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感情を言葉にする大切さ

こんにちは。こちらは晴れています。
気分がいいです。

noteを始めて、感じたことや伝えたいことなどを言語化して書いていけたらいいなと思っていますが、昔から文章を書くのが苦手で…。
うまく書けないけど、何となく伝わればいいなと思い今日も書きます。

感情表現、皆さんしていますか?
正直者は馬鹿を見るということわざがありますが、
過去を振り返ると、大人になってから正直者、素直であるがゆえに損をしたことも多い人生だなと思います。
逆に子供の頃は家庭環境のこともあり、幼いながら感情を我慢していた時期もありました。

例えば、会社の休憩室で「給与明細見せて」と先輩に言われ
素直に見せたら「こんなに貰ってるんだ」「俺の1年目と違う」とか
返答しにくいことを言われた過去がありました。
普通(一般常識)で人に給与明細なんて見せないじゃないですか。
でも見せてしまって…。
素直というか、天然なのかもしれないと今思いました。

幼い頃は感情を我慢していて、
小学校低学年の頃、親の後ろをよくくっついて歩いてたのですが、
その度に「金魚の糞みたいで鬱陶しい」と言われ泣きそうになってたのですが、
その頃は悲しさをうまく表現できずモヤモヤしたし、親は仕事のストレスで常にイライラしてたようだったので、話しかけることすら怖かったです。
現在猫を飼ってるのですが、後ろからついてくる猫に対して親は、
「金魚の糞みたいだねー」と笑顔で言うんですね。
あまり気にしないようにはしてますが、昔の俺への扱いと猫の扱いが違うなーと思います。
昔から俺のことは可愛くなかったんだろうなと、思ってしまうんです。

悲しかったと感じたことは、素直に悲しかったと言葉にする大切さは必要だと思うんです。
例えば、嫌なことを言われたら
「ああいうふうに言われて傷ついて悲しかった、嫌だった」とか
言葉にしなきゃ伝わらないことってあるんです。
恋愛なんかも「好き」「ありがとう」とか自分の正直な気持ちや
感謝の気持ちを伝えず、
して、されてが『当たり前』みたいな気持ちでいると
長続きしないのかなって思います。

でも悲しいことに、正直者や素直な人を騙そうとする輩がこの世の中にはいるんです。
嘘をついて相手を信用させて、平気で裏切る輩がいるんです。
恋愛で浮気されて人間不信になったことがありました。
今でも人間不信から立ち直れてない部分もあります。
冗談みたいな嘘をつく人はあまり嫌いじゃないですけど、ついちゃいけない嘘をつく人や、日常的に嘘をついてる人は好きになれません。

言葉にすることは大切です。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと俺は言いたいです。
感情が高ぶりすぎてヒステリックみたいになるのは良くないと思いますが、
関わる人にもですけど、自分にも正直でいたいなと思います。

何回も「いじめ」について記事を書いてますが、
感情を言葉にすることによって、未然にいじめを防ぐことができるとも思っています。
当時、いじめを経験した俺は感情表現がうまくできず、相手に合わせすぎたり、自分の意見を言えず苦しんだんだろうと思います。

痴漢もそうですよね。
声を上げれなくて、恐怖に支配されて何もできない…なんてこともあるのかなと思いますが、
勇気を出して、声を上げたら周囲の人は異変に気付くと思いますし、
あんな陰湿な犯罪(犯罪に陰湿もクソもありませんが)
勇気のある人は、痴漢してる相手の手を掴んで逃がさないようにすることもできるだろうし、やはり言葉にすることは大切だと思います。

長くなりました。駄文ですが読んでいただきありがとうございました。

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