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愛がなんだには、醜くも純潔な愛が溢れてる。

愛なんて普遍的な言葉ほど、信用できないものはない。
愛の基準なんて人それぞれだし、愛の形なんて目に見えないから分からないし、色だって赤で喩えられることが多いけど本当に赤色なのかも不明だ。

映画『愛がなんだ』を見つけたとき、さめざめとして音楽をやってるものとして観るべき作品なことは分かっていた。

ただ、観るべき作品だと分かってるから
観たらその作品の痛みや切なさに押し殺されてしまい鑑賞後の精神状態が不安にさえなった。

それでも意を決意して新宿テアトルへ足を運んだ。上映の前に女子トイレに並んでいると、私に似たような雰囲気の女性がトイレの列にたくさん並んでいた。
取り分け美人なタイプでもない。でもちゃんと可愛くなりたいと努力してる。どこか控えめで、どこか芯がありそうで。主人公のてるちゃんに似たような女性たち。
ここにいるひとはみんなさめざめガールなんだろうなと勝手に思ってしまった。
勿論、純粋にこの映画を観たいひとやそんな恋をしてないひともいただろうけど、間違いなくセフレ経験者に見えてしまった。

『愛がなんだ』
主人公のてるちゃんは私だった。
好きな人にバレぬようにたくさんの口実や偶然を作っては会いに行く。
何時だって良かった。
朝の四時くらい電話で男に会いたいと言われ、始発で会いに行ったら男はすでに寝ていたこともあった。
カレーをたくさん作りすぎたから食べに来なよって軽く誘って、本当に来てくれるって分かってから慌ててカレーを作ったときもあった。
彼女からの借りたお金をギャンブルで使ってしまったから、またギャンブルでのその分のお金を稼ぐためにお金を貸してほしいと言われ貸したこともあった。
数え上げたらキリがないくらい、どんな恋をしたところで、てるちゃんは私だった。

そしてとてもとてもてるちゃんが気持ち悪く見えた。幸せそうな顔をしてるから。

というか、私はてるちゃんより酷かった。

そう、私も気持ち悪いと他人から思われていたんだろう。

彼の機嫌が悪くなっても
急に帰られても
ちょっとした彼の優しさや行動でそれは帳消しにされ、それよりも何億倍も幸せな気持ちになって。

まもちゃんみたいな人を好きになる癖。
あーゆーひとは本当に正直だから、たまに残酷すぎるときがある。

でも、まもちゃんの視点から見たとき、てるちゃんに対して思うことは
私がいつも好きな人たちに思われていたことなんだろうと確信した。

いちいち、てるちゃんのやることなすことがムカついたりもしたし
まもちゃんの一言一言が自分が言われてる気になったし
それなのに二人が楽しそうにしてるシーンは純粋に幸せな気持ちになれたし。

何よりも、私が今まで好きな人の恋人になれなかった理由がたくさん散りばめられた作品だったことに間違いはない。

愛が何者なのか未だに分からない。
愛よりも執着かもしれない。
どうしてその人をここまで好きなのだろうか。どれだけ愛されてないと分かっていても愛してしまうのか。

この映画を観ながら、途中のシーンでは『23区のすみっこで』が脳内再生されたし、泣きそうなシーンでは『ラストセックスフレンド』が爆音で流れてる気になった。

『愛がなんだ』を鑑賞した後の『ラストセックスフレンド』は本当に秀逸だと思う。

私は日常の恋愛の出来事を切り取るような音楽楽曲を作っている。
だからこそ、いつかそんな作品と仕事で出会いたいと思えた。

よくありそうな恋愛だからこそ
そこに着眼点をあえて置く映画作品が少ない。
そんななかで『愛がなんだ』は、人の弱さやズルさに上手く漬け込んできた。

この作品を観て、私の恋愛観が変わったのかと言われればそれは嘘になるだろう。
ただ、間違いなく私はてるちゃんみたいな気持ち悪い女の子だったことを再確認させられた。

そして私は好きな人にとってのただの『親切なひと』だという事も。

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もう二度と会えないくらいなら
キスも何もしなくていいから
心殺してもそばにいたい。
それくらい恋だった。
きみはあたしの恋だった。
あたしのことを見つけてくれてありがとう

『ラストセックスフレンド』

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これからもきっと私の『愛』は醜く純潔だ。


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