ひなのって名前は本名だって言い張ってたけど、やっぱり嘘だった。(洋服物語1〜由美子のMILK〜)

このニュースの写真のひなのちゃん、ぱっつん前髪、を見て、あの頃の彼女みたいで、彼女と同い年の私は、あの頃を思いだして、泣きそうになってしまった。本屋さんの、女子雑誌コーナー、毎週、どれかは絶対、彼女が表紙で、今でも、彼女が表紙の雑誌、たくさん押し入れに残している。90年代、そして、90年代の女の子カルチャーを語る上で、彼女は避けられない存在で、まあ、シンボルみたいなものだった。コギャルの女の子たちには、安室ちゃんっていう、大きなシンボルがいたけど、こっちの界隈では、彼女がてっぺんガールだった。

なんて、ジーンとしながら、記事を読んでみたら、違った意味で、泣きそうになっただよ…

キャベツ湿布はどうか? 

**「これは梅干しを頭に乗せると熱が下がるという、迷信と同じです。ジョークみたいなものですよ。キャベツでは病気は治りません。そんなものを信じているなんて、変わっているとしか言いようがありませんね」(同)

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子どもを洗わず、キャベツ湿布してるお母さんになっていた…

と、その頃のことを書いた小説があるので、ポーン!


洋服物語1〜由美子のMILK〜


吉川ひなのだった。

前髪パッツンに長い栗毛の、舶来のお人形さんみたいな彼女が、由美子が初めて買った”CUTIE”の表紙だった。それは、由美子と同じ1979年生まれの吉川ひなのの記念すべき、”初めて”の雑誌の表紙仕事で、奇しくも、由美子の”初めて”と”1979年”と、Wで重なった。

それは、技術の授業中だった。隣の席の、女子カーストトップクラス所属、不良の晴美ちゃんと、半田ごてを使いながら、おしゃべりに興じている時だった。由美子が「ミルク」というブランドのお洋服が好きだと言ったら、彼女が「ああ!それなら、”きゅーてぃー”を読むといいと思うよ。”ろりーた”いっぱい載ってるから、好きだと思う」と教えてくれた。半田ごてを使いながら、不良なのに、不良じゃない由美子に優しく。

晴美ちゃんは、お兄ちゃんがいて、音楽にくわしかった。ユニコーンが特別に好きだった。私たちの世代は、バンドブームには遅かった。ホコ天ブームも、子どもにルックス的に大インパクトを残す”たま”にしか縁がなかった。

でも、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子は、ユニコーンやBOOWYが大好きだった。

席替えで、晴美ちゃんは由美子の席の後ろになった。最初は緊張したけど、話していくうちに、彼女の明るさと気さくさ、そして優しさに、いつも楽しく話をするようになった。授業の合間の休み時間、給食の時間、掃除をしながら。

彼女は音楽やファッションのこと、いろいろ、おませに知っていた。そして、由美子の数少ない、音楽の話をできる友達になった。由美子は高野寛やフリッパーズギターが好きだった。CDや、レンタルショップ”ゆーとぴあ”で借りたCDからダビングしたカセットを貸し借りするようになった。

晴美ちゃんは、普通にドリカムやマライヤキャリーも好きで、そういうCDを借りた時は、どの曲も3秒だけ聴いて、全部聴いたことにして、ごまかし笑いで返した。

大井町の阪急は、まだちゃんとしたデパートで、6階には三省堂と山野楽器が入っていた。

そこの女性誌コーナーをじっくりと「きゅ、きゅ、きゅ、きゅう…てぃぃぃぃぃ」とつぶやきながら見ていった。そして、フランス人形みたいな美少女とパチりと目が合った。

いそいそと買って、ドキドキしながら家に持って帰って、ページをめくると、”セブンティーン”や”オリーブ”と違って、全然かわいくない、風変わりな顔をした女の子たちが風変わりな服装と風変わりなお化粧をして載っていた。

市川実和子や荒牧未希、マリオ、雅姫などのモデルたち。

そして、晴美ちゃんの言っていた通り、たくさん”MILK”の洋服が載っていた。

当時、1994年。巷では、”フェミ男”ブームだった。いしだ壱成と武田真治が二大巨頭で、その名の通り、フェミニンな男の子、細くて、ベレー帽に、ピチT(ピチピチのTシャツ。身幅も着丈も小さく、やはり当時、大流行りした)にスカートを履いたりしていた。MILK BOYとSUPER LOVERSの洋服を着ることがステータスだった。

そして、女の子たちの間では、カリスマとして奥村チヨが祭り上げられ、70年代風、モッズ風な古着のミニのワンピースに、サボ、なんていうスタイルがイカしてると話題だった。髪の毛は外ハネにして、つけまつげを付けたりして。

