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人間の「意識」について思うこと

人は「慣れること」や「忘れること」ができる。
初めてのことで怖いと思ってもチャレンジすると慣れていき、レベルを高めていくこともできるし、悲しいことが起きてもそれを忘れたらまたリスタートすることもできる。思い出も消えていくし、苦しみに驚いてもその苦しみや不遇に慣れることもできる。メリット・デメリットは、意識の向け方で変えていける。

「気を遣う」「気にしい」「気が向いたら」「気をつける」
「意識を向ける」「意識してなかった」「意識を集中させる」
などの言葉は、普通に使われている。

その「気」や「意識」ってなんだ?という話。
私はこれこそが本来のスピリチュアルな話に繋がってくると思う。
特別なことではない、のだと思う。

どうでもいい話だけど、私はインドネシアに6年弱、アメリカに1年弱、アイルランドに1ヶ月、グアテマラに3週間というのがやや長期の海外生活で、10代から20代は他の発展途上国にも旅やビザの関係などでよく訪れていた。その海外渡航期間、これだけは自慢できるのだけど、一度もひったくりやスリに遭ったことがない。それは多分、とても気をつけて、意識を全身に集中させて、気を張っていたから。(とはいえ、痴漢には遭った。痴漢って国境を越えて同じ手口で、人間のサガを感じる。あと留学中の留守中にお金や食べ物を盗まれてたことはあった)

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インドネシアでは基本的には町の路上を歩くことやタクシーに乗ることが許されていなかった。治安が悪いため、ひったくりはもちろん誘拐にも遭いやすく、最悪の場合は国に迷惑がかかるからということで。そこでの生活で、金目のものを持たない・ブランドものをちらつかせない・お財布には少額だけ・お財布や携帯は常に肌身離さず・バッグは道路とは逆の肩にかける・人につけられていないか意識し続ける、等の訓練を私は勝手にやっていたようだった。フードコートやカフェで席取りのために荷物を置いたらきっと盗られるだろう、Gパンのポケットにお財布を入れておくのは盗んでくれと言わんばかりだ、というのも意識の中にずっとあった。ちょっと強迫観念みたいなもの。今もまだこんなに平和な日本で暮らしていても、道路を歩く時にはバッグを持ち替えたりする。みんながみんなそういう訳じゃない。私は多分意識の持ち方の練習をするのが好きだったのだと思う。(また、その延長としてスマホやお財布を忘れたり失くしたりしないというのもある気がする)

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一方、外国でスリやひったくりに遭う人たち。何人も見てきて、なんでなんだろう?と考えたところ意識の持ち方なのかなぁとぼんやり結論を見つけたりした。日本を一歩出ると私は、全身に意識が向く。特に、お財布とパスポートは体の一部のような感覚を持つ。そうしていると、背後から近づかれた時にも何気なく後ろを振り返ったり、手を後ろに持って行って「意識向けてますからね」という意思表示をできたりする。恐らく、盗まれる瞬間というのは、意識が違うところに集中している時で、ターゲットにされたらその瞬間が来ないかどうか狙われているのだと思う。そのターゲットにされるのも、意識の向け方を見られていると思う。ちょっとボストンバッグを足元に置いて時計を見た瞬間にボストンバッグが消える、とか。(盗む人たちは治安云々ではなく日本でも起こるのは分かってるよ)

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気を張っていろ、と言いたいわけではない。

そういう「意識」とか「気」とかいう、言語化するのが難しいような感覚的なところ。そこがどのような状態なのか、というのが目に見えない領域を扱う人々が感知しているところ。

そこのあたりに安心感が漂う状態か、恐れや防衛本能でガチガチになっている状態か、というのを感じて変化させていくことが、スピリチュアルなアプローチでできることだと思っている。

引き寄せ・願いが叶う・運気が上がる・嫌なことが起こらない、などは結果であり、結果の前に感覚的に居心地いい状態を作り続けられるかどうか、という方が重要なのではないかと私は思っている。でもこれは、本当にただの個人的な意見で、結果が出なければ無意味だという意見があるのも理解している。結果を重視している時は「絶対当たる占い師」「必ず恋人ができるお寺」「お金のブロック解除」など、キャッチーで結果が見えやすいサービスを受けるのが良いかもしれない。

ヒーリングエネルギーを扱っていけばいくほど、なぜだかその「意識」に対してストイックになる。ヒーリングをすればするほど、魔法なんて、あるようだし、ないものだな、と感じる。スピリチュアル・精神世界を突き詰めようとすればするほど、古代史、世界史、日本史、物理、化学、生物、解剖、数学、国語、哲学、倫理、宗教、芸術、政治、言語、心理など様々な学問の知識が必要になり、ただその知識も実は個々人の提唱や概念だったりして、結局いつも「現実」と「非現実」の間をゆらゆらする。

「人間」の在り方。

願えば願うほど手に入らず、意識から捨てた途端に手に入ったり、ダメだダメだと思うほどそのことから離れられない思考回路になったり、今まで見ていなかったところにふと意識を向けるだけで、全く世界が変わって見えて、生きやすくなったり、または地獄の中に生きているようになったり、不思議な生き物。

「意識」や「気」を向けることに意識的になるだけで、人生がガラリと変わる、ということ。それはつまり、魔法ということになるのだろうか。


また、今後外国を訪れる時には、リラックスしつつ全身に気を張ることでスリ・ひったくり・痴漢から身を守っていきたい。(最近おねしょしてないねと言うとおねしょしちゃうような、スリに遭ってないんですって言ったら遭っちゃうような、そんなこともあるものねぇ)

**写真は何年か前にインドネシアで撮影したものです。

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