうことでその人の考え方や感受性に少しでもいい影響を与えれたらいいな、と同時に思う。 それを知ってもらう

          他人の物差し

          誰もが経験することだけど

          「死」の実感があまりない。 先日、叔母が亡くなった。享年73。大和撫子という言葉がぴったりな叔母だった。 でもお葬式に行って棺に入っている叔母を前にして思うことは何もなかった。 お葬式に参加したのは2回目。初めて参列したお葬式は父方の祖父のお葬式。 5,6年前だったかな。当時、棺桶に眠ってる祖父を前にして何の感情がなかった。 「無」っていう表現がその時の感情に近いかもしてない。 昔から身内とは疎遠になりがった。一緒に住んでるわけではないし、近くに住んでるわけでもない。父の

          誰もが経験することだけど

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          レッテルまみれの世の中で

          樹木希林さんがついこの間亡くなって、彼女の新聞広告だったりとか彼女が残した言葉がツイッターとかのSNSで拡散さた。 彼女の言葉はずっしりと重みがあって、人々が心の中で我慢しながら思っている事を的確に且つ柔らかく、どこか親しみがもてるような表現できる人だと思う。 彼女が残していった言葉は、亡くなった後より人々の心に届いていった。 そんな自分も以前この動画を見たときに、自分が我慢してた事や悩んでいたことがスッキリした。 僕はこの動画を見てが「レッテル」という言葉をまず第一に思い浮かべた。 レッテルに悩んだ時期があることを同時に思い出す。 父親の仕事の関係で2カ国に移住したことがある。 そう俗にいう帰国子女である。 高校受験に合わせて中学3年生の時は日本に帰ってきて、地元の中学校に通うことになった。 そこで「帰国子女」というレッテルが邪魔をする。 当時の担任の先生は女性の方でいわゆるベテランの先生だった。あまり笑う事もなく、自分の信念・プライドが高い方だった。 先生は「帰国子女」というのは英語はもちろん他の学問でも優秀な人。という概念を持っている方だった。確かに周りの友達は勉強できる子が多いし、一流大学に通っている子も本当に多い。でも僕は昔から勉強が物凄く得意なわけでは無いし、中の下くらいだと自負してるくらい。 「私の知っている帰国子女は優秀なはずだけど、 あなたの成績を見て失望しました。」 第一声にこれを言われる。自分にしては良くできたと思う。(5教科平均70点くらい) 帰国子女のみんながみんな勉強できるわけでは無いし、先入観を押し付けられるのが本当にしんどかった。その後もずっと「帰国子女なのに」とかぐちぐち言われて 「帰国子女」ってことだけで勉強できるとか英語がネイティブ並みに喋れるとか言われるけど、帰国子女みんながそうでは無いって事を分かって欲しい(笑) 他の誰でも無い、「私」を楽しむ。 わたしは、私。 帰国子女になりたくてなったわけじゃ無いけど、いった国にはたくさん友達もいるし、本当に色々な経験ができたと思う。周りからは色々言われたし、帰国子女っていう響は好きじゃなかった。帰国子女は優秀っていう世間の固定概念も好きじゃなかった。 でも周りの意見を気にしている暇なんないし、 帰国子女の福本とは一生付き合っていかないといけない。 でも帰国子女でも自分らしくこれからも過ごしていきたいと。 優秀でも英語も完璧にできない、 自分らしい帰国子女。他の誰でも無い帰国子女の自分を楽しむ。

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          若者も負けたもんじゃない。

          自分が若者だから気になるのだろうか。最近ニュースやコラムなどで 「いまの若者は夢が無い」「本気で何かに取り組んでいる事があまりない」 と言われる事、書かれていることが多い気がする。本当にそうなのだろうか。 以前、友人4人と大阪の梅田のウメキタ広場で缶チューハイを飲みながらまさに青春というのはこうゆう事を言うんだろうと思いながら気持ちよく喋りながらお酒を飲んでいた。 そんな時である。社会人の男女二人組がポッキーを一箱持って僕たちにこう言った。 「今、ポッキーを一本50

          若者も負けたもんじゃない。

          秋の話をしようじゃないか

          どこもかしこも皆んな「平成最後の夏」って垂れ流すように言う。とか言いながら自分も平成最後の夏だああとか言いながら大学2回生の残り少ない夏休みを存分に謳歌している。なんか嫌なことがあったり、納得いかないことがあったとしても全部夏のせいにしたらいい。夏も迷惑である。 四季の中で一番好きなのは秋で、最初の方は夏の暑さが残りながらもだんだん涼しくなってきて「あ、長袖着たいなあ」と思ったら秋の始まり。街行く人たちも肌寒くなるのにつれて洋服も着込んだり、洋服好きな人は半袖半パンのシンプ

          秋の話をしようじゃないか

          夢のような現実

          こんにちは 今回は一冊の本を中心とした話でまたニューヨークについてのことです。 少し長いけど読んでくれたら嬉しいです。(オチはないです) 今回の話の中心の一冊の本は、この投稿の二つ前に書いたnoteでも触れた原田マハさんの「楽園のカンヴァス」です。 この本はヘンリ・ルソーの「夢」という絵画を中心となって物語が進行していきます。 あらすじは下記に載せておくのでみてみてください。 http://www.shinchosha.co.jp/book/125961/ (新

          夢のような現実

          世界最先端の国は、考え方も最先端だった。

          こんにちは。 先日、約10日間のニューヨーク旅行から帰ってきました。 今回は旅行を終えた感想を中心とした軽い振り返りをしたいと思う。 なぜ旅行先をニューヨークにしたのか。一つはそもそもアメリカに行った事がなかったから、もう一つは10代最後なんだし派手に行っちゃおう!という軽いノリでした。 街の中心部であるマンハッタンについた瞬間感じたのは活気が違う。特にタイムズ・スクエアは本当に人が多い笑。と同時にニューヨークは本当に色んな人種の方が多い。でもそれぞれお互いちゃ

          世界最先端の国は、考え方も最先端だった。