同時に、ロリータファッションも花盛りだった。その後の、”ゴスロリ”スタイルではなかった。”ゴス”の要素が当時はなかった。フラワーチルドレン的な、ハッピーで明るいロリータスタイルだった。

”CUTIE”にはそういう洋服がまるでカタログのように載っていた。そして、読者スナップ(それはたいてい原宿ラフォーレの前でだった)に載ってる、自分より少し年上のお姉さんたち。みーんな、ベレー帽を頭に乗せ、ピチTを着て、ペチコートが入ってるようなふくらんでいるミニスカート、それを白いフリルの付いたニーハイソックス、メリージェーンと共に履いている。競うかのように「MILKで買いました」「MILKで買いました」と言っていたのも印象的だった。

由美子は、太めの黄色や水色のギンガムチェックにさくらんぼやいちごが飛ぶ、果物柄の服が特に好きだった。

自分と同い年の”吉川ひなの”という女の子ために作られたみたいだな、かわいいな、素敵だな、と、うっとりとため息をついた。

”CUTIE”の次の号が出る頃、由美子は完全にロリータノイローゼになっていて、雑誌から、MILKの洋服だけ切り抜いて、スクラップ帳に貼付ける作業に夢中になっていた。ジェーンマープルやベティーズブルーとか、他のブランドの洋服だってかわいかったけど、やっぱりMILKの存在は特別なのだった。

そして、値段も思いきり特別だった。中学二年生がお年玉で買うには高過ぎた。

そんな中、中三になり、夏休みが来た。

由美子の誕生日は九月だ。母親にねだるための口実ができた。由美子はバースデープレゼントにMILKの何かが欲しいと訴えた。母親は、これからもっと学校がんばってよね、と言った。それが、条件だった。

そして、初めて、お店に行く日が来た。

その頃、そのお店は、表参道のセントラルアパートを少し行った所にあるウエンディースの手前の路地を曲がって、しばらく行った所にあった。その後、裏原宿と呼ばれるようになるエリアだ。(え?セントラルアパートもウエンディーズも今はない?知らない?え?ごごごめん…どっちも原宿の象徴みたいな場所だったのよ。学生はお金ないから、原宿行くと、絶対このウエンディーズでお昼食べたり、おしゃべりしたりしたものなのよ。テーブルが英字新聞柄でね)

ガラス張りで、内装は白一色の小さなお店。商品だって、他の洋服屋さんに比べればうんと少ない。レジは一台で、その後ろに、螺旋階段があった。あれはただの飾りだったのか、本当に昇れたのかわからない。

かわいい若いフリフリの売り子さんに混じって、そのお店に不釣り合いな、小柄でショートカットの、大阪弁のきついおばさんがいた。ものすごーく怖いおばさん。

由美子は、母親と一緒だったけれど、本当に緊張をした。そして、ぐるりと店内を見回しても、どれもフリフリしていて、これを中学生がどこへ着て行くのか全然思いつかない。

母親は母親で、値札を見て、顔が青ざめていた。

でも、由美子は何かがどうしても欲しい。”MILK”の物なら、台拭きでもいいから欲しい。そのくらいの気概で来た。

と、そこにある服で1番シンプルで、値段もそんなに高くなく、普段にも着られそうなフードの付いた長袖のTシャツ、裾に白いコットンレースが付いている、を由美子は見つけ、選び、母親に、せがんだ。

お会計の間、母親がうっかり「少しお安くなりませんかね〜」などとのんきにまさかの値切りをしてしまった。すると、その小柄の大阪弁のおばさんが烈火の如く怒りだし「うちは竹下通りの店とは訳が違うんや!馬鹿にするのもいい加減にしい!(すいません、大阪弁いい加減…)」と言った。でも、平謝りする母親としょぼんとしている由美子に「まあ負けられないけど、代わりにこれやるわ」と、そのシャツをそのままソックスにしたような、白いフリルの付いた、グレーのリブの靴下をおまけでくれた。

おばさん、結局優しかった…

由美子は、その洋服をそれはそれは大事にして着続けた。20代になり、その洋服がくたびれても、部屋着として着続けた。

洋服って、買える”夢”なんだ、触れる”夢”なんだ、着られる”夢”なんだ。なんて、素敵なことだろう。由美子はそれからの人生、洋服命の道を歩くことになるが、それはこの時の体験が大きかったからだ。

追記:あの小柄の大阪弁の怖いおばさんは、デザイナーの大川ひろみさんの実のお母様だったということを、後になって、由美子は知った。



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ゆみオゆみコ

乙女チック小説『不動前ラブストーリー』と私のおしゃべり。

コメント2件

全体的に懐かしいです。
そうよね。磯やん、ほとんど同い年だものね。フェミ男が、筋肉体操するようになるなんて、世も末よね…
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