「親」の呪縛から解放されていい

 私には、高校生と小学生の子供がいる。当然、私には彼らを養育する義務がある。実際、育児をしている人にはわかると思うが、育児は自分との葛藤の連続だ。

 私は、子供達をみながら、「自分と同じ失敗はしてほしくない」と思う。正直、自分はかなりネガティブな子供だったから、辛い事が結構あった。子供に辛い思いをさせたいと思う親はいないと思う。たとえば、よちよち歩きの子が転びそうになったら、手を出して転ばないように支える親は多い。そして、そのうちしっかり歩けるようになって、今度は自分で転んで、子供は痛みを学ぶ。そうして、子供は成長していく。でも。親としては、どこまでで「手を離しても良いか」は悩みどころだ。子供がちいさいときなど、転べば、「手を繋いでいてあげたらよかった」と思うのも、親心だ。「なんでも一人でできるようになってほしい」、「自分がいなくなっても、生活できる術をみにつけてほしい」と思いつつ、自分が失敗したのと同じ痛みは味わってほしくないという葛藤。

 子供からみたら、親は「なんでもできる」神に見えるかもしれない。特に小さいうちは、親に見捨てられたら生きていけないわけだから、どうしたって親の影響力は強い。親離れ・子離れで徐々に離れていくとしても、やはり親の影響力は半端ないと思う。けれど、親はいつだって正しいわけではない。神じゃないから、間違えることもあるし、その子にとって、不適切な態度を取ることもあるだろう。

 世間には母性神話なるものがあって、女性は子供が出来れば自動的に育児も家事も完璧にこなせると思っているかのような煽りが多い。でも無理だ。
そして勿論、自動的に立派な父親になることも無理だ。ソフトウェアの開発に喩えるなら、新任PLがいきなり「開発が20年続く大規模プロジェクト」を任されるようなものだ。しかも、交代要員は「基本なし」。でも、世間の扱いは違う。「子育てはこうあるべき」論がまかり通っていて、それから少しでも外れると非難囂々。酷いのになると、この「子育てプロジェクト」を経験したことのない人が、「子供に化学製品の入ったシャンプーを使わせるなんて虐待」だの「電子レンジだと栄養素が壊れる。母親のくせに、手を抜くなよ」とか言ってきたりする。私がこれを言われたとき思ったのはただ一つ。「お前が子供産んでやってみろ、フルタイムで働きながらな!」である。子育ては本当に難しい。世間の「親(特に母)はこうあるべき」論を押しつけられながら、子供と自分の相性に悩んだりする。これが、友人や恋人だったら距離を置くか関係切った方が楽みたいなことがあっても、こなさなくてはいけない。うっかり愚痴ろうものなら、「そう育てたのはお前」攻撃を受けることすらあるので要注意だ。そうして、親はありとあらゆる「親」論の中で葛藤して、子供と向き合うことになる。間違えないわけがない。そこにいるのは、神ではなく、子供と同じただの人間だから。

 だから。私は言いたい。もう、「親」の呪縛からは、親子ともども解放された方が良いと。親は完璧ではない。だから、子供はある程度の年になったら、親にしてほしいけどして貰えなかったことを引きずるより、あるいは親から受けた自分に対する偏見を頑なに信じるより、一度棚卸しして、本当にそうかどうか自分で自分に問いかけた方が良い。そして、受け入れないと決めるならそれで良いと思う。親にとっても、子にとっても。
私は、私の子供達に、自分の経験からのことを教えるけれど、それが彼らの邪魔になるのなら、潔く捨てて欲しいと思う。
一度捨てても、あとになって、「ああ」と思えばまた拾えば良いし、なんなら自分で構築したら良いと思う。極論だけれど、「無毒」の親はいない。虐待などのあからさまな「毒親」の存在は否定しないけれど、子供にとって全く害のない親はいない。だって、人間関係だから。誰もが、子にとって薬にも毒にもなる側面を持っている。それを「薬」にするか「毒」にするかは、実は子供本人に選択権があると思う。高校生くらいで、このことに気づいた方が、人生楽に生きていける、きっと。

 

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