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カラスvs.ムクドリ

早朝、河川敷で鳥の群れが騒いていた。

何事?

上空を見上げるとムクドリの集団がうねっている。

その右側に目を向けると1羽のカラスが目に留まった。そしてその前後に2羽のムクドリがいる。

空中戦だ。カラスとムクドリ2羽が戦っていた。

騒いでいるのは周りにいるムクドリたちだ。

戦っているムクドリはたぶんリーダー格なのだろう。カラスを挟み、前後から突っついたりキックしたりしている。

カラスは戸惑い、突っつかれては前を見たり後ろを見たりしている。

でも決して逃げようとしない。捕食に来たのだろう。

私はハラハラしてきた。大きさが断然違うのだ。

カラスは突っつかれてもキックされてもほぼダメージ0なのだ。

こんな時は小さい方を応援したくなる。

空中戦は長期化してきた。

最初は戸惑っていたカラスも落ち着きを取り戻し、目の前のムクドリに集中し始めた。

そうなると前の方のムクドリは攻撃しにくくなる。

後ろのムクドリは果敢にもカラスの足にキックしている。でも飛びながらバランスを取りながらだから攻撃の間隔は時間が空く。

そのうち小さなムクドリたちの体力が落ちてきた。移動するのでなく同じ場所で飛び続けるのは疲れるのだろうか。

カラスはまだ余裕である。

目の前のムクドリの攻撃が止まった。もう手出しができない。ただ同じ場所を飛んでいるだけである。

そして後ろのムクドリはバランスを崩してカラスから遠ざかっていく。

ムクドリ側に隙ができた。

あっ、やばい・・・

カラスはその隙を見逃さなかった。

バクッ!

目の前のムクドリを銜えて急降下した。

あっ、何をするんだ!と言わんばかりに後方のムクドリはバランスを取り直してカラスを追って下に向かう。

周りのムクドリはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てていた。

・・・・・・・・

朝から目の前で繰り広げられたこの光景は衝撃的であった。

たまたま通りがかって見たけれど心に突き刺さった。

でもなぜこれだけの集団がいて戦ったのは2羽だけだったのだろうと思った。

集団で戦ったらカラスは逃げたかもしれない。

だが負傷するムクドリの数も増えたかもしれないし、追われてもカラスは空腹だからまた襲ってくるかもしれない。

逆にカラスが腹を満たせばしばらくは襲ってこない。

被害を最低限に抑える策、それが2羽で戦うことであり、1羽が犠牲になることだったのではないかという結論に達した。

この世に生を受けた以上、命は大切だからすんなり犠牲になるわけではない。戦う。今後仲間も同じように戦うことを敵も味方も改めて学習したはずだ。

ベストを尽くした結果だったと思う。

この世にムダはない。鳥は自然の摂理に従って生きている。

でも私はこの事でひどく心が痛んだ。弱いものを守りたい。でも到底守り切れる事ではなかった。

だから自分の心が傷ついた事を認めて自分で自分の心を癒すしかない。

思えば今までいろんな動物の死に出会い、傷ついた心を修復することなく放置していた。

こういう気持ちを放っておくと、いつの間にか積もり積もって動けなくなる。

ここで死とはなんなのかをもう一度しっかりと認識する必要があると思った。

人も動物もみんな100%死ぬ。寿命がくれば自然と迎えるものだ。

死に方はさまざまで、ムクドリはカラスに食べられた。

ムクドリは被害者意識は持っていないだろう。自分の今生での命が終わって元いた天上に素直に戻って行くだけだ。

人間だけが被害者意識を持っており、自分はそれをムクドリに投影していると思った。

ムクドリは悲しんでなんかいないよ。

カラスさえいなければなんて思っちゃいないよ。

リーダーとしてのお役目をきちんと果たしたよ。

新たにリーダーが出てくるから自分がいなくちゃなんて思ってもいないよ。

なかなか受け入れられずすんなり手放すことが出来ない自分の心の未熟さを知る。

今後の課題である。













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