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ほめること。

久しぶりに、自分の生きるうえでのキーワードになりそうな、大事な言葉を見つけたのでメモしておこう。

「ほめる」。
僕が、社会にもっとあって欲しいと思うもの。
もしかしたら、僕の取り柄かもしれないもの。
今の世の中、ずいぶんと「けなす」社会だと思う。
新聞とか、インターネットとかを見ていて思うのは、ずいぶんとけなすことが多いなぁ、ってこと。
そりゃ、けなすのは簡単だ。
100点満点のものなんてほぼ存在しないから、98点だったら、2点分はけなせるってことになる。
情報があふれかえっていて、とにかくたくさんのものと比べることもできるから、「どこが足りない」とか言うのは簡単なことなんだろう。
「マスコミが粗探しばかりしている」なんて言われるのも、そういうことに近いよね。

「子どもはほめて育てる」なんてのはずいぶん昔から言われていることだろうけど、大人になったからって何でもかんでも急に100点満点にできるはずもない。
100点満点じゃないと何かしらけなされるって言うんじゃ、一生かけたって100点満点になることなんて決してないんだから、なんかとってもうんざりしちゃうよね。
世の中やネットの中を見渡して思うのは、「けなす」言葉に比べて、「ほめる」言葉のボキャブラリーが少ないなぁってこと。
「あいつが嫌い」「職場が最悪」とか、そういうことに対しては、何時間でも愚痴を言い続けられるのに、「楽しかった」ってことはなかなか言葉にできないみたいだ。
確かに、楽しかったことは文字通り、「言葉にできないくらい」ってことが多いのかもしれないけどね。

僕は、ライブレポなんかを見てもらえば分かるとおり、すっごく楽しかったり、感動したりした時に、「こんな風に楽しかった。ここに感動した」って言うのを、できる限り言葉にして、他の人にほんの一部でいいから伝えたいって気持ちが強いみたいだ。
これは、それがなんの役に立つから、とかそういうことじゃなくて、僕自身の、純粋な欲求みたいなものなんだと思う。
ブログとかはじめる前は、友達を相手に延々と語ってたような気がするし。

急にちょっと大げさなことを言うようだけど、今の世の中が、何だか知らないけどやたらと「暗い時代」だの「不安な世の中」だの言われているのって、「ほめる」より「けなす」情報が圧倒的に多いせいじゃないかって思う。
テストで70点を取った時に、100点より30点も少ない、とけなしてばかりいたら、満点を取れないテストが嫌いになっちゃうだろうけど、前回は50点だったのに20点も上がった、とかそういうほめ方をしたら、次のテストが楽しみになったりするんじゃない?
普通の人たちがたくさん、社会に絶望してしまったり、自分のことを嫌いになったりしてしまうのも、満点じゃなければ「けなす」のが当たり前な、減点社会だからだと思う。

根拠のない「ポジティブシンキング」は嫌いだけど、人の悪いとこばっかり探して勝ち誇っていたり、自分の悪いとこばっかり探して凹んでいたりする暇があったら、人のいいところを探して尊敬したり、自分のいいところを見つけて伸ばしていったりする方がずっといい。

とは言っても、自分のいいところを主張するのは怖いものだよね。
だから僕は、「ほめる人」になりたい。
人のいいところを見つけて、それを言葉にするの、僕は得意なんだ。
それが僕の、「いいところ」だと思うのです。

(2009年11月24日執筆。当時27歳)

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