SNSや配信が全盛のこの時代にインタビューライターはどうあるべきか。

いつも思う。インタビュー記事はこれからどういう役割を担っていくべきなのか、ということを。

僕は普段、舞台を主戦場とする若手俳優たちに話を聞いて、それを記事にすることで生計を立てている。いわゆるインタビューライターというやつだ。

今の若手俳優たちはみんなカッコよくて、芝居に対して貪欲で、ファンに対して真摯で、話を聞いていて楽しさが尽きない。よく甥っ子に「よっちゃんは何の仕事してるの?」と聞かれたら「カッコいい男の子から話を聞いてお金をもらっているんだよ~」と説明するようにしている。ダメだ、かいつまみすぎた。ちょっと風紀的に怪しい職業の人みたいだ。

でも、これはすごく真面目なトーンで、なぜ人の話を聞いてお金がもらえるのか。そのことをつきつめて考えることが、よくある。


今や世の中にはSNSという便利なツールがあって、誰もが直接自分の言葉で自分の想いを多くの人に届けることができる。それは芸能人と呼ばれる人たちもちろん同じで、特にデジタルに親和性の高い若手俳優たちはうまくSNSを活用しながらファンとのコミュニケーションを図っている。

それだけじゃなく、最近はLINE LIVEなどを使った配信も盛んで、ファンは推しの顔を眺めながら生の言葉を直接聞けるし、何なら手軽にコメントをポストして、その場で推しに読んでもらうことも可能になった。

昔みたいに、雑誌を買いあさっては推しの一言一句を金科玉条のように噛みしめなくても、比較的手軽に推しの言葉にふれ、推しの考えを覗くことができるようになったのだ。

そんな時代に、ライターを挟んで、一度言葉を編集し、温度も手ざわりもよくわからない文字にして再構築するインタビュー記事にどれほどの価値があるのだろう。僕は、自分でインタビューライターという職業を生業にしながら、そのことが疑問で仕方なかった。

だって、加工も編集もされていない生の言葉に、今や手軽にアクセスできる時代なのだ。1ページのインタビュー記事より10分の配信の方が何倍も推しを身近に感じられる。そんな人も少なくないはずだ。

自分自身が、推しを愛する人間だからこそ、”本人らしさ”が否応なしに削られるインタビュー記事の価値に少なからぬ危機感を抱いていた。


だからこそ、今改めて、自分なりに思う、インタビューライターの役割というものを考えてみたい。


■インタビューライターは、よきダイバーであらねばらない

繰り返すが、SNSを使えば容易に自己発信できる時代。話し手からすれば、ライターに話を聞いてもらうことの価値はつまり「自分ひとりでは言語化できない領域にどれだけ足を踏み入れられるか」に尽きると思う。

相手から質問されることで、初めて考えることがある。

質問と回答を繰り返していくことで、ようやく気づけることがある。

自分自身では自覚していなかった感情の発見。

とっちらかったまま手つかずになっていた思考の整理。

それをどれだけ短い時間で回収してこられるか。自分と話さなければ出てこなかった言葉やエピソードをどれだけとってこられるか。当たり前だけど、これが本質。だから通り一遍のQ&Aじゃダメ。「オファーをもらったときの気持ちは?」とか「台本を読んだ感想は?」なんて有り体の質問をいくらリストに並べたって、面白いインタビューにはならない。

でも、じゃあものすごい外角高めのコースをバンバン投げれば、それがいいインタビューなのかと言ったら、そうでもないと思う。だって、いきなりそんなこと聞かれたって明快に答えられる話し手はそう多くはないから。そういうエッジの立ちすぎた質問は、だいたい聞き手側の自己満足に終わることが多い。

だから僕はいつもスキューバダイビングをイメージしながらインタビューをする。

まずはゆっくりと水中に潜ってみる。そして周りを見渡してみる。潜った先には何が見えるのか。どんな魚が泳いでいるのか。ひとまず大体の様子を把握したら、話し手と目を合わせ、どちらに向かうか無言で合図をする。そして僕が少し前を泳ぎながら、目指す方向に向けてゆっくりとフィンをキックする。

