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(追補:更新7/15)『JFKと語られざるもの』 なぜ彼は死んだのか、なぜそれが重要なのか

https://twitter.com/Alzhacker/status/1679851979206717441

午後10:54 · 2023年7月14日

JFK & the Unspeakable: Why He Died & Why It Matters


あとがき
キューバ危機において、
JFKは完全な核戦争という形で語られざるものに
立ち向かわなければならなかった。

その恐ろしい対立の頂点で、彼は事態が制御不能に陥っていくのを感じた。彼は彼らの戦争への圧力を拒否しただけではなかった。
さらに悪いことに、大統領は敵に助けを求めた。
それは反逆罪と見なされかねない。

ニキータ・フルシチョフはそれを希望と捉えた。
モスクワでケネディから助けを求められたフルシチョフは、
外相のアンドレイ・グロムイコに向かって言った。

フルシチョフは自分が 「助ける 」と言ったのを聞いてためらった。
アメリカ大統領が途方に暮れているように見えたとき、
フルシチョフは本当に敵を助けたいと思っていたのだろうか?
そうだ。彼は「助ける」という言葉を外相に繰り返した:

「そうだ、助けよう。そうだ、助けよう」[7]。
私たちは今、戦争へと突き進む者たちから世界を救うという
共通の大義を抱いている。

その瞬間をどう理解すればいいのだろうか。
史上最も重武装した2人の指導者が、全
面核戦争の危機に瀕していたにもかかわらず、
突然、攻撃を迫る両陣営に対して手を結んだのだ。

ケネディが敵に助けを求め、フルシチョフがそれを与えた、
あの変容するつながりを何と呼べばいいのだろう。

仏教徒の立場から言えば、それは宇宙的な悟りだった。
また、神の奇跡と呼ぶ人もいるかもしれない。
キリスト教福音書の読者は、ケネディとフルシチョフはイエスの言葉を
実行しただけだと言うかもしれない:「敵を愛せよ」。

それは、ガンジーが理解した「愛」であり、
真実の裏側としての愛であり、
相手の真実を自分の真実に統合するのに
十分な相手への敬意と理解であろう。
ケネディの生涯の最後の数ヶ月間、彼とフルシチョフは、
それぞれが相手の真実を理解し始めるという、
特別な1マイルを歩んでいた。

ジョン・ケネディもニキータ・フルシチョフも聖人ではなかった。
それぞれが、人類を核戦争の瀬戸際に追いやった政策に深く加担していた。しかし、彼らが空白に遭遇したとき、互いに助けを求めることで、
人類を平和な地球という希望に向かわせたのである。


平和を創造した大統領が、
自らの国家安全保障国家によって暗殺されたことから、
私たちはどのような希望を得ることができるのだろうか。

ケネディ大統領が世界的な戦争から平和戦略へと
勇気ある転身を遂げたことが、
暗殺の理由を示している。
彼は敵である共産主義者との和平に舵を切ったため、
自らの国家安全保障国家と対立することになったのだ。

平和構築は大統領としての彼のアジェンダの最上位にあった。
それはCIA、統合参謀本部、軍産複合体がホワイトハウスに望んでいた
リーダーシップではなかった。
冷戦のドグマに支配された権力者たちが、ケネディを平和に向かわせたことを考えれば、彼の暗殺は当然の成り行きだった。

ジョン・ケネディがなぜ死んだのかという物語は、地球を一周している。
JFKは冷戦の真っ只中にあって、地上の平和を選んだがゆえに処刑された。

しかし、彼が平和の方を向いたからこそ、彼自身への影響があったにもかかわらず、人類は今も生き、闘っているのだ。彼が何を経験し、何をビジョンとして我々に与えたかを理解するならば、それは希望に満ちたことである。


