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個性的という言葉のほんとの意味とは

ふと街を歩いて「個性的」という言葉の意味が気になった。

私は31歳、大阪府、オンナ。
誕生日や血液型といった、みんなが生まれ持つもので「個」を分けたとき、私はなんてことの無いこの世界の中に1つあるちっちゃなタンパク質で、似たような類のモノやコトなんて溢れかえってると思ってる。
だけど、私は「わたし」でいたがる。
何かにつけて自分を認めて、「自分」でいようとしたがる。
なんでなんだろう、、。

結局のところ、誰だって何かをカテゴライズできるような立場でもないのに、少数派のモノやコトを【個性】と言ったりするのかしら、、
生きていたら制約があるし、人の目なんかも気にしちゃったりするし、だけど、自由にしようと思えばなんだってできる。
もちろん、人を傷つけたり、物を壊したり、誰かを哀しませるようなことはしたくないし、それを自由と呼べない、呼びたくない気持ちもある。

だけど、自分が自分らしく生きる上で、何か人と違うことを「個性」とは呼びたくないなあ、、
なんだかそうすることで自分を守っている気がするから。
わたしは何時だって自由、
わたしは何時だって私。
自分が生きているんだから。
自分の時間は自分だけのものなんだから。

人の目を気にするんじゃなくて、人に目を配りながら生きていきたい。
その中で自分がすきなこと、興味のあること、ウキウキできることに触れながら、ずっとそういう時間をもてるわけじゃないこともわかっているつもりだからこそ、私はわたしでいたい。

そうだ、
ここはnote,
わたしの中のあたまのぐるぐるを整理するためにはじめた場所だった。
殴り書きでもなんだっていいや

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