ここが大事で、何を聞き出したいのかわからないインタビューは、話し手も不安だ。だから、こっちの方向に行きたいんだよ、ということをそれとなく相手にわかってもらう必要がある。その上で、うまく聞き手がリードをしていく。

このときに間違ってはいけないことが、決して聞き手がコントロールしすぎてはいけないということだ。もちろん地図を片手に目当ての場所に行けばハズレはしないだろう。でも、いざ水中に潜ってみたら、話し手はもっと別の場所に興味を持つかもしれない。そこには、あらかじめ想定した場所よりももっと面白そうな洞窟があって、奥へ奥へ進んでいけば、誰も手にしたことのない財宝が埋まっているかもしれない。決して遭難はしないように、だけどもその未知なる可能性に、聞き手は常に目を光らせておかなければいけないのだ。

ダイバーの腕が悪いと、大した深度まで潜れずに、あっという間に引き返すことになる。誰だって、信頼できない相手と深いところまで潜るのは怖い。だけど、本当に腕のいいダイバーとなら、自分ひとりでは挑戦できない深さまで潜ることができる。それは、最高に爽快な潜水体験だ。僕は、そんな気持ちのいいダイブを話し手に提供できるダイバーになりたい。


■インタビューライターは、よきファンの代理人であらねばならない

これは僕がライターをする上で何より心がけていることだけど、どんなに実力と経験のあるライターでも、ファンにはかなわない。ファン以上に、話し手のことをよく知っている人はいないのだ。

当たり前だ。だって、ファンにとっては推しこそがすべてだから。出来る限り推しの発言はくまなくチェックするし、それこそ本人さえ言ったことを忘れているようなことでも詳細に記憶していたりする。それが、ファンの愛なのだ。

いくらライターが定期的に取材をしていたとしても、それはあくまで取材対象者としての距離感であって。そして、そうした取材対象者は星の数ほどいるわけだから、その人たったひとりに全精力は注げない。

でも、ファンにとっては、目の前にいる話し手は、その”たったひとり”なのだ。その人のファンは、その人のために全精力を尽くせる。だからライターは決してファンをあなどってはいけない。ここをしくじると、書いていることが全部「もう別の記事で読んだ」っていうつまらないインタビュー記事が出来上がる。

むしろ最大限の敬意を払った上で、もし自分がこの人のファンなら何を聞きたいか。ファンの代理人になったつもりで、思考をトレースし、細かくシミュレーションを重ねて初めてファンの人に「読んで良かった」と思ってもらえる記事ができるんじゃないだろうか。


■インタビューライターは、よき記録者であらねばらない

当たり前だけど、人の思考は変わる。ついこの間までAがいいと主張していた人が、ある日突然Bが最高と言い出す。こんなことは日常茶飯事で、そしてそれらは決して責められるべきことではない。だって、それが人間だから。

経験を重ねた分だけ、人は変化する。むしろ発言の内容が変わった、というのは、転機だ。インタビューライターとしては、深掘りしたい絶好のポイントなんだけど、そもそも「変わった」ことに対して、どれだけ気づけるか。ということが、インタビューライターの腕によるところだったりする。

そのためには、朝顔の絵日記みたいに、取材対象者を定点観測し、その成長を常に記録し続ければいけない。それは、もちろんインタビューの場だけでは飽き足らず。その人の出演作品、自分が担当しなかったその他のインタビュー記事。常にアンテナを張っておかないと、とても追いつけない。でもそれぐらいしてやっと初めてその取材対象者のことを”語れる”ようになるんだと思う。

だから、本当によき記録者としていられる相手というのは限られている。ライターだって、人間だ。全取材対象者に対して、同じ労力は注げない。逆に言うと、自分はキャリアをかけて誰を記録し続けるのか。そのことをインタビューライターはどこかで決定していかなくちゃいけないんだと思う。

