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愛され続ける男

まえがき

 この小説は、ずっと昔(15年くらい前)に書いて、ノートPCのハードディスクの奥のほうに眠っていたものを、現在の僕が大幅に書き直したものです。当時は、推理小説とかをよく読んでいて、その影響がこの小説にはすごくあります。でもべつに推理小説的トリックがあるわけではありません。ただちょっと残酷な描写があるだけです。

 読み直していて思ったのは、「このころの僕は背伸びをし過ぎているなあ」ということでした。自分の力量以上のものを書こうとして無理をしている文章が散見されたのです。今回、それらを自分の身の丈に合った自然な文章に書き直しました。短い小説だけど、2時間くらいかかりましたね。もしこんど新しい小説を書くとしたら、背伸びをしないナチュラルな文章を書いて行こう、と強く思いました。

 それでは、もしお時間がおありでしたら、『愛され続ける男』、ご一読ください。長さは原稿用紙10枚ぶんくらいです。一部、現在のポリティカル・コレクトネスに反する表現がありますが、15年前に書いたものなのでご容赦ください。

愛され続ける男

 長い間の気まずい沈黙を打ち破り、
 「今日は楽しかったですね」
 と田島が言った。
 「そうだな、楽しかったな」
 と中山が言った。そして再び沈黙が二人を支配する。
 深夜、人けのない道を、田島と中山は歩いていた。二人は初対面だった。二人には、榎本という共通の友人がいた。榎本の呼びかけによって、三人で飲もうという話になり、知り合ったのだった。その飲み会が終わったあと、共通の友人である榎本と別れ、帰り道が同じ方向ということで、初対面の二人は並んで歩いていたのである。

 永遠とも思える長い沈黙。途切れたままの会話。田島と中山は二人とも、あまり会話が得意なほうではなかった。そのうえ初対面ということもあり、二人の間にはぎこちない空気が流れていた。深夜の冷たい闇が、二人の間の空気をさらに寒々しいものにしていた。
 「ほんとに楽しかったですか?」
 と田島が尋ねた。
 「ほんとに楽しかったよ」
 と中山が答えた。
 「ほんとですか? 本当のことを言ってください」
 「だからほんとに楽しかったって」
 「そうですか、それは良かった」
 二人は無表情のまま、前方の暗闇に目を向けている。
 「俺、いつも思うんだけどさ、榎本は気さくでいい奴だよなあ」
 と、中山が沈黙を嫌うように、空虚な言葉を繋いだ。
 「そうですね。僕もそう思います。榎本くんは、いい人ですよね」
 田島は、うつろな目つきでマイルドセブンを一本取り出し、火をつけた。そしてゆっくりと煙を吸い込み、中山の顔に向かって思い切り吐き出した。
 「どうです、けむいですか?」
 「ごほっ、ごほっ、当たり前だろう。けむいからやめろよ!」
 「へっ、やめませんよ。ふー! ふー!」
 「あんた、いったいどういうつもりだ? いい加減にしてくれよ」
 中山は、もうもうと煙を吐き出す田島に詰め寄り、胸ぐらをつかんだ。
 「なんです? 殴るんですか? 殴ればいいでしょう? 訴えますよ」
 「なんなんだ、あんた? いきなり敵意をむき出しにしやがって。そんなに俺が憎いのか? 俺がなにか悪い事でもしたのか?」
 「……いえ、なにも。冗談ですよ、冗談。アメリカンジョークです。ブラックジョークと言ってもいいでしょうね。あなたも冗談くらいわかるでしょう? いい大人なんですから」
 「……そうか、冗談か。すまなかった。……少々取り乱してしまったようだ」
 中山は田島の襟から手を離し、愛想笑いのような笑みを浮かべ、再び歩き出した。田島はまだ長いタバコを投げ捨て、服のよれを正しながら言った。
 「分かればいいんですよ、分かれば。こっちこそすみませんでしたね。ちょっと冗談が過ぎたようです」

