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「フラットな空間」だったネットを、とりもどそうよ。

かつて、ネットはフラットな空間だと、僕は感じていた。

僕がネットをはじめたのはだいたい、大学生のころ。
aikoの音楽が好きで、そのファンサイトに通ったのがはじまりだったと思う。掲示板に曲の感想を書いたりすると、40代の管理人のTaoさんを含む、たくさんの人が返事を書き込んでくれた。

そのころ僕は、すごく世間知らずの大学生で、アルバイトすらまともにしたことがなくて、まさに「親と先生以外の大人とちゃんと会話したことはない」という状態だった。
いわば、社会と全然接続していない状態。

だから僕は「歳も住む場所も全然ちがう人と、対等に話すことができるネットって、なんてすごいんだろう!」と思った。
今考えれば、かまってくれた周りの大人たちが、こちらが嫌な思いをしないようにかなり気を使ってくれていたのだろうと思うけど、それでも、大人に「こどものくせに」と思われずに言いたいことを言うことができる、「ネットのフラットさ」に感動したのだ。

つい最近、ある場所に「僕はこう思う」という文章を書いたら、初対面の人からコメントがついた。
「あなたはまだ若いので知識不足なのでしょうが、これは間違っています。××が正しい」
とそこにはあった。
(その文章には僕の年齢が載っていたので、そう書いたのだろう)
ネットで意見を交わすときに発言者の年齢や職業に言及するのはタブーだと思っていたので、面食らってしまった。
その人の意見にもわずかに一理くらいはあったのかもしれないが、対等に議論しようという姿勢をまったく感じ取ることができなくて、僕は対話をあきらめた。
楽しんでやっているネットでまで、話の通じない人に気を使ってコミュニケーションをとる理由はない。

かつてはネットが比較的若い人たちのものだったから年功序列への反発もあって「ネットに現実を持ち込むなんて」という共通認識があったように思う。
ネットが社会全体に広がって誰もが利用するようになり、また、Facebookで実名の利用が増えると現実の肩書や関係性がそのまま反映されるようになって、「ネットに現実を持ち込む」ことが増えたのかもしれない。

そうは言っても、「誰もがフラットに話せる」ネットの場において、年齢でマウントを取ろうとするいい歳したおじさんのかっこわるさは、なかなか破壊力がある。
ネットの上で「若いもんに説教してやる」というつもりで絡んでいく人たちは、年齢を口にした瞬間に、「異なる意見を表明する」のとはまったく違う、醜い自己顕示欲が透けて見えてしまう。

せっかく顔が見えない空間なんだからさ、肩書脱いで裸の言葉で議論しようよ。
それができないとしたら、あなたが自分で思っている説得力なんて「あなたが歳上だから遠慮して誰も反論しなかった」というだけのまやかしだったってことでしょ。

まぁ、そうは思うけど、ある程度の年齢と立場を手に入れてしまうと、それを脱ぐのは難しいのかもしれない。
本人たちの責任ばかりではなく、それはそれで、大変な世代なのかもしれない。

でもだからこそ改めて言いたい。
現実の利害関係から解放されたネットの上でくらい、「誰もが対等に話すことができるフラットな空間」を、取り戻そうよ。

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