ミサイル危機という大統領職のクライマックスで、
ジョン・ケネディは一転した。

JFKはすでに国家安全保障の責任者と対立していたが、
ミサイル危機がその分岐点だった。

それは何という変貌を遂げる物語なのだろう。

そして、私たちアメリカ人にその物語を理解させず、語らせず、
子や孫に語り継がせないために、なんというプロパガンダ・キャンペーンが展開されてきたことだろう。

なぜなら、その物語が語られることで、国家は変貌を遂げるからだ。
しかし、国家が戦争という偶像に支配され続けているとき、
それは隠蔽される物語となる。
その物語が私たちを戦争という偶像崇拝から解放してくれるなら、
その偶像を崇拝する人々は、その物語が語られないようにするために
あらゆる手を尽くすだろう。

戦争が究極の力であるという信念からすれば、
それはあまりにも危険な話だ。
破壊的な話だ。
常に戦争に行く準備ができているというのとは違う種類の
安全保障を示している。
ある大統領が、核兵器に頼るよりも安定した平和を求めたために、
自国の政府機関に殺害されたというのは、信じられないことだ。
言語道断だ。

常に戦争に備えていなければならない国家のために、
そのような話は語られてはならない。
そうすれば、戦争をしなくても平和は可能だと学べるかもしれない。
戦争よりも強力な力があることさえ知るかもしれない。
考えられないことだ!
しかし、地球上の生命を存続させるためには、どれほど必要なことだろう。

だからこそ、言葉にできないことに立ち向かい、
ジョン・F・ケネディ大統領という勇気ある人物の変貌を物語ることは、
私たちにとって希望に満ちたことなのだ。
それは、究極的には死ではなく、生、
つまり私たちの人生すべての物語なのだ。

結局のところ、この物語は一人の男の物語というよりも、
窮地に陥ったときの平和構築の物語なのだ。
その物語は私たちの物語であり、希望の物語である。

私たちがまだ生きているという事実、
つまり人類一族がまだ生存の可能性を残して生きているという事実、
そしてそれ以上のことに、平和を創造した大統領と、
彼が敵国と結んだありそうもない同盟に感謝する理由がある。

ジョン・F・ケネディと、平和創造における彼のパートナー、
ニキータ・フルシチョフに感謝しよう。

彼らの物語は私たちの物語であり、真実に向かう勇気の物語なのだ。
神学の常識を覆したガンジーの言葉を思い出そう。
彼は真理は神であると言った。
真理とは神である。
私たちは真実を発見し、それを生き抜くことができる。
真理ほど強力なものはない。
真理は私たちを自由にしてくれる。

ジム・ダグラス 2010年1月6日
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JFK暗殺のアキレス腱 ジェイコブ・G・ホーンバーガー著

July 14, 2023 
The Achilles Heel of the JFK Assassination – The Future of Freedom Foundation (fff.org)

JFK

アメリカの国家安全保障機構がケネディ大統領の遺体に対して行った
検死は、常に暗殺事件のアキレス腱となってきた。
それは検死が不正だったからである。
しかし、軍は解剖を「機密扱い」とし、
下士官兵に秘密保持の誓約書に署名させ、
もし見たことややったことを明らかにすれば
軍法会議や刑事訴追を受けると脅したため、
軍は何十年もの間、解剖の不正の大部分(すべてではないが)を
隠蔽することができた。
この隠蔽工作は、1990年代の暗殺記録調査委員会の任期中に
ピタリと止んだ。

何年も前にJFK暗殺事件を掘り下げ始めたとき、
私は当然のようにたくさんの本を読んだ。
そして次第に、この暗殺はアメリカの国家安全保障機構によって組織され、実行された高度に洗練された政権交代作戦であると確信するようになった。イランの指導者モハマド・モサデグ、コンゴの指導者パトリス・ルムンバ、チリのレネ・シュナイダー元帥、キューバの指導者フィデル・カストロ、
グアテマラのハコボ・アルベンツ大統領などを狙った作戦のような、
「国家安全保障」に基づく国家主導の暗殺を伴う他の政権交代作戦と、
原理的には何ら変わらないと確信するようになった。

