欲望は本物か

雨の日曜日のような日に、何をしたいと思うだろうか。僕は晴れた土曜日でも、時間を持て余すことがよくある。他の人は、旅行に行ったり、友達とレストランに行ったりしているようで、最近はそういう人を真似して少し遠出もするようになった。もちろん、それなりのお金がかかるわけだけど、余裕がないわけではないのであまり気にしないようにしている。

思うのは、僕の中の「何かをやりたい」が、本当に自分がやりたいことなのかということである。シリコンバレーのイケイケの起業家が作ったプラットフォームや、うまいこと考えるマーケターが作り出した”欲望”を、まるでヒナが初めて見た物を親と認識してしまうように、自分の欲望であると誤解しているのではないか。そして、欲望の誤解は僕だけでなく、世の中の大半の人が持っていて、経済は虚構の欲望を消費・生産し続けているのではないかとも思う。おしゃれな鞄を買えばそれに見合う用事を作ってしまうし、そうやって消費されたお金は誰かのお給料になって、そのお給料は流行の映画であったり、毛穴一つ目立たない鼻であったりになり、そして消費されたお金はお給料になり。。。金は天下の回りものであり、何回転させられるかが景気や豊かさの指標である。

皆が着飾り、旅行に行き、それなりに豊かであると思うけれど、幸せである人は少ないように感じる。思うに、多くの人の消費は、本当の欲望ではなく、与えられた欲望を消化しているだけだから、永遠に経済は膨張し続けているのではないだろうか。そして、多くの人が不安なのは、心のどこかで欲望が与えられたもので、全てを満たした後に空の自分が残ることに怯えているからなのか。

本当の欲望とは何だろう?なぜ、与えられた欲望に隠されて見えなくなってしまっているのだろう?おそらく、本当の欲望というのはささやかなものだから、なのかもしれない。ふと見上げた空の月が綺麗だったり、通りゆく人笑顔を見ることだったり、雨上がりの初夏の夜によく冷えた梅酒を飲むことだったり。目の前にあるささやかな瞬間瞬間を感じられるような、心の余裕をいつも持っておきたい。

カツ丼食べたい