この人の記事を書かせたら自分が一番だ、と。誰に認められなくても、少なくとも自分で誇れるぐらいの相手を、何人つくれるか。それは、ちょっとしたギャンブルでもある。だって、その取材対象者が”消えて”しまったら、自分がそれまで投じたコストのすべてが水泡に帰すわけだから。

でも、それぐらいの覚悟をもって向き合える取材対象者ができたら、めちゃくちゃ幸せだとも思う。刻一刻と変わり続けるその人を、どれだけ詳細に記録し続けられるか。だから、インタビューライターは生涯を賭す価値のある仕事なんだ。


■インタビューライターは、よき応援団であらねばらない

たまにある。他のライターが聞いていないようなことを拾いたくてググッと攻めた質問をした結果、「いやいや、そんな大切なこと、こんな場であなたに易々と話せませんから」というテイでさりげなくシャットアウトされることが。

これはついつい誤解してしまいがちなんだけど、質問をしたからって、その問いにどう答えるかは話し手の自由だ。常に100%本音で話す必要はないし、はぐらかしたっていい。当たり前だ、自分の言ったことが活字になって世に出回るんだから。大切なことほど、そう簡単に人には言えないし、いつか話せるその日が来るまで、そっと胸にしまっておく判断をしたって不思議じゃない。そこで「うーん、今いち本音を話してくれない」と相手を責めたって、それはお門違いというやつで。

ものすごくシンプルな話だけど、「この人になら話していい」と思ってもらえる聞き手になれるかどうかが、インタビューライターにとってはめちゃくちゃ大事なのだ。

それは、ぶっちゃけ相性もある。どれだけこっちが本音を聞きたいと乞うても、相手にとってフィーリングが合わなければ、それは永遠に叶わない片想いだ。

話し手だって「この人に話を聞いてもらいたいな~」と思っているライターがひとりやふたりはいるかもしれない。そのひとりやふたりに選んでもらうために、じゃあ何が重要なのかと言うと、もちろん相槌を打つタイミングが妙に心地良いとか、何かわかんないけど空気感が好きとか、そういう感覚レベルの話もあるだろうけど、結局は「自分のことをどれだけわかってくれているか」ということを話し手が感じ取れるかどうか、だと思う。

だから僕はよき応援団でありたい。

僕の感覚としては、自分の仕事はライターというより、I'am 応援団。少なくとも、今この若手俳優という界隈で、本気でお芝居に打ち込んでいるすべての俳優を僕は応援しているし、もっともっと彼らの魅力をいろんな人に広めたいと思っている。そのために、原稿を書くのだ。

フレーフレーと言う代わりに、その人らしさが伝わるひと言を。

太鼓を打ち鳴らす代わりに、行間に人肌の温度感を。

その原稿を受け取った話し手が、この人に書いてもらって良かったと思ってくれたら幸せだし、そういういくつかの経験を重ねてようやく「今までなかなか話せなかった特別な言葉」を「この人になら託してもいい」と思ってもらえるライターになれる、と僕は思っている。

正直、全然そんな感じにはまだなれていない。

僕なんてまだまだ代替可能のライターで、取材対象者とそこまで密な信頼を築けているかと言ったら、まったくもって自信はない。あったとしても、僕の独り相撲ぐらいにしか思えない。

でも、実直にこの仕事を続けていけば、いつかたったひとりぐらい、そんなふうに僕のことを思ってくれる人だって出てくるんじゃないか、という淡い期待も持っている。欲張りでしょ。

でもそう欲を張りたくなるぐらい、この仕事が好きなんです。


SNSでも配信でも伝わらない、インタビュー記事だから届けられる何かを求めて。明日も、明後日も、記事を書く。いいインタビューライターになるということは、すなわちいい人間になることなのかもしれない。


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そんなインタビューライターとしての、ひとつのキャリアの集大成となる本が出ました。僕がこれからも記録し続けたいと願う6人の俳優と「芝居について」だけを語った濃縮の一冊。こういう仕事を、また次も任せていただけるように、粛々と研鑽を積んでいきます!

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