しかし、私は弁護士としての訓練を受けた。
私のプロとしてのキャリアは裁判弁護士として始まった。
私は12年間弁護士を務めた。
州裁判所と連邦裁判所の両方で、民事事件と刑事事件の両方を担当した。
陪審裁判と非陪審裁判の両方です。

私は、ケネディ暗殺が事実、政権交代工作であったことを確信する一方で、法廷に出て、刑事事件で要求される合理的な疑いを超えて
それを証明することはできないとも考えていた。
暗殺事件の研究者の誰も、その責任を果たすのに十分な証拠を
提出しているとは思えなかったからだ。
暗殺事件を長年研究してきた今でも、私はそう思っている。

確かに、いわゆる魔弾説など、暗殺には疑わしい点がたくさんある。
しかし、私にとっては、そうした疑わしい点はすべて、
犯罪の有責性を確信させるものではあっても、
合理的な疑いを超えて有罪にするにはまだ不十分だった 。

従って、ディーリー・プラザで起きたことに焦点を当てると
「陰謀論だ!」と叫ぶ人々は、
本質的に「国家安全保障の確立に関わるこの犯罪を、
合理的な疑いを超えて有罪にするだけの証拠がない」
と言っているのだと私は思う。

しかし、検死に関してはそうではなかった。
軍部組織が不正な検視を行ったとわかった時点で、
国家安全保障機構にとっては「ゲームオーバー」であり、
「一件落着」であった。
不正解剖は、ケネディ暗殺における国家安全保障機構の犯罪責任を
合理的な疑いを超えて立証する「裏口」なのである。

その理由は、不正な検死に対して何の罪もないからである。
皆無である!
誰も思いつかないし、これからも思いつかない。
不正解剖は必然的に隠蔽につながる。ケネディが死亡宣告された瞬間、
パークランド病院で不正解剖の計画が開始されたのだから。
それは、シークレットサービスの捜査官たちが、銃を振りかざし、
命令で動いていると言いながら、故意に、意図的に、
テキサス州法に違反し、ダラス郡検視官のアール・ローズ医師が
大統領の遺体を検死することを禁止したときだった。

そのシークレットサービスのチームはパークランドを強行脱出し、
大統領の遺体をダラスのラブフィールドに運んだ。
ジョンソンは遺体をメリーランド州のアンドリュース空軍基地に運び、
軍の手に引き渡した 。

これはテキサス州法下の殺人事件である。
国防総省、CIA、シークレット・サービス、FBI、
司法省を含む連邦政府機関は、この犯罪を管轄していなかった。
それにもかかわらず、この時期にはアメリカ生活の支配的勢力と
なっていた軍が、検視の主導権を握ったのである。

軍の検視不正については、私の2冊の著書『ケネディ検視』と
『悪との遭遇:エイブラハム・ザプルーダー・ストーリー』に
詳しく書かれている。
以下は、検死不正の3つの例である:

1.ARRBは、ワシントンD.C.にある海軍の写真ラボで働いていた
ソンドラ・スペンサーという海軍下士官の存在を発見した。
スペンサーはプロフェッショナリズム、能力、誠実さの典型だった。
ARRBの顧問弁護士であるジェレミー・ガンは、
ARRBに出廷した証人の中で、スペンサーが最も信頼できると述べた。
軍内外を問わず、彼女のプロ意識、能力、誠実さを
疑問視する者はいなかった。

スペンサーはARRBに驚くべき話をした。
暗殺の週末、彼女はケネディの検死写真の現像を頼まれたという。
彼女はその作業が "機密 "であることを告げられた。
ARRBが彼女を秘密保持の誓いから解放するまで、
彼女は30年以上もその秘密を守り続けた。

