焦りと言葉と

言葉は、何も伝えてくれないと思うことがある。どうあっても、他人はその人にとって都合の良いように言葉を捉えるから。傷つきたいときは、傷つくように。勇気を持ちたいときは、そのように。内容よりも、発する相手が誰かによって受け取り方を変えることだってある。難しいけど、そういうものだ。

つくづく厄介なのは、親しいほどに、相手の言葉を悪くとってしまうことがあるということだろう。相手に嫌われたくない、傷つけたくない、傷つけられたくないという思いが、なぜか守りに入ってしまって、ほんの些細なことで、傷つくようになってしまう。期待していた言葉と異なる言葉がくるだけで、裏切られたような気持ちになる。でも、本当は、そうやって心地よい言葉を、心地よいタイミングで聞きたいなら、ツイッターにボットでも作って、プログラミングするのが一番だ。

それでも、こうしてほしいというお願いが聞き入れて貰えないときはどうしたら良いのだろう。自分の言葉が、まるきり逆のように捉え続けられたら。

私はある人たち曰くとても冷たいのだそうだ。彼らは、私を優しいとやたら有頂天に言っていたこともあるのだから、結局のところ、自分が特別ではないことが嫌なのかもしれないけれど、それとは別に、時折、自分は人間的に大事な何かが欠落しているのではないかと感じる。

最近は、そのことに対する落ち込みと焦りで、何もしたくない気持ちがずっと続いている。そんな感じだから、時折、失踪したい衝動に駆られる。

でも。先日のニースの事件の後、翻訳させていただいている詩人さんがFacebookにアップロードした詩はとても優しくて、読みながら泣きそうになった。たった数行の詩で、人の心を揺さぶるほど届く力もあるのだと、言葉は決して無力ではないのだと実感させてくれた。そんな詩人さんの詩を訳せるのは、本当に幸せなことだと思う。

私は言葉を紡ぐ職業ではないけれど、思いを込めた言葉は、大切な相手に届くと信じたい。今は届かなくても、時間差でも、届いてほしいと思う。できれば、自分の寿命が尽きる前に。「あのときは悪くとってしまったけど、本気で心配してたからこそだったんだ」と伝わる日が来ることを願う。こればかりは、祈るしかないのかもしれないけれど。

#焦り #コラム #言葉

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