 田島と中山は、線路沿いの道に出て、その細い道を歩いていく。
 電車の走るゴオゴオという音が背後から迫ってくる。電車が二人のすぐ右側を通り、轟音が二人の間を満たすと、田島は中山の顔を下から覗き込み、ひどく歪んだ顔で「お前は死ね! お前は死ね! お前は死ね!」と小さく叫んだ。
 夜の冷たい闇を引き裂くように、電車の轟音が鳴り響いている。中山は相手の言葉が聞き取れず、きょとんとしている。
 電車が通り過ぎ、ゴオゴオという音は遠く小さくなっていった。そしてまた、「お前は死ね!」と田島は叫んだ。
 今度はハッキリと声が聞こえ、中山は驚いた顔をして、「いま何て言った?」と尋ねた。
 「私は『お前は死ね!』と言いました」
 田島は、面接官に対するような真面目な顔と口調で答えた。
 中山は、顔を怒りで赤くして言う。
 「なんだと? あんたいったいどういうつもりだ? まさかそれも冗談だとは言うまいな?」
 「冗談なんかじゃありませんよ。お前は死ね! 目障りです。死んでくれませんか?」
 「はぁ? だから何なんだよあんたは? 初対面の俺のことがなぜそんなに憎いのか、まったくわからない。今日の飲み会で俺があんたに何かしたのか?」
 「僕のほうが、あなたより愛されているんですよ。愛されていなくてはならないんですよ」
 「愛されているだって? いったい誰に?」
 「榎本くんは僕を愛しているんですよ。他の誰よりも僕を必要としているんですよ。あなたなんかよりずっと、僕のほうが価値のある人間なんですよ。そうでなくてはならないんですよ。だからあなたは死ぬべきなんですよ。死んでくれませんか?」
 中山は、肩をすくめながら嘲るように笑った。
 「榎本があんたを愛してるだって? ははは、つまりホモなのかあんたは、田島くん。だったら心配するな。俺にその気はないから、ご自由に榎本とよろしくやればいいさ」
 「ホモ? 違いますね。僕は何よりも女性が好きな健全な性欲の持ち主ですよ。あまり侮辱しないでいただけますか。そういう愛じゃありません。愛ってそんな狭い言葉じゃありませんよね。とにかく、僕は榎本くんに愛されているんですよ、誰よりもね」
 「……なるほどね、友人としての愛ってことか。でもちょっと待てよ。あんたが誰よりも愛されているのなら、俺が死ななければならない理由はどこにもないだろうよ」
 「あるんですよ、それが。あなたは死ななければならない、今すぐ、この場で」
 「どんな理由なんだ? わけがわからない。あんた、気が触れてるのか? 酒に酔い過ぎているんじゃないのか?」
 田島は、卒業写真に写る時のような引きつった笑みを浮かべ、早口で喋りはじめる。
 「酔ってなんかいませんよ。こう見えても酒は強いんです。気が触れているわけでもありません。いいですか、あなたは今すぐここで死んでください。あなたが居ると、僕にとって非常に都合がわるいんです。もしかしたら、あなたがこの先、榎本くんに最も愛される人間になるかもしれない。それはあってはならないことです。僕は彼にとっての一番でなくてはならない。そうでなくては僕は耐えられない。僕の存在が無意味になってしまいます。むしろ居ないほうが良くなってしまうんです。そんなことに僕は耐えることができない。だからあなたは死んでください」
 中山は、乞食を憐れむような目で田島を見下ろした。
 「……あんた、そんなに自信がないのか? 自分自身に。あんたが魅力のある人間ならば、自ずと愛されるんじゃないのか? それに、愛されないと存在が無意味になるなんて、いったいどれだけ榎本に依存しているんだ? あんたはあんた自身として独立して存在することができないのか? そんなことはないだろう。もっと冷静になれよ」
 中山がそう言うと、田島は、黒いダッフルコートのポケットからナイフを取り出し、切っ先を中山の喉に突きつけた。
 「笑わせてくれますね。自信ですって? あるわけがないですよそんなもの。僕だけじゃない。誰だって本当には自信なんかあるわけがないんです。あなたには自信があるんですか? あなたには魅力があるんですか? そう自分で言い切れますか? たとえあったとしても、あなた以上に魅力のある人なんて星の数ほどいますよ。あなただって虫けら同然に価値がないんですよ。あなたは誰からも愛されないで、誰からも無視されて、誰からも軽蔑されて、それでも生きていけるっていうんですか? 僕は無理ですね。ええ無理ですよ。だからあなたは死ななければならないんですよ。死んでくださいよ」
 中山は、突然の田島の奇行にひどく驚き、狼狽した。喉に突きつけられたナイフをどかそうと、震える手で力なく田島の手をつかむ。
 「お、おい、ちょっと待て。本気かあんた? 冗談だろ? 冗談はここまでにしてくれよ。たとえ冗談にしても度が過ぎるぜ」
 「二度も言わせないでください。冗談なんかじゃありません。榎本くんの愛は僕だけのものです。僕だけのものです。彼は僕だけを愛さなくてはならないんです。だからあなたは」
 田島は、手に持ったナイフを強く押し出した。中山の喉から、どす黒い血が、夜の闇と混ざりながら田島の目の前に噴出する。中山は何か喋ろうとするが、ゴボゴボという音を立てるだけだ。中山はそのまま仰向けに倒れた。
 「お前は死ね! お前は死ね! お前は死ね!」
 田島は中山に覆いかぶさり、何度も何度もナイフで中山の喉を切り裂いた。グチャッグチャッという肉の切れる音が、冷たい静かな夜に響き渡った。
 そのとき、田島の携帯電話の着信メロディーが鳴った。宇多田ヒカルの『Can You Keep A Secret?』だ。田島はナイフを中山の喉に突き立てて立ち上がると、メロディーに沿って歌詞を口ずさみながら、携帯をズボンのポケットから取り出した。
 「もしもし」
 「おう田島、もう家に着いたか?」
 「ああ、榎本くん、まだ歩いてるところだよ」
 「そうか、まだ家に帰ってないのか。いや、それにしても今日は旨い酒が飲めたな。どうだ、中山っていい奴だろ? お前とも気が合いそうだったな。また三人で飲もうぜ」
 「中山くんは死んだよ。僕が今さっき殺したところなんだ」
 「は? なんだって? お前今なんて言った?」
 田島は電話を切り、携帯をズボンのポケットにしまった。ぎこちない笑みを浮かべ、中山の死体を一瞥した田島は、人けのない夜道をゆっくりと歩き出す。背後からは再び電車のゴオゴオという音が小さく聞こえてくる。田島は、ぎこちない笑みを顔に浮かべたまま言った。
 「僕は、これからも愛され続ける。誰よりも」

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