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シリウスからのメッセージ31

今回は、最近ずっと私の中にちらついている“存在”という事について質問してみました。
今回、私の質問が長いので、()を使っていません。
太字部分がアイラスさんのメッセージで、細字が質問です。
では、早速どうぞ💁

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『存在する』という事は、その存在を“在る”と認める、いわゆる観測者がいないと、そこに存在する事はできませんよね?
とするならば、私達が“愛の存在”として、すべてが一つになった時、それを“存在”として認める観測者がいなくなってしまいます。

そうですね。あなた方の抱える、いわゆる観問題に関係づいた話になるかと思いますが、話しますか?

お願いします。
最近、“存在”というワードが、やたら目に留まるので。
例えば、観測者の意図(主観)次第で、その存在も、AになったりBになったりしますよね。
そもそも“存在(若しくは在る)”とは、何なのでしょう?

良い質問ですね。そして、深い質問だと思います。
先ほど申しました通り
(この話の前にも雑談してました😁)あなた方は、愛の存在であり、愛そのものなのです。

『愛の存在』と言いますと、あなた方が“愛である”という事なのですが、それでは、“存在”という事について、理解が難しいですよね。

あなた方が、そこに在るものを、どう捉えたとしても、それがそこに在る(存在する)、という事は、紛れもない事実で、存在が、何かしらのアクションを起こした(若しくは起こさなかった)結果が、観測問題の一部であり、そこにあなた方の意図が、反映されてしまい、あなた方が得たいと思っていた結果が出なかったとしても、その“結果”をもたらした何かは、確実にそこに在ったのです。

私共も、あなたの目に映っていないだけで、確実に存在する存在であり、私共が、あなた自身の中にいようが、いわゆる地球外知的生命体であろうが、(若しくは龍の姿をしていようが😉)そこは、あなた方の判断で目に映るものが変化しようとも、間違いなく存在しているのです。

なんとなく、言わんとしている事は、分かるような気がしますが、核心めいた、ズバッとした結論は、私の中で出ていない気がします。

いいのです、いいのです。今はまだ、それでいいのです。
今はまだ、全てを知るには、早すぎます。一足飛びで進んでしまいますと、ゆっくり歩いている時に見えるはずだった気づきを逃してしまいますからね。あなたのペースで、ゆったりゆっくり進んでいきましょう。


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