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独立から復興へ〜「軍港の子」の予習〜

独立と国際社会への復帰

1951(昭和26)年9月 アメリカのサンフランシスコで52か国によう講和会議が開催。(中国:招かれず、インド・ビルマ:不参加、ソ連等3か国:反対)
サンフランシスコ平和条約:日本は朝鮮の独立を認め、台湾・千島列島・南樺太等を放棄し、沖縄・奄美群島・小笠原諸島は、引き続きアメリカの統治下に置くことに同意した。
日米安全保障条約(安保条約):日本の安全と東アジアの平和を守るという理由で、引き続き国内にアメリカ軍が駐留し、軍事基地を使用することを認めた。
1956年 ソ連とは、北方領土問題が未解決のまま日ソ共同宣言に調印して国交を回復した。
     国連連合への加盟が認められる。

原水爆禁止運動

アメリカが水爆実験→日本の漁船が「死の灰」を浴びる→原水爆禁止運動が広がる→1955年8月に広島で原水爆禁止世界大会が開催

戦後の経済復興・政治体制

1955年頃には、ほぼ戦前の生産水準に達し、人々の暮らしも徐々に回復した。
1955年 自由党と日本民主党が合同して自由民主党(自民党)を結成。→自民党と野党が対立する政治体制が築かれ、1990年代まで日本の政治を動かした。(55年体制)
1956年「経済白書」:「もはや戦後ではない」と表現。