ARRBがスペンサーに、
JFKの後頭部が無傷であることを示す公式の検死写真を見せたとき、
彼女は、それは彼女が現像した検死写真ではないと述べた。
彼女が現像した写真には、JFKの後頭部に大きな穴が開いていた。
それはもちろん、正面から撮影されたことを意味し、
公式のシナリオに反する。

スペンサーの宣誓証言は、パークランド病院の治療医や他の数人の目撃者、そして検死が行われたベセスダの死体安置所の目撃者の証言と一致した。
私はこれらの証人の多くを拙著『悪との遭遇 』の中で引用している。
彼らは、ケネディの後頭部には出口大の大きな傷があったと述べている。
例えば、治療医の一人、ロバート・マクレランド医師は、
"私は、彼の後頭部の右側に少なくとも直径5インチの傷があると言った。
もう一つの例:パークランド病院のチャールズ・カリコ医師:
「頭蓋骨のこの辺り(後頭部を指して)に大きな、
かなり大きな傷がありました 」 。

スペンサー、マクレランド博士、キャリコ、
そして他のすべての目撃者が真実を語っていたとすれば--
私はそう確信している--、
導き出される結論はただ一つ、
ケネディ大統領の後頭部が無傷であるとする軍の公式写真が
不正であったということである 。

2.ARRBはまた、スペンサーと同じくARRBに驚くべき話をした
ロジャー・ボヤジャンという男の存在を発見した。
暗殺当日、彼はベセスダ国立海軍医療センターに勤務する
海兵隊軍曹であった。
彼はベセスダの死体安置所の警備を命じられた 。

ボヤジャンはスペンサーと同様、
大統領の遺体は午後6時35分に死体安置所に運び込まれた
とARRBに証言した。

ボヤジャンは、暗殺の翌週に上官に提出した「事後報告書」の中で、
この大統領の遺体の早期搬入を報告していた。
同軍は、法律で義務づけられている通り、
その報告書をARRBに提出しなかった。
しかし、ボヤジャン軍曹はそのコピーを保管し、ARRBに提出した。

自明なことを言うようだが、
大統領の遺体をこっそりベセスダの遺体安置所に運び、
その1時間半後に遺体安置所に再び遺体を運び込むとは、
軍部はよからぬことを企んでいるに違いない 。

ボヤジアンの異常な主張には裏付けがあったのでしょうか?
実はあった。
私はそれを『ケネディの検死』と『悪との遭遇』の中で詳述している。
何人かの海軍下士官は、ダラスで大統領の遺体が入れられた
重い装飾の棺ではなく、軽い「輸送用棺」で遺体安置所に運んだ
と述べている。
さらに、ピエール・フィンク中佐は、午後8時に
解剖の主任病理学者ジェームズ・ヒュムズ中佐から、
解剖を手伝うために死体安置所に来るよう電話で誘われたと、
宣誓を含めて2回述べている。
その会話の中で、ヒュームはフィンクに、
大統領の頭部のX線写真をすでに持っていることを告げた。
議論の余地のない大統領の公式入棺時刻は午後8時であったから、
大統領の頭部のX線写真をすでに持っている可能性があるのは、
午後6時35分に遺体をこっそり死体安置所に運び込んだ後に
撮影した場合だけである。

3.ARRBはまた、ケネディ剖検で2つの脳が別々に検査され、
そのうちの1つは大統領の脳ではありえないことを発見した。
繰り返しになるが、詳細は私の著書『ケネディ解剖』と
『 悪との遭遇 』に記されている。
自明なことを言うようで恐縮だが、
軍が「脳の検査は一つしかなかった」と偽り、
また軍が「ケネディ大統領の脳である」と偽っているのであれば、
これ以上の剖検詐欺の例を見つけるのは難しいだろう。

前述したように、また長年にわたって繰り返し強調してきたように、
不正な検視に罪のない説明はない。
ひとたび検視が不正であったと結論づければ、
暗殺は国家安全保障機構によって画策され、
実行されたと自動的に結論づけられる。
それ以外に妥当な結論はない。

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