林遣都1st写真集『Clear』が届いたので全力でレビューします。

1455年、グーテンベルクが活版印刷技術を発明したことから、今日の印刷文化が生まれたらしいんだけど、そのとき最初に印刷されたのが聖書なんだって。

そりゃあもう当時の感動はすごかったんだろうね。だってあの聖書が印刷技術によって大量の人の手に渡るわけだから。たぶん最初はみんなそれこそ神様に礼拝するような気持ちで聖書を手にしたんじゃないかな。素手でさわるのとか畏れ多いみたいな。

それからまあ563年ばかり経ったわけですが、キリスト教のみなさまには失礼を承知で言わせてください。

これ、21世紀の聖書だわ。

ちょっとね、神々しすぎて迂闊にページをめくれない。当時の民衆の感動と畏怖が手に取るようによくわかる。こんなものが世に流布されたなんて、印刷技術バンザイ。グーテンベルクまじグッジョブ。


何の話をしているかって?


そうです、林遣都1st写真集『Clear』がようやく我が家にやってきたのです。

詳しくない方に向けて説明すると、この『Clear』、2010年2月に初版が発行されました。つまり今から8年前。林遣都がまだ19歳だった頃の写真集です。それがまさかの8年越しで重版決定。天保の大飢饉以来の大飢饉として後世に語り継がれるであろう「林遣都の大飢饉」を乗り越え、何とか生き延びた遣都沼の住民にとって、これはまさに恵みの雨。世界樹のしずくかラストエリクサーかっていうぐらい、垂涎のアイテムなのです。

もうね、この林遣都のクオリティは「美しい」という言語ではとても説明できない。顔の造形が整いすぎて、もし僕が彫刻家なら一発で廃業を決めるレベル。生きた芸術品すぎて、これ以上のものがとてもつくれる気がしない。

毛穴というものを知らないんじゃないかと、皮膚組織の構造を疑いたくなるような白い肌。

ガラス玉のように透明で、スモーキークォーツのように聡明な意志を感じさせる瞳。

職人が何度も丁寧にカンナをかけたかのように完璧な角度の鼻筋。

気品と色気を醸し出す唇の質感と厚み。

あらゆる賛辞もこの芸術美の前では無力にして陳腐。

え? 本当、天使が間違えて地上に産み落としちゃったんじゃないの? それとも琵琶湖に眠る龍神が人間に転生した姿が林遣都じゃないの?

しかも撮影当時は19歳。このギリギリ大人になる前の、未成年特有の青さや危うさ、繊細さがこれでもかとばかりに溢れ出ていて、いやしい気持ちを抱いてしまう自分が恥ずかしくなる。


とりあえず5ページ目の、窓辺にこつんと額を預けるようなカット。

え? これ人類? 大人しく妖精ですって白状してもらった方がよっぽど納得いくわ。

さらに8ページ目の腕を枕に突っ伏しているカット。

少女漫画でも男の子にこんな睫毛描かない。萩尾望都の作画を実写で体現できる日本人男性がいるなんて、もう国家権力を使って林遣都を保護してほしい。

そして、そこからの上裸~。上裸~。

厚みのある胸板に、盛り上がった筋肉の影が耽美な直線を描くシックスパック。その細い腕は血管が幾重にも走り、自分の身体を抱きしめるようにして寝そべるカットは、もう本を持つ手に力が入らないほど。

何だろう、この神聖さを決して「色気」とか「セクシー」とか、そんな野卑な言葉で表現したくない。

言うなれば、「聖域」。そう、誰も踏み込んではならないサンクチュアリが、そこにある。まさにガラスの十代。こわれそうなものばかり集めてしまうよ。

この『Clear』、19歳の林遣都のいろんな肖像が閉じ込められていて、その変幻自在ぶりに驚かされる。

林遣都という芸術は、髪型ひとつでガラリと雰囲気が変わるのだ。冒頭の短髪姿は、まさに潔癖な少年性そのもので、そこから続く襟足まで伸びた黒髪は陰鬱さと文学性が加わって、少年期特有の憂いと儚さにこれまた眩暈。

そして、白に近い金髪は、普通の人ならもっと俗っぽくなりそうなところだが、林遣都は決して品を失わない。Gジャンを羽織って路地裏に佇む姿は、往年の映画で見たリヴァー・フェニックスのようであり、黒のハットをかぶって船を回遊する姿は、まるでハーメルンの笛吹き男のような不穏さと、それゆえに目が離せない引力がある。

さらに付け加えると、そんな美の極致と言えるカットだけでなく、等身大の19歳の林遣都が鮮やかにおさめられているのも、この写真集の素晴らしいところ。

曇り空の洗車場でホースから噴き出す水を浴びながらはしゃいでいる姿は、10代の無邪気さと躍動感いっぱいで、まるで写真から林遣都の笑い声が聞こえてくるかのよう。

後半を飾る北海道ロケは、程良くプライベート感もあって親しみやすい。自転車に乗りながらこちらを振り向くカットは、昔どこかでこんな幼なじみの男の子と一緒に自転車で駆け回ったような懐かしい気持ちになるし、水たまりの上をジャンプするカットは、このまま実家のアルバムにおさまっていてもおかしくない雰囲気。自分が生きたこれまでの中に、林遣都という少年がいたような、不思議な錯覚を抱かせてくれる。

捨てカットは一切なし。全ページ、何度も、何度も、反芻したくなる気高さと愛しさで満ちている。

巻末のロングインタビューも、林遣都らしい、飾り気のない言葉がいっぱいで、今この時期に読み返すと、ここから彼の20代は始まったんだ、そして今の林遣都があるんだと、温かいものが胸に広がる。


本当、19歳という最高のタイミングで、この写真集を残してくれたことに心から感謝したい。そして、こう見ると、19歳の林遣都と今の林遣都では随分顔つきが違うことにビックリする。

19歳の頃の林遣都は今よりもっと硬質で、純度が高く、タイトルその通りクリアーだった。

一方で、27歳になった林遣都は、使えば使うほど味が出てくる上質な革製品のように、柔らかさと、湿度が、出てきた。

だからどうかお願いしたい。今、この瞬間の、林遣都をまた作品にしてほしい、と。

時は移ろい、人は変わる。今この瞬間の林遣都は、今この瞬間の林遣都にしか出せない眩さがある。それを形にしておくことは、持って生まれた芸術品である林遣都の使命だとすら思うのだ。


ということで、これを読んでいるスターダストプロモーションのみなさま、どうか2nd写真集の発売をお願いします!

今、言えることは、「林遣都は数字を持っている」、この一言だけですが、敬虔なる遣都民は必ずや約束を果たしてみせましょう。

本当、今日の今日まで大飢饉を我慢してきたので、ちょっとくらいのご褒美があってもいいじゃないですか。

でないと、またSNSでみんなで唱えるぞ、愛ともどかしさを込めて「マジスタダ…!」と。


追伸、付録のDVDはもったいなさすぎてまだ見られていません。いったいこの1枚のディスクの中に何がおさめられているのか。しばし甘美な想像を楽しみながら、そのときを待ちたいと思います。

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