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”CHE” VIVE MAS QUE NUNCA

チェゲバラの伝記を読了した。
ページ数は少ないものの、チェゲバラがどんな人なのか、幼少期~最期まで描いており、大体を知ることができた。

それにしてもWW2以降の最近の人間であることを知らなかった。
というより、キューバで革命が起こしたことも知らなかった。
(しかも12人というとても少ない集団から始まった!)
常に旅を求め、定住しない、自由で、人に愛される能力に長けつつ、常に孤独な人だった。
まず、アルゼンチン出身なのに、キューバのバチスタ政権(アメリカの傀儡政権)から独立運動のために死を覚悟して、参加できるか。
結局、独立成功後はカストロの2番手として、母国ではない国のNO2として、工業化の指導やソ連中国など社会主義国家との会談、キューバ代表として日本訪問までしている。
そこまでする能力も凄いけど、それがキューバ国民に受け入れられるのは”愛される力”なんでしょうな。

最後、ボリビアの独立運動の途中で捕虜となり、37歳の人生を閉じるわけですが、キューバの時に司令官のフィデロ・カストロがやったように「捕虜には最大限の尊厳と人権を確保し、国際法に沿って対応する」をボリビアでも実践した。
キューバの時は、その対応に感銘を受けた捕虜たちが革命軍に賛同し、どんどん人が増えていったから。
ただし、ボリビアではゲバラ達は「異国から来た暴力的な山賊」として映っており、解放した捕虜は自軍にゲバラ達の情報を報告してしまう。
ゲバラの信条である愛を前提にした対応が仇となり、最期を迎えてしまうのだ。
皮肉なものだなと読みながら思った。

"che" vive mas que nuncaは「チェは永遠なり」という意味だ。
nuncaは確かneverと同じ意味で、viveは生きるだから、永遠に生き続けるが直訳かな。
大学の2外でしたスペイン語の記憶がまだ残っていた。
37年の短い生涯でも、多くのことを成し遂げて、今もなお異国で愛されるゲバラは、やっぱりとても魅力的な人だ。

たまたま古本屋で見つけたから読んでみた。
実は外国人の伝記を読むのは初めてだ。当たり前のことだけど、歴史に名を残した人の人生は濃ゆくて、面白い。
ゲバラもジャンル問わず、よく本を読んだそうだ。
また日本訪問の時は、同じく島国の日本が工業化に成功したヒントを探すため、久保田堺工場や鐘紡、トヨタなどの工場見学に訪れたらしい。
もしかしたら、弊社にも来